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19-17 アキヒコ
そして、撫 でてる信太 の手をふりはらい、すねたように部屋の中に戻っていった。
足早 に去る白く骨張 った踝 が、ホテルの肉厚 の絨毯 を踏 むのが目に焼き付くように見え、俺はまたそれから、目を背 けていた。
俺、最近ちょっと、足に萌 えんねんけど、亨 のせいか。変なモン、うつされてる。
「寛太 な、ちょっと変やねん……お前らと、このホテルで飯 食ってから。めちゃめちゃやりたいらしい。飯 の後にも、ラブホ行って何回もやらされた。体が燃えそうなんやて。前にも増 して、俺のこと好きすぎて」
にやにや話す信太 の話に、亨 はガーンみたいな羨望 の顔をした。
なにが羨 ましいことあるんや。俺もお前の蛇 並 みのエロさを満足させるために日夜 頑張 ってるやろ。
その話にショックを受けたのは俺と亨 だけやなかった。ごほんと、いかにもわざとな咳払 いが聞こえた。
「ああそうか、すまんな啓 ちゃん、まだおったんや」
ほんまに忘れてたんか謎 な口調で、信太 は隣室 の戸にもたれていた眼鏡男 の渋面 に、片手で拝 む仕草 をしてみせていた。
「体鍛 えときや、啓太 。寛太 ちょっと変なってきてるで。エロいでえ。あいつ炎 系 やしな、お前、溶けてまうんやないか」
冷やかすように言うて、信太 はため息をついた。
その呼気 には香木 のような、独特 の芳香 が、さっきまで吸っていた煙草 の残 り香 として匂 っていた。
信太 の指に挟 まれていた、吸い終わった燻 る煙草 は、もう持ってられへんくらいに短く燃え尽 きていた。
「あかんわ、これは。灰皿灰皿。火傷 しそうや」
独 り言 みたいにぼやいてみせて、信太 は部屋に引っ込むそぶりを見せた。
そのまま去るのかと眺 めると、虎 はさも当たり前のように空 いているほうの手をさしだして、指輪の痕 のある指で招 き、俺に促 した。
「水煙 。預 かりますから。啓太 があかんのやったら、俺のこと、信用してください。貸 すって約束 でしょう。俺は蔦子 さんの式神 や。本家 のご神刀 に悪さして、主 に恥 かかせたりしませんよ」
確かに、そうかもしれへん。蔦子 さんの命令通り、鯰 に食われようという男や。この式神 は忠実 な性分 らしい。
こいつに渡 していけばええよと、水煙 が俺に囁 いていた。
話していても、蔦子 さんが出てくる訳 でもないようや。朝飯 すまして、亨 と街行っておいでと、水煙 は俺にすすめた。
それには有 り難 く、従 うしかない。俺はどんどん過 ぎる時間に焦 っていたし、亨 は早く、ふたりきりで出かけたそうやった。
ほな行ってくるよ、水煙 。また様子 見に来るからと、俺は心で太刀 に語った。
様子なんか、見に来 んでええよ。新婚 さんやし、お邪魔 やろうと、水煙 は笑っていたけど、それはちくりとした皮肉 やった。
我慢 できるもんと、できへんもんがあると、水煙 は俺に言っていた。
そして、俺はまた水煙 が、我慢 しづらいことをしてみせた。亨 と結婚して、同じ指輪を填 めている。でも水煙 は鳥さんみたいに、指輪くれとは強請 らへん。
強請 れば俺は、もしかすると、指輪くらいは買 うてやってたかもしれん。安いモンやで、それくらい。
けどそれは、ただの輪っかや、たまたま同じのをしているだけやと、アホな虎 が言うてたような、嘘 みたいな理由をつけて、なんとか哀 れな水煙 に、ちょっとでも罪滅 ぼししようかと、焦 って決めていたかもしれへん。
そんなことしても、意味はない。それは嘘 や。水煙 は別に、罪滅 ぼしの指輪が欲しいわけやない。
そもそも指輪なんて欲しくもないやろ。水煙 はたぶん、自分だけを愛してもらいたかった。でも、こいつはそれを、諦 めるのに慣 れすぎてる。
なんで水煙 は、自分が太刀 の姿でない、人に近い形になれることを、ずっと忘れていたんやろ。
太刀 やからやと、自分を納得させておくためか。
いくら酔狂 でも、道具類と一生一途 に添 い遂 げるようなアホはいいひん。秋津 の当主が式 を飼 うのはお家 のためで、そうせな仕方 がないからや。
そやから、仕方 がないと、そう思える理由が欲しいだけと違うんか。
そうして何世代もの当主の手から手へ受け継 がれる間、水煙 はずっと、人界 では触 れれば切れそうな鋭利 な姿のままでいた。
それが今になって、俺の手に引き継 がれたとたんに、しなだれかかる柔 な姿で、うっとり抱かれることにしたんは、何故 なんや。
おとんと同じ布団 で寝ても、水煙 は変転 しなかった。だけど俺の傍 では、なるべく人の姿でいたいんやと言う。
それは俺に抱かれたいからや。辛抱 できひんから。
それほどまでに好きやからや。
そう思うのは、アホなジュニアの自惚 れか。
差し出された信太 の手に、俺は抜 き身 の水煙 を預 けた。
やっぱり神楽 さんに鞘 を返してもらえば良かったと、俺はその時後悔 していた。
裸 のままで水煙 を、虎 の手に渡 したような気がして、俺はそれに妬 けたんや。
まさか水煙 は、俺の手を離れたところで、あの青い姿に戻りはしいひんやろうと、祈 るような気持ちで信じた。
もしもそうなっても、咎 め立てできる立場やないけど、自分の足では立てへん水煙 が、どこへ行くにも信太 に抱かれていくんでは、俺もつらいし、鳥さんもまた、胸でも焼けたような顔をするやろ。
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