249 / 928

19-12 アキヒコ

 そんなふうやったから、眼鏡(めがね)の雪男は、ずっと昔から海道家(かいどうけ)(つか)える(しき)でありながら、実は信太(しんた)より序列(じょれつ)が下やったんや。  いこら(へりくだ)るという(わけ)ではないけども、それでも信太(しんた)不死鳥(ふしちょう)独占(どくせん)するんやと決めれば、それには(さか)らわれへん。(さか)らおうと思えば、タイガースとサシで戦うことになるからや。  (とら)絶好調(ぜっこうちょう)の夏やったし、信太(しんた)はほんまに古い神やった。温暖化による年々の猛暑(もうしょ)(あえ)氷雪系(ひょうせつけい)にとって、それは無謀(むぼう)というものや。 「お前を信用してええかという疑問(ぎもん)もあるのに、どないしてお前の話を信用するねん」  俺は思わず信太(しんた)に、そんな冷たい態度やった。  (きら)いやったんや信太(しんた)が。好きなわけないやろ。経緯(けいい)は知ってるやろ。  こいつは俺の(とおる)に手を出しよったんやで。(ゆる)せへん。蔦子(つたこ)さんの式神(しきがみ)やから、何も手出しはできへんけども、それでも好きではなかったわ。 「(きび)しいわあ、本間(ほんま)先生。本家(ほんけ)分家(ぶんけ)(なか)やんか。それに俺はもうじき、先生の(しき)になるんやで?」  けろりと笑って、信太(しんた)はそう言うた。どういう意味か、俺は(なや)む顔やった。  信太(しんた)は、知らへんのかと、薄笑(うすわら)いする顔になり、また煙草(たばこ)をふかした。 「聞いてませんか。昨日、蔦子(つたこ)さんから聞いてるんやと思ったわ。本家(ほんけ)(しき)()らんから、先生のとこへ行くよう言い(わた)されてます」  それには眼鏡(めがね)式神(しきがみ)も、(おどろ)いた顔をしていた。 「聞いてへんで、信太(しんた)」 「そうか。でも今言うたやろ」  (くわ)煙草(たばこ)でにやにや答える(とら)を、いかにも真面目(まじめ)そうな顔立ちに思える眼鏡(めがね)のほうは、じっと(とか)めるような目で見つめていた。 「お前が()けたら、寛太(かんた)はどないなるんや。まさか、あいつも連れていくんか」  それは、なんという悲劇(ひげき)眼鏡(めがね)の雪男は、そんな顔して言うた。  たぶん(わけ)は分かってないんやろ。鳥さんが同じ家におらんようになるのは、つらいなあって、その程度の悲劇(ひげき)。  そやけど信太(しんた)はもっと、(どう)()った悲劇(ひげき)想定(そうてい)していたはずや。(まい)ったなあというような、苦い笑みで首を()っていた。 「連れていかへん。置いていく。(けい)ちゃん、あとは(よろ)しく(たの)むわな」 「(よろ)しく、って……どないなっとうのや。独占(どくせん)するとか言うてたと思ったら、今度は捨てていくなんて。(わけ)わからへん。無責任(むせきにん)やと思わへんのか」 「うん。まあ、そうやな。無責任(むせきにん)やろけどな……連れてくわけにいかへんからな。お前が、なんとでも、ええように言うといてくれ」  (よろ)しく(たの)むという口調の信太(しんた)の顔を、啓太(けいた)銀色(ぎんいろ)の目でじっと見た。それは(とが)めるような目で、かなり冷たいもんやった。 「言うてへんのか。言わんと行くつもりか」 「そのつもり」  大きく(うなず)いて、信太(しんた)(うす)微笑(ほほえ)んでいた。  それについては、じっくり考えた結論やというふうに、俺には聞こえた。  それでも今その話を聞かされたばかりの氷雪系(ひょうせつけい)には、なんて冷たい話やと、思えたんやろう。 「ちゃんと言うてやれ、信太(しんた)。話せば分かるよ。あいつもお前が思ってるほどアホやないで。ちょっと、ぽかんとしてるだけや。深く考えてへんねん。自分で考えんでも、お前が考えてくれると思っとうのや」 「それなら今後はもうちょっと、あの鳥頭(とりあたま)も回るようになるやろ」  信太(しんた)はほんまに(なさ)けなそうにそう話し、うつむきがちに(けむり)()いた。それはまるで、ため息のように見えた。あるいは、()き出された(たましい)みたいに。  啓太(けいた)はその正体(しょうたい)そのままの、ひどく冷たい顔をして、もう(あきら)めたように信太(しんた)を見下ろしていた。 「……冷たいな。お前はもっと熱い(たつ)やと思うてたわ。もう、()きてもうたんか。何日も()ってへんのに。俺はあいつが、可哀想(かわいそう)やわ」 「じゃあ、お前が(なぐさ)めてやればいいよ。信太(しんた)()きてどっか行ってもうたしな、もう帰って来ないって言うといてくれ。それであいつも、(あきら)めるやろ」  そうやなあ。(あきら)めるやろ。新しい相手がいて、そいつが(やさ)しくしてくれれば、きっと忘れてしまうやろ。アホやしな。三歩歩けば忘れてもうてる鳥頭(とりあたま)なんやから。  信太(しんた)はそういうふうに、思ってたんやろ。それが事実というよりも、そうなんやないかと(おそ)れてた。  もしくは、そうであればいいがと、(ねが)ってた。  俺が(とおる)に、お前にはどうせすぐ、新しい相手ができる。俺がおらんようになっても、長く一人で泣いてはいないやろうと思ってたように。 「中に()るんやろ?」  (とびら)の奥の部屋の中を視線で指して、信じられへんという声色(こわいろ)で、啓太(けいた)()いた。  それは言葉のとおりの質問ではなく、もうすぐ()てていくと言うてる当の相手が部屋の中に()るのに、お前はどういう神経(しんけい)なんやという意味やった。 「まだ寝てる」 「()きたんやったら、せしめるのはやめたらどうや」 「まあまあ、(けい)ちゃん、そう言うなやで。まだええやん。俺が蔦子(つたこ)さんとこに()とう間はな、俺のもんやで。ぐらっとくるまでの我慢(がまん)やないか。地震まであと三日や。そう(あせ)らんでも、もうすぐなんやで?」  もう吸い終えた煙草(たばこ)の先の、赤く(とも)った火をじっと見て、信太(しんた)(こま)ったような、(あわ)い笑みやった。  灰皿(はいざら)ないしな、廊下(ろうか)禁煙(きんえん)やし。消すとこなくて、どうしようかなと思ってんのか。  それとも、もうすぐ燃え()きそうやなあと、思ってんのか。

ともだちにシェアしよう!