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18-26 トオル
俺は悔 しかったけど、それはしょうがなかった。
俺と藤堂 さんの道は、もうとっくに別れてる。お互 い、ただの通過点やった。そこが終着点ではなかったんや。
それで良かった。たぶん俺は今のコースで幸せや。しんどいことも多いけど、それでも引き返したいとは思わへん。このまま突き進む覚悟 やで。
「ロレンツォ」
心配そうな顔をして、餅 の大司教 が俺らのほうを振り返り、白い僧衣 を神戸 の月のある夜に、白々 と浮かび上がらせていた。
「一緒に教会に戻ればええのに。破門 やなんて。お前は思い詰める質 やから、発作的 にそんなこと、願い出てもうたんやないか。気にすることない。懺悔 して、悔 い改 めればええんやで。誰にでも、魔 が差 すことはある」
これが最後の機会やと、そういう手を差し伸 べる司祭 の顔で、餅 はやんわりと優しい笑みやった。言わへんかったらバレへんでと、そんな狡 さも含 ませて、口を拭 って戻ればええよと、大司教 は神楽 を誘 うように言っていた。
神楽 はそれを、ちょっと不思議 そうに振り返っていた。
「大司教様 、ありがとうございます」
ほんまに感謝してるみたいに、神楽 は小さく頭を下げた。せやけどな、顔を上げたその目は、月明かりの下に立つ、妖 しい目をしたスーツのおっさんのほうを見ていた。うっとりと、灯 りに吸い寄せられる虫みたいにな。
「でももう、いいんです。悔 い改 められへんから。このまま行きます。さようなら」
さあ行こうか、って、神楽 は俺とアキちゃんの背を押した。悪い司祭 やった。
悪魔憑 きや。なんせ神聖な教義 に叛 いてまで、蛇 と異教 の神官を、結婚させようという破戒 神父やからな。
それじゃ行きましょうかと礼儀 正しく大司教 を連行 していく藤堂 さんに、餅 はぼやく声やった。ほんま敵 わんわ、上になんて言うたらええんや。あの子はお気に入りやのにと、愚痴愚痴 文句を言いながら、藤堂 さんがエスコートしてやった車に消えた。
あっさりしたもの。それでバイバイや。必死で仕 えてた階層社会 とも。長年、俺を邪悪な蛇 と、さんざん追い立てつづけた怖い僧衣 の連中ともや。
なんやそれが可笑 しい気がして、俺がくすくす笑っていると、神楽 も可笑 しいて堪 らんらしくて、一緒にくすくす笑ってた。水煙 のいる後部座席で、平気な顔をしていたわ。
なんせ満月の夜やった。月夜には心の騒 ぐもんがある。外道 やからな。
えらい機嫌 がよろしいなあと、不思議に思って後部 を見ると、リアの窓 から月を見上げている神楽 遥 の青い目が、銀色がかって光って見えた。
藤堂 さん、相当 こいつに入れあげているらしい。とにかく早くモノにしたいと、穢 しまくっているんやろ。
長年、ひとりで彷徨 ってきたけども、仲間が居 るのはええもんですわ。今はムカつく神楽 遥 でも、そのうち気の合う友達になれるやろ。
なんせこいつも遠からず、血を吸う外道 になるんやから。それとのんびりご近所付き合い。そんな未来やったらええのにな。
祈 るしかない。そうなりますようにって。
俺にはできることが、何もなかった。竜太郎 や水煙 みたいに、アキちゃんのために頑張 れることもない。
永遠に、一緒にいよかって、アキちゃんと約束をして、白金に光る指輪を填 めてやる。精々 それっぽっちやで。
おかんがなんで、もう死ぬ男と寝てやって、兄貴 やいうのに子供まで、わざわざ孕 んでやったんか、俺にはその夜、つくづくようく分かったわ。
なんでもしてやる。アキちゃんが、そうして欲しいて言うんやったら、たぶん子供でも何でも産んだ。
なんでもしてやる。無責任やなんて、全然思わへん。
絶対帰ってきてくれるって、おかんはそう信じてたんやろ。踊 る骸骨 でもええし、大明神 でも何でもええわ。とにかく戻ってきてくれる。
それでええねん、死んだ男が、もうええわ、消えてもうてももうえわって、そんな気弱 にならへんような、後 ろ髪 を引く何かがあれば、それを縁 に戻ってきてくれる。
そうと信じて、お兄ちゃんと寝たんやろ。きっとその夜も煌々 と、鞍馬 の山を照 らしてた、明るい月から逃げも隠 れもせえへんと。
その縁 が、死んだ男を引き寄せる。ぐいぐい強く引き寄せられて、海神 の手の内からも、愛 しい男を奪 い返した。
それが今では暢気 なもんや、愛 しいお前と手に手を取って、ラブラブ世界一周旅行やからな。
せやけど、それまで七十有余年 やで。気が長い。いくら長生きする血筋でも、それでも一生のほとんどをかけた、長い長い物語やで。
それでも信じる者は救われるんや。俺も信じよう。先人 を見習って。
たとえ龍 でも冥界 の王でも、俺からアキちゃんを奪 おうという奴 とは、戦ってみせる。奪 われたかて、絶対に奪 い返してやるで。
大人しく泣き寝入りなんて、俺のキャラやない。前にしか進まれへんねん。武闘派やねん、俺は。
負けるもんかと歯を食いしばり、俺はその夜もアキちゃんに抱かれ、アキちゃんを抱いて眠りについた。
これは永遠に続く、ずっと変わりない、いつもの夜のことやと、そう強く信じて。
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