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19-6 アキヒコ

 まあ、これから死のうみたいなことを思ってる(やつ)が、そんな取り越し苦労をするなんておかしい。現実感がない。竜太郎(りゅうたろう)が成長した(あかつき)には、俺はもういないんかもしれへんのにな。  思えば水煙(すいえん)とも短い付き合いやった。  俺が死んだら家督(かとく)竜太郎(りゅうたろう)()ぐんやないかと思えた。そやから、水煙(すいえん)を予知のために竜太郎(りゅうたろう)に貸してやり、一時手元に戻してもらったとしても、その後、大して時を待たずに俺は死ぬんやろ。そしたら水煙(すいえん)は、海道(かいどう)竜太郎(りゅうたろう)(あらた)め、秋津(あきつ)竜太郎(りゅうたろう)のものになる。  大事にしてくれるとええけどな。あいつ、水煙(すいえん)欲しそうやったし、きっと大事にしてくれるやろ。案外(あんがい)、俺よりいい当主になるに違いないよ。あいつは出来(でき)がいいみたいやしな。  俺がついついそんな考えに入っていると、水煙(すいえん)が急にまた、俺の手を(にぎ)ってきた。それにやんわり指を引かれて、はっとして、水煙(すいえん)の表情の薄い顔を(なが)めると、水煙(すいえん)もじっと俺を見た。 「そんなことはない、ジュニア。お前より秋津(あきつ)の当主にふさわしい男はいない。忘れたか、当主を選ぶのは神刀(しんとう)水煙(すいえん)や。お前が俺の使い手なんや。それを忘れるな」  言い(ふく)めるように教え、水煙(すいえん)真顔(まがお)やった。  その顔が美しいように、俺には見えてた。異形(いぎょう)の神やけど、美しい。俺を選んでくれた。俺がずっと子供の(ころ)からなりたかったもの、絵描きやのうて、秋津(あきつ)跡取(あとと)りになりたいという願いを、こいつが(かな)えてくれた。  俺はそれで、水煙(すいえん)(いと)しいんかもしれへん。(とおる)とは違う、また別の意味で、俺の長年の()えを満たしてくれた、秋津家(あきつけ)御神刀(ごしんとう)。  どう付き合えばいいか分からへんまま、(あつか)いかねて置き場にも(こま)るような(やつ)やったけど、お前も(いと)しいって、居直(いなお)って見つめると、(くら)にしまったりはせず、いつも(そば)に置いて(なが)めたいような、美しい神や。()くして(あが)めたい。  だから、ついつい無意識に、体()いてやったりしたんやろ。それも秋津(あきつ)の男の本能やんか。御神刀ご(しんとう)は俺のもの。うちの守り神やしな、お(つか)えして(あが)めたい。俺を愛してくれって、お(すが)りしたい。そういうもんやんか。  もちろん俺は、水煙(すいえん)竜太郎(りゅうたろう)()してやるのが(いや)やった。餓鬼(がき)(くさ)い独占欲とは思うけど、たとえ相手が、憎くはない竜太郎(りゅうたろう)でも、自分以外のやつが水煙(すいえん)を使うのは(いや)やねん。俺の太刀(たち)、俺のもんや、水煙(すいえん)は。 「因業(いんごう)やなあ、アキちゃん」  にこりと()ずかしそうに微笑(ほほえ)んで、水煙(すいえん)はそうコメントし、俺と手を(つな)いだまま、太刀(たち)に戻った。青白い指があった手の中には、いつの間にか太刀(たち)(つか)があった。  そこには家紋(かもん)蜻蛉(とんぼ)(かざ)られている。  水煙(すいえん)の、絵を描かなあかんなあと、俺は思った。  その絵はもう、俺の中では出来上がっていた。あとは紙に描くだけ。  あと三日しかない。描くもんだらけや。不死鳥(ふしちょう)の絵も描いてやるって約束してるし、中西(なかにし)さんにも(とおる)の絵の代わりに(かざ)る、ヴィラ北野(きたの)の絵を描いてあげたかった。  でもそれは、間に合わへん。三日であのデカさの絵は絶対に無理や。そやからせめて、草案(そうあん)だけでも。約束したんやから。  なにか描いて(のこ)したいみたいな気持ちがあったんやろか。俺は(あせ)ってた。  絵を描きたい気持ちに()られて、落書(らくが)きみたいなのでも何でもええから、とにかく自分が描いたもんをバラ()くみたいにして、人に(たく)していきたかった。  そしたら絵を見て、誰か思い出してくれるかもしれへん。  本間(ほんま)暁彦(あきひこ)という奴がいた。絵を描く子やった。そういえば、そんなん()ったなあって、いつかまた、遠い先の日に、中西(なかにし)さんも、信太(しんた)と鳥も、水煙(すいえん)も、俺を思い出すかもしれへん。(なつ)かしいなあ、って。  まさかな、と思えて、自分の死に現実感がない。そやのに(あせ)る。あと三日しかない。あと、たった三日。その日をどうやって過ごそうかって、内心(あせ)ってきて、何をしていいかわからへん。  そういう時には俺はいつも、絵を描いていた。絵を描くと落ち着く。自分と静かに向き合える。じたばたせずに、人生最後かもしれへん三日間を、尊厳(そんげん)を持って()ごせるんやないかって思えて、それでとにかく絵が描きたい。  ため息をついて、俺は(とおる)を起こしに行った。  画材屋どこやろ。北野(きたの)にそんなんあるんやろか。なんせ初めて来た(まち)や、画材屋どこあるかなんて知らへんわ。  こんな事になるんやったら、家から何か持ってきたんやけどな。思えば、ちょっと半日のつもりで出町柳(でまちやなぎ)のマンションを出て、そのまま二度と帰れへんということになる。人生って、何がどうなるか、わからんもんやなあ。  俺、ちゃんと部屋片付けて出てきたっけ。そのまま死んでもええような状態やったっけ。  俺が死んでもうた後でも、(とおる)はちゃんと後片付けしてくれるんやろか。  それとももう二度と、あの家には帰らんのやろか。  何もかも放置して、ふらっと消えてしまうんか。  最初にうちに来た時には、ほとんど何も持ってなかったあいつも、今では(わけ)の分からんモンを山ほど俺のうちに置いている。  服とかもそうやろうけど、いつの間にか買ってきてるマンガもあるし、トラッキーのぬいぐるみまである。そんな物まで放置して、あたかも俺の遺品(いひん)かのように思われたら、死んでも死にきれん。

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