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19-9 アキヒコ

 水煙(すいえん)相変(あいか)わらず()()のままで、神楽(かぐら)さんは(さや)を返すのを、うっかり(わす)れ続けている。  うっかりしすぎ。ぼやっとしすぎやねん、あんた。部屋を出るときに思い出さないというのがむかつく。何を考えてんのや、部屋を出る時。  どうせ(すぐる)さん(すぐる)さんやねん。俺もそうやったわ、(とおる)とデキてもうてすぐの頃。叡電(えいでん)定期(ていき)忘れて家を出て、取りに帰って、また忘れて出かけたりしとったわ。  そんな(やつ)に、正常な記憶力を期待しても無駄(むだ)水煙(すいえん)には当分、(さや)()らんやろうし、俺は()()のまま竜太郎(りゅうたろう)(あず)けることにした。  せめて(さや)(おさ)めろと、フロントのお姉さんに(しか)られたもんで、廊下(ろうか)を歩くだけでも、誰かホテルの人に(とが)められるんやないかとビクビクする。  俺らの部屋が三階で、竜太郎(りゅうたろう)蔦子(つたこ)さんは二階に()まっていた。  なんやよう分からん。廊下(ろうか)がうねうね曲がっている。どうしてこの四角い建物の中で、廊下(ろうか)がうねうねできるのか、絶対におかしい。  異界(いかい)やここは。霊振会(れいしんかい)が何かやってんのや。  竜太郎(りゅうたろう)の部屋は蔦子(つたこ)さんの(となり)で、うねうね廊下(ろうか)の途中にあった。2025−8という、およそホテルの部屋番号として不自然な部屋やった。  (となり)蔦子(つたこ)さん部屋が2026−8やで。変やねん。どこかに2025−1から2025−7までがありそう。うねうね廊下(ろうか)も、ここは中庭の上空とちゃうかと思えるところを横切ってるし。  俺も()きたい。中西(なかにし)さんやないけど。一体どうやって、七十五室しかないホテルに二千人ぐらい()まるのか。  蔦子(つたこ)さんは、知っているんやろか。知ってるんやったら、()いてみようと思たんやけど、俺は蔦子(つたこ)さんとは会えへんかった。  部屋の前まで行くと、そこには昨夜(ゆうべ)もスポーツ・バーにいた、銀髪(ぎんぱつ)式神(しきがみ)が待っていた。  確か啓太(けいた)蔦子(つたこ)さんは呼んでいた。眼鏡(めがね)がいかにもお(かた)そうで、ひんやりクールそうなやつや。エリート公務員(こうむいん)銀行員(ぎんこういん)、そんな感じの男。 「おはようございます」  礼儀(れいぎ)正しい会釈(えしゃく)を見せて、式神(しきがみ)は俺に挨拶(あいさつ)をした。俺も思わずそれには頭を下げた。 「約束(やくそく)どおり、水煙(すいえん)をお()しするんやけども、蔦子(つたこ)さんに会えるやろか」 「せっかくお()しいただきましたんやけど、蔦子(つたこ)さんは取り込み中です。竜太郎(りゅうたろう)予知(よち)を始めたんで、その介添(かいぞえ)えで。俺がお(あず)かりするように言われていますが、それで()(つか)えないでしょうか」  太刀(たち)を渡せと、式神(しきがみ)は言っていた。  水煙(すいえん)を、こいつに(あず)けろって。それは(いや)やで。信用してええのかどうか、分からんやないか。だいたいこいつが何者かも、俺は知らんのに。  出し(しぶ)る俺の顔を見て、(かみ)も目も銀色の式神(しきがみ)は、眼鏡(めがね)の奥でちょっとだけ笑ったようやった。 「無理ですか。大事な本家のご神刀(しんとう)やもんなあ、水煙(すいえん)様は。お高いのんは相変(あいかわ)わらずで、(いま)だに自分のおみ足では、歩くこともせえへんのですか。(なま)けてるだけですよ、(ぼん)。もっと(きび)しゅう言うてやったらええんです」 「歩けんの、水煙(すいえん)?」  びっくりしたように、(とおる)眼鏡(めがね)()いていた。 「歩けるやろう、心がけしだいでは。君かて歩けんのやから。(へび)が足()えて歩くんやったら、椅子(いす)(つくえ)でも歩けるわ。水煙(すいえん)かて、別の位相(いそう)で見たら、ちゃんと足あるやないですか? そこでは歩けるんですよ、こいつ」  うるさい、雪達磨(ゆきだるま)と、水煙(すいえん)(つぶや)いた。この位相(いそう)重力(じゅうりょく)は俺の体には重いんや、と。声でない声で。  その声はものすご冷たかった。宇宙空間の絶対(ぜったい)零度(れいど)(きゅう)に。  そういえば、この眼鏡(めがね)は何者なんやったっけ。知らんなあと(なが)める俺に、水煙(すいえん)が答えをくれた。俺に言うたわけやないんやろけど。  水煙(すいえん)は、眼鏡(めがね)相手にぺらぺらこう言うた。  地球も温暖化(おんだんか)してきてるから、お前ら氷雪系(ひょうせつけい)はつらいやろ。お気の毒やなあ、北へ帰れ。三都(さんと)にはもう雪は降らん。お前らがヘタレやからや。  (くや)しかったら雪降らしてみろ。一面銀世界(ぎんせかい)みたいなの見たら、うちのジュニアも喜ぶわ。雪、好きやから。 「……雪、好きなんですか、(ぼん)?」  眼鏡(めがね)の奥の銀色の目で、その式神はじっと俺を見た。じいっ、と見た。  思わずそれと、じいっと見つめ合うと、吸い寄せられるような目やった。  なんかね、抱かれて眠ったら気持ちええかなあ、ああもう眠ってまいそう、だんだん気が遠くなってきた、寒いけど、まあええか、マッチは()りませんか、みたいな……そんな感じ。  や、やばいで、こいつ。雪女の男版? 雪男? それってなんか違うんやないか。  だって子供の頃にトンデモ本で見た雪男って、でっかい白い(さる)とかシロクマみたいなやつやったで。  そやけど、こいつは違うで、見た目綺麗(きれい)やで。白肌(しろはだ)で、ちょっと大人っぽくて、(たよ)りがいありそうな。冷たそうやけど、抱きしめる(うで)は力がありそうな、そんな新しい世界やで。  (いや)や。俺にはそんな趣味(しゅみ)はないから!  やめてくれ、(へび)に乗るので満足してるから!  これ以上俺に、世界(ひろ)げさせんといてくれ!

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