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20-2 トオル
アキちゃんは、去年のクリスマス・イブの夜、京都のホテルのバーで俺を見て、なんて綺麗 なやつや、この世のモノと思われへんと、一目惚 れしたらしい。
せやけど、見てみ、今となっては、面食 いのアキちゃんが一目惚 れするような連中 ばっかりが、ヴィラ北野 にうじゃうじゃいてる。
早まったかな、って、アキちゃん思ってんのとちゃうか。
水地 亨 は大したことない。あの頃、俺は初心 やった。むしろ標準 みたいなやつが、この世で最高みたいに思えて、めちゃめちゃ惚 れてもうたけど、実は大したことなかったんやって、今さら気がついて、後悔 してたらどうしようか。
でも、もう、俺も今さらそんなん言われても困 る。だってアキちゃんの他に、俺には行くとこないんやもん。行きたいところもない。
なんでやろ。出会って、随分 たつんやで。それこそ何千回もキスもした。毎晩抱き合って寝ているし、果 ては結婚までしたで。
それでも相変 わらず思う。
アキちゃん、俺のこと、捨てんといて。ずっと傍 にいさせてくれって。
でも、もう、アキちゃんに縋 ってそれを言うのは癪 や。その程度 には、俺もスレてもうたわ。
自分がアキちゃんのツレで、相方 やって、それが当然になってきて、そんなこと、いちいち頼 みたくない。お願いやからって、泣きつかんでも、それが俺の当然の権利であってほしい。
アキちゃん、水煙 より、鳥さんよりも、俺ことが好きやろ。
そうや、っていう目で、俺を見てくれ。だって新婚さんなんやから!
そうやろ? 結婚生活、初日 やで?
そやのに、うちのツレときたら、お手々つないでホテルのロビーまで降りてきたところで、例のDJと出会って、何が恥 ずかしかったんか、照 れたみたいに、ぱっと手を離した。
でももう見られた後やで。階段ホールからロビーに出てすぐの、赤い砂色の壁 にもたれて、湊川 怜司 はにやにや煙草 を吸っていた。
アキちゃんはもちろんそれに、顔をしかめた。煙草 の煙 、嫌いやねんしな。
普通の人間どもが吸うのに比 べて、独特の芳香 が強い。そんな悪い臭 いではないけど、アキちゃんは嫌 みたいやった。
たぶん何か、呪術 めいた臭 いがする。外道 が甘く酔 うような、そんな香木 か樹脂 か、そんなもんが入ってる。
たぶん乳香 とか、伽羅 や抹香 、白檀 とかや。
俺にはけっこう、いい匂 いやねんけども、アキちゃんはたぶん、鼻の利 く子なんやろ。いい匂 いでも、強い臭 いは嫌 なんや。
「おはようございます、本間 先生。朝からお熱いなあ」
にやにや冷やかす口調のDJは、確かに煙草 吸う手に髑髏 の銀の指輪をしていた。信太 が鳥さんに強請 られて、くれてやってたのと同じもんやわ。
ひどい話やで、それも。信太 の野郎 。てめえは鳥が淫蕩 や、誰とでもやるって嘆 いたくせに、自分は一体どうやねん。左右に髪の毛長いのを侍 らせて、なかなかいいご身分やないか。
同情してやって損 した。悪い虎 やったんや。うっかりエッチせんでよかったわ。してたらきっと、もっとムカついてたで。
きっとDJもムカついている。そうに違いない。
だって信太 がくれてやった指輪を十年以上もずっと、身につけてるんやろ。
信太 のことが好きなんや。まさか髑髏 が好きってオチやないよな。そんなんアホみたいすぎる。
「廊下 は禁煙 なんやで」
「いや、ここはロビーやから。ロビーは吸 ってもええんやで」
にこにこした綺麗 な顔で、DJはアキちゃんの忠告を無視した。
微妙なところやった。確かにロビーの外れやけども、ここから一階の客室に行く通路が始まっている。だから廊下 と言えなくもない。
お前は藤堂 さんを知らんやろうから、自分に都合よくこのホテルを解釈 しているやろうけど、ロビーの床 には白大理石のタイルが敷 いてあるやろ。
ほんで、俺らが今立っているところの床 は、明るい粘土色 の陶器 タイルやろ。
それはな、お前らの立っているところは廊下 やと、そういう意味やねん、藤堂 さん的には。床 が変わったところまでで、ロビーは終了やねん。
でもまあ、知るかやで。俺のホテルやないしな。廊下 は禁煙 なんて知るか。
それにロビーはちょっと、朝やというのに賑 やかやった。何やかんや搬入 してきている業者 が居 ったりして、何かのイベントの準備でもしているみたいやった。
いつもの藤堂 さんやったら、そういうことは客のいない深夜にひっそりやらせている。この時それを妥協 したんは、時間がなかったからや。
美学 はあるけど、突き詰めれば現実的 な男やねん。他に手はないと思ったら、美学 よりも実利 を取る人や。
けどな、そうやって組んでいるイベント用のセッティングが、どう見てもラジオの収録 スタジオやった。
もともと置かれてあった黒いグランドピアノの横にそれはあり、にょろにょろと色とりどりのケーブルが、優雅 でゴシックやったはずのロビーの床 を這 い回っていた。
なんでこんなもんがヴィラ北野 のロビーに。
ありえへん。藤堂 さんの世界観 的 に。
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