239 / 928

19-2 アキヒコ

 俺は死ぬんや。それに全然、現実感はないけど、でも、そうなんやと思ってた。  それが現実。  (うそ)みたいやけど、(なまず)という神が目覚めて、()(にえ)を求める。それに俺は、何かを(ささ)げなあかん。祭主(さいしゅ)として、あるいは秋津(あきつ)総領(そうりょう)として。  (しき)を。  それで足りなきゃ、自分自身を(ささ)げろと、大崎(おおさき)先生は話してた。  つまり、(しき)やのうても、(なまず)は食うんや。  (げき)でもいい。俺でもええんや。俺が死ぬのでも、これには解決がつく。  それに気づくと、怖かったけど、それが答えやという不思議な納得感(なっとくかん)があった。  (とおる)()(にえ)にするなんて論外(ろんがい)や。  第一こいつはもう俺の式神(しきがみ)ではない。俺が死ねと言うたからって、死ぬ義理はない。  ()して秋尾(あきお)さんなんて、秋津(あきつ)の家とは元来(がんらい)無縁(むえん)の神や。大崎(おおさき)先生の(きつね)やからな。  (とら)代打(だいだ)になんていうのも、俺はつらい。なんであいつの世話にならなあかんねん。  後に来る出来事を想像すると無惨(むざん)やし、アホな鳥さん可哀想(かわいそう)。元は俺の運命やったそれを、よそへ押しつけてしもたら、俺は信太(しんた)に負けた気がしてならへん。  格好(かっこう)つけてるだけやねん。お前の世話にはならへんて。  人に厄介(やっかい)押しつけて、自分は助かったって、それやと格好(かっこう)悪すぎる。男が(すた)るし、仮にも秋津(あきつ)総領(そうりょう)として、家督(かとく)()いだ名が(すた)る。  俺はたぶん、意地(いじ)になってた。そう思おうとしてた。  なんにもできひん若造(わかぞう)やけど、()(にえ)ぐらいは(つと)まると、そんな変な意地(いじ)に入ってた。  これが血筋の定めやというんやったら、俺は逃げへん。おとんが逃げへんかったように、俺も()みとどまって戦ってみせる。  たとえそれが自分の死でも、逃げずに真正面(ましょうめん)からデッドエンドを見据(みす)えてやるで。  けどな、本音(ほんね)言うたら、俺は(いや)やってん。もう俺のせいで誰かが死ぬのを見るのはつらい。(のこ)されて泣く人たちに、(ちから)(およ)ばずごめんなさいと、頭下げるのはもう(いや)や。  俺はもう十分に、人を殺した。今度は自分が死んで、人を助ける番やないかと、それが罪滅(つみほろ)ぼしやないかって、そういうふうにも思えてた。  因果応報(いんがおうほう)。とうとう俺の番が、(めぐ)ってきたんや。  (とおる)には済まない話や。  永遠に一緒に居ると(ちか)っておきながら、たったの三日で先立(さきだ)とうというんやからな。若いとは言え、俺も大概(たいがい)、無責任やで。  でもきっと、(とおる)には、すぐでも誰か新しいのができるやろ。いつまでも一人で放っておかれたりはしいひんわ。  俺がいる時にでも、いつも誰かにかっさらわれるんやないかと、内心ビクビクしてたくらいやし、フリーになったら、すぐに誰かの手がつくよ。俺はそう思ってた。  まさか中西(なかにし)さんということはないやろうけど。誰か。俺の知らない誰かやといい。想像したくないねん。今はまだ。  考えたらあかん。なるようになるやろ。  天地(あめつち)の、良きように、その思惑(おもわく)(したが)って、成り行きに任せるしかない。考えても無駄(むだ)や、たかがちっぽけな、人の子が。  シャワーブースのガラスの(かべ)(つか)んで湯を浴びてると、水煙(すいえん)がぽつりと俺を呼んだ。  ジュニアと。  まだジュニアなんやで俺は。水煙(すいえん)にとっては、秋津(あきつ)暁彦(あきひこ)ジュニアやねん。 「心配せんでええねんで、ジュニア。お前は死んだりせえへんのやから」  おずおずとした声で、水煙(すいえん)は俺を(はげ)ました。  それに俺は、少しむっとしてた。  水煙(すいえん)(やさ)しかったけど、どう聞いても小さい子供を(なだ)めるような声やったもんでな。 「そうやろか。勝呂(すぐろ)予言(よげん)は、俺が死ぬと言うてたで。それに()(にえ)(とおる)を出すのは(いや)や。もちろんお前もやで。俺は我慢(がまん)ならへんわ。自分が死ぬ方がましや」  ぶつぶつ愚痴(ぐち)っぽい俺の話を、水煙(すいえん)項垂(うなだ)れて聞いているようやった。  (とおる)には、にこにこ強がってみせたけど、その(うら)で、水煙(すいえん)には愚痴(ぐち)()れる。甘えてんのやろな、先祖伝来(そせんでんらい)のご神刀(しんとう)には。  餓鬼(がき)やねん、俺は永遠に、水煙(すいえん)の前では。  情けないな、ジュニアとは、水煙(すいえん)は言わへんかった。静かに聞いて、甘えさせてくれていた。 「済まんけど、俺は(なまず)の口には合わへんのや。あいつは鉄気(かなけ)のモンは食わへん。俺が行ってやれればええのやけどな、堪忍(かんにん)してくれ」  (さび)しそうに言う水煙(すいえん)の声に、俺はガラスごしのバスタブを振り向いた。  水煙は、俺の手を見てた。指輪をしてる手を。  その目はちょっと、(せつ)なそうに見えた。  水煙(すいえん)には、当たり前やけど、指輪なんかやってない。こいつと結婚したわけやない。  俺も欲しいて水煙(すいえん)に言われたら、どうしようかと、一瞬思った。  でも水煙(すいえん)は、そんなもん強請(ねだ)らへん。そもそも水煙(すいえん)は、俺に何かを強請(ねだ)るということがない。  俺も愛してくれって、一回だけ強請(ねだ)った。俺はそれを言外(げんがい)()った。  それっきり何かを、強請(ねだ)られたことはない。好きにしていいと、(ゆる)されたことはあっても。 「お前が死ぬのも俺は嫌なんやで、水煙(すいえん)」  目を()らして俺が小声で答えると、水煙(すいえん)(かす)かに声上げて笑っていた。

ともだちにシェアしよう!