263 / 928

20-8 トオル

「雨やから、ガーデンテラスの朝飯(あさめし)はないですよね」  アキちゃんはまるで、大人しいイイ子みたいな、(おだ)やかな話しぶりで、藤堂(とうどう)さんに()いていた。  藤堂(とうどう)さんにも、アキちゃんは(この)ましいらしかった。  そらそうやろ、このオッサン、上品(じょうひん)で頭のいい、お育ちええ子が好きなんやから。  悪かったですね、どうせ俺は下品(げひん)でアホでガラ悪いですよ! 「庭ではないです」  雨の降ってる中庭を見て、藤堂(とうどう)さんは答えた。 「代わりに、少ないですけど室内に席がありますし、二階のリストランテでもイタリアンな朝飯が食えます。(よう)も二階に()るはずやから、一緒に朝飯食ってやってください。一人で食いたないって、朝からめちゃめちゃ怒ってましてね。ほな、外のいつもの店行こうかって言うたら、さらに猛烈(もうれつ)に怒ってもうて、もう、あかん」  もうダメ宣言(せんげん)をして、藤堂(とうどう)さんはめちゃめちゃ(ほが)らかやった。  お仕事モードやからか、それとも、焼き(もち)焼いて怒ってる神父が、よっぽど面白かったんか。 「朝飯抜きです」  むっちゃ(さわ)やかに、藤堂さんはアキちゃんに教えた。  神楽(かぐら)(よう)がいかに怖いかという話らしかった。  でも、それは、藤堂(とうどう)さん的にはノロケ話みたいなもんなんやろう。怖いのが好きなんやもん。  俺もキレると、このオッサンに、いろんな事をした。  藤堂(とうどう)さんが心血(しんけつ)(そそ)いだ、()の打ち所のない内装(ないそう)のインペリアル・スイートに、火つけてやったこともある。一度ではなく何回も。  それも()かんようになったら、実は、その部屋のテラスから、飛び降りたことがある。投身(とうしん)自殺(じさつ)やな。  そういやあの部屋も、()しくも十一階やった。俺が犬に(おそ)われて、(たた)き落とされた京都駅のビルと同じ高さや。  でも、ホテルの部屋から落ちた時、俺はさほど(こた)えてへんかった。  駅ビルの時に死にかけたのは、その前にワンワンにさんざん痛めつけられたからやったし、それに俺は傷ついていた。アキちゃんが浮気(うわき)したって事に。それで死にそうなってたんや。  インペリアル・スイートから落ちた俺を見て、死にそうやったのは、むしろ藤堂(とうどう)さんのほうやった。  そらまあ、(こた)えたやろうなあ。俺は実際死んでたし、死体やのに生きていた。不死系(アンデッド)やからな。  それを見て、藤堂(とうどう)さんは、ますます俺が怖くなった。  俺はちょっと、困らせてやろうと思っただけやったんや。ホテルの窓から人落ちて、午前中にはもう、結婚式したやつらの写真撮りますていう庭の石畳(いしだたみ)が、血の海なってるやなんて、藤堂(とうどう)さんは支配人として(あせ)るやろうと、そう思っただけやねん。  俺はあん時、(ふる)えている藤堂(とうどう)さんを初めて見た。  怒りもせんかったし、心配して泣きもせえへんかったけど、もう死にそうやという顔やった。  実際、ショックで死んだかもしれへん。だって、(がん)で、いつ死んでもおかしない体調やったもんな。  俺の血飲んだら、不死(ふし)になれるでと、俺は教えてやった。  ただし、俺と同じく悪魔(サタン)(へび)眷属(けんぞく)の、外道(げどう)やけどな。  人間界とはおさらばや。それでも死ぬよりマシなんと違うかなと、俺は(さそ)った。  ずっと一緒に、俺と生きていってくれよって。永遠に。  でもその時は、このオッサンは(こば)んだんやで。  (いや)やったんやろ。俺は化けモンなんやと、藤堂(どうどう)さんは思った。  そんなモンになるくらいなら、大人しく死んだほうがマシやって、覚悟(かくご)決めたんやないか。  だって可愛(かわい)い娘もおるんやし、それがあの頃はまだ大学生なんやし、娘にとっては、化けモンなったおとんがおるよりも、おとんが死んでていないほうが、まだしもマトモやと、藤堂(とうどう)さんは思ったんやろ。  それが結局、こんなんなってもうて。  血、飲んどきゃよかってん、あの時。絶対、誰にもバレへんかった。  確かに、えらい若返ってきてて、とても五十代には見えへんけども、でも、誰もあんたが人間やないとは気がつかへんやろ。  こっちのコースに来たかて、どうせ娘にはふられたんや。いつまでも年取らへん男なんか変やもん。娘の旦那(だんな)やその家族に合わせる顔がない点では、似たようなもんやで。  俺とふらっと消えたかて、おんなじやったやんか。おとん死んでる奴が普通なように、おとんが失踪(しっそう)した奴かて、大して(めずら)しくない。  でも、もし、そうしてたら、この人はこのホテルにはいてへんかった。どこに()たやらわからへん。  結局マトモな行き場なんて、なかったんかもしれへん。俺と行っても幸せには、なられへんかった。今みたいには。  それが正直、ちょっと切ない。  俺もちょっと恥ずかしながら、あの当時には、抱いてくれへんのやったら飛び降りて死んでやるからなって、それほど思い()めたのに。  病気やったで、お(たが)いに。病んでたわ、俺も。  きっと、去年のクリスマスらへんが、もう限界(げんかい)いっぱいで、俺は清水(きよみず)の舞台から飛び降りるようなつもりで、アキちゃんについていったんやけど、そのほうが良かったな。  まあ、十一階からもういっぺん落ちてみるよりは。  結局落ちたけど、もう一回。京都駅から。 「湊川(みなとがわ)さんですよね、KISS FM(キス・エフエム)の」  藤堂(とうどう)さんはまた、若干(じゃっかん)ふにゃふにゃなっている湊川(みなとがわ)のほうに向き直って、手にはそいつから(うば)った煙草(たばこ)を持ったまま、愛想(あいそう)よく()いた。

ともだちにシェアしよう!