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19-3 アキヒコ

()(まま)やなあ、ジュニア。誰かは死ななあかんのやで。(なまず)は命を食う神や、誰かが死んで、命食わせな(おさ)まらへん」  水煙(すいえん)がバスタブの中で(あし)を組み替えているらしい、静かな水音(みずおと)がした。見てはいないのに、青い華奢(きゃしゃ)(あし)幻影(げんえい)が見えて、俺は目を閉じシャワーを止めた。  さっさと服着よ。それから(めし)行こう。(とおる)も起こして。  今日は雨やけど、ガーデン・テラスの朝飯(あさめし)はどうなっているのか。昨日の朝飯屋(あさめしや)に行ってもええけど、また中西(なかにし)さん達に()うたら気恥(きは)ずかしいし。そやけど、()るわけないか。怒ってたもんな、神楽(かぐら)さん。 「朝飯行く前に、俺を竜太郎(りゅうたろう)のところへ(あず)けに行ってくれ」  白いタオルで体を()いている俺を(なが)めて、水煙(すいえん)が言った。 「こんな早い時間からか。寝てんのちゃうか、竜太郎(りゅうたろう)」 「寝ていないと思う。そんな(ひま)はない。あと三日や」  確信めいて、水煙(すいえん)が言うんで、俺は不思議になった。 「そんなに時間のかかるもんなんか、予知というのは」  バスタオルを体に巻いて、新しいタオルを取り、俺は水煙(すいえん)を風呂から引き上げに行った。  服を着てからと思ったけど、考えてみれば、服着て濡れた水煙(すいえん)を抱き上げたら、また着替えなあかん。それだけのことなんやけどな、正直ちょっと意識はしたな。(はだか)(はだか)水煙(すいえん)を抱っこするというのはな。  でも水煙(すいえん)の体は、冷たかった。水の温度そのままに。生きてるもんやと思えへんかった。  寒くないんかと思えたけども、こいつはずっと海の底にいたんや。せやから平気なんやろ、水風呂だろうが、深い海の底だろうが。  風呂の水を抜き、タオルで(つつ)んで抱き上げてやると、水煙(すいえん)は自分から俺の首に抱きついてきた。 「予知によりけりや。一瞬で終わることもあれば、何日もかかる時もある。蔦子(つたこ)が戦の勝敗を(うらの)うたときには、何日もかかった。まだまだ()ようとしてたけど、死んでもうたら(こま)るんで、俺が連れて戻ったんや」 「死んだりするんか」  そんなもんとは知らんかったから、俺はぎょっとして()いた。竜太郎(りゅうたろう)にそんな危ないことさせて、大丈夫なんか。 「水に(もぐ)るようなもんなんや、ジュニア。体を離れて、未来(さき)へ向かって泳ぐのには、力も沢山要るし、(たましい)が体から遠く離れているわけやから、体のほうが()たんようになる。息継ぎさせに戻らなあかん」 「息が詰まって死ぬってことか?」 「そんなようなもんや。心配せんでええよ。竜太郎(りゅうたろう)蔦子(つたこ)より、息が長い。あの子は(りゅう)の血を受けた一族の出や。()みの人間より上手(じょうず)に泳ぐやろ」  にっこりと笑い、水煙(すいえん)は俺を安心させる話をしていた。  それと見つめ合うのも何やら気恥(きは)ずかしいもんで、俺は(あわ)てて水煙(すいえん)を、バスルームにあった籐椅子(とういす)に座らせた。そして体をタオルで()いてやったけど、()きながらふと思った。  なんで()いてやってんのやろ。歩けへんけど、何にもでけへん訳やない。手は動くんやで。抱きつけんのやから。自分で体くらい()けるやろ。俺のこと、変やなあって、思ってんのやないか、水煙(すいえん)。  ちらりと上目遣(うわめづか)いに様子を見ると、水煙(すいえん)は俺を見て、どことなく、にやりと笑った。 「変なことないで。アキちゃんも、俺の手入れは自分でしたわ」 「手入れなんか()らんて言うてたやん」  俺が気まずく(たず)ねると、水煙(すいえん)はまたちょっと意地悪く笑った。 「()らんよ。せやけど気持ちの問題やろ。何かしてやらな気が済まんと思うけど、他にできることも無いしやろ。刃物(はもの)を抱いて可愛がるわけにもいかんしな。血をやって、その血糊(ちのり)()真似事(まねごと)でもするしかないわな」  ()まして言うてる水煙(すいえん)の話に、遠回(とおまわ)しな要求が含まれているのに気がついて、俺はちょっと(こま)った。血が欲しいと言われているような気がする。 「血が()るんか?」 「()らんけど、景気(けいき)づけに」  にっこりとして、水煙(すいえん)は認めた。やっぱりそういう意味やったんや。 「ええけど……どうやって?」  何とはなしに、(となり)の部屋で寝ている(とおる)が気になって、俺はバスルームの(とびら)をちらりと見たかもしれへん。  一体どうするつもりなんやろ、水煙(すいえん)。俺が(とおる)に怒られるようなこと、せんといてほしい。  そんな情けないこと考えている俺の顔を見て、可笑(おか)しかったんやろ。水煙(すいえん)はまた笑い、手を出せと()(まね)いてきた。  そして、俺が差し出した手を、冷たい両手の青い指で(つか)み、指輪をしてる左手の薬指を、じっと(なが)める横目に見つめながら、その手首の静脈(じょうみゃく)に白い歯を当てた。  ちくりと(するど)い痛みがしたけど、俺はそれからは目を(そむ)けてた。  水煙(すいえん)にも、血を吸うための(きば)があるらしい。  人魚(にんぎょ)の姉ちゃんにも、実はあんのかな。美しいなあってフラフラついてきた(おか)の男を、海ん中にひっぱりこんで、ちゅうちゅう血を吸うてんのやろか。  水煙(すいえん)は、手首の静脈(じょうみゃく)に突き立てた(きば)の傷から()れてくる血を、真っ白い舌を出してぺろぺろ()めていた。時々吸われるその感覚が、変な気持ちよさ。  たぶん、なにかそういう呪縛(じゅばく)があるんやろ。獲物(えもの)(あば)れたり逃げたりしいひんように。血を吸われる間は心地(ここち)いいように。  (とおる)が血を吸う時にも、(たと)えようもない気持ちよさがあるし。水煙(すいえん)もそう。このまま最後の一滴(いってき)まで吸われても、気持ちええなあって、俺はうっとりしてるんやないか。  せやけど、もちろん水煙(すいえん)は、全部(しぼ)り取ったりはしいひんかった。ちょっとの間吸うだけで、すぐ満足していた。

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