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19-12 アキヒコ
そんなふうやったから、眼鏡 の雪男は、ずっと昔から海道家 に仕 える式 でありながら、実は信太 より序列 が下やったんや。
いこら謙 るという訳 ではないけども、それでも信太 が不死鳥 を独占 するんやと決めれば、それには逆 らわれへん。逆 らおうと思えば、タイガースとサシで戦うことになるからや。
虎 が絶好調 の夏やったし、信太 はほんまに古い神やった。温暖化による年々の猛暑 に喘 ぐ氷雪系 にとって、それは無謀 というものや。
「お前を信用してええかという疑問 もあるのに、どないしてお前の話を信用するねん」
俺は思わず信太 に、そんな冷たい態度やった。
嫌 いやったんや信太 が。好きなわけないやろ。経緯 は知ってるやろ。
こいつは俺の亨 に手を出しよったんやで。許 せへん。蔦子 さんの式神 やから、何も手出しはできへんけども、それでも好きではなかったわ。
「厳 しいわあ、本間 先生。本家 と分家 の仲 やんか。それに俺はもうじき、先生の式 になるんやで?」
けろりと笑って、信太 はそう言うた。どういう意味か、俺は悩 む顔やった。
信太 は、知らへんのかと、薄笑 いする顔になり、また煙草 をふかした。
「聞いてませんか。昨日、蔦子 さんから聞いてるんやと思ったわ。本家 に式 が足 らんから、先生のとこへ行くよう言い渡 されてます」
それには眼鏡 の式神 も、驚 いた顔をしていた。
「聞いてへんで、信太 」
「そうか。でも今言うたやろ」
銜 え煙草 でにやにや答える虎 を、いかにも真面目 そうな顔立ちに思える眼鏡 のほうは、じっと咎 めるような目で見つめていた。
「お前が抜 けたら、寛太 はどないなるんや。まさか、あいつも連れていくんか」
それは、なんという悲劇 。眼鏡 の雪男は、そんな顔して言うた。
たぶん訳 は分かってないんやろ。鳥さんが同じ家におらんようになるのは、つらいなあって、その程度の悲劇 。
そやけど信太 はもっと、堂 に入 った悲劇 を想定 していたはずや。参 ったなあというような、苦い笑みで首を振 っていた。
「連れていかへん。置いていく。啓 ちゃん、あとは宜 しく頼 むわな」
「宜 しく、って……どないなっとうのや。独占 するとか言うてたと思ったら、今度は捨てていくなんて。訳 わからへん。無責任 やと思わへんのか」
「うん。まあ、そうやな。無責任 やろけどな……連れてくわけにいかへんからな。お前が、なんとでも、ええように言うといてくれ」
宜 しく頼 むという口調の信太 の顔を、啓太 は銀色 の目でじっと見た。それは咎 めるような目で、かなり冷たいもんやった。
「言うてへんのか。言わんと行くつもりか」
「そのつもり」
大きく頷 いて、信太 は薄 く微笑 んでいた。
それについては、じっくり考えた結論やというふうに、俺には聞こえた。
それでも今その話を聞かされたばかりの氷雪系 には、なんて冷たい話やと、思えたんやろう。
「ちゃんと言うてやれ、信太 。話せば分かるよ。あいつもお前が思ってるほどアホやないで。ちょっと、ぽかんとしてるだけや。深く考えてへんねん。自分で考えんでも、お前が考えてくれると思っとうのや」
「それなら今後はもうちょっと、あの鳥頭 も回るようになるやろ」
信太 はほんまに情 けなそうにそう話し、うつむきがちに煙 を吐 いた。それはまるで、ため息のように見えた。あるいは、吐 き出された魂 みたいに。
啓太 はその正体 そのままの、ひどく冷たい顔をして、もう諦 めたように信太 を見下ろしていた。
「……冷たいな。お前はもっと熱い奴 やと思うてたわ。もう、飽 きてもうたんか。何日も経 ってへんのに。俺はあいつが、可哀想 やわ」
「じゃあ、お前が慰 めてやればいいよ。信太 は飽 きてどっか行ってもうたしな、もう帰って来ないって言うといてくれ。それであいつも、諦 めるやろ」
そうやなあ。諦 めるやろ。新しい相手がいて、そいつが優 しくしてくれれば、きっと忘れてしまうやろ。アホやしな。三歩歩けば忘れてもうてる鳥頭 なんやから。
信太 はそういうふうに、思ってたんやろ。それが事実というよりも、そうなんやないかと恐 れてた。
もしくは、そうであればいいがと、願 ってた。
俺が亨 に、お前にはどうせすぐ、新しい相手ができる。俺がおらんようになっても、長く一人で泣いてはいないやろうと思ってたように。
「中に居 るんやろ?」
扉 の奥の部屋の中を視線で指して、信じられへんという声色 で、啓太 は訊 いた。
それは言葉のとおりの質問ではなく、もうすぐ捨 てていくと言うてる当の相手が部屋の中に居 るのに、お前はどういう神経 なんやという意味やった。
「まだ寝てる」
「飽 きたんやったら、せしめるのはやめたらどうや」
「まあまあ、啓 ちゃん、そう言うなやで。まだええやん。俺が蔦子 さんとこに居 とう間はな、俺のもんやで。ぐらっとくるまでの我慢 やないか。地震まであと三日や。そう焦 らんでも、もうすぐなんやで?」
もう吸い終えた煙草 の先の、赤く灯 った火をじっと見て、信太 は困 ったような、淡 い笑みやった。
灰皿 ないしな、廊下 は禁煙 やし。消すとこなくて、どうしようかなと思ってんのか。
それとも、もうすぐ燃え尽 きそうやなあと、思ってんのか。
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