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20-11 トオル

「仕事の話、してええかな?」  でもちょっと、さすがに気まずいみたいに、藤堂(とうどう)さんは優しく()びるような口調やった。  湊川(みなとがわ)はそれに、痛恨(つうこん)の表情で(うなず)いていた。 「ロビーで話そうか。支配人室まずいから。地下やし、ちょっと密室(みっしつ)やからね、あそこは」  藤堂(とうどう)さんはやっと、俺の忠告を理解したらしい。そんなことを言って、趣味のええ豪華(ごうか)ソファのいっぱいあるロビーのほうへ、湊川(みなとがわ)(うなが)した。  ()(ぎわ)、じとっと冷たい目で、ラジオはアキちゃんを見た。 「先生……(うら)むから」 「えっ、なんで?」  ラジオの(うら)宣言(せんげん)に、アキちゃんはマジでボケていた。  俺は代わりに(あやま)りたかった。うちのジュニアがほんますんません。アホな子なんです、許してやってください。  ラジオで悪口言わんといてください。まだまだこれからの新人なんで、(つぶ)さんといてやってください。  立ち去る二人を見送りながら、俺はアキちゃんに提案(ていあん)した。 「(めし)、外で食おか」 「えっ、なんで?」  アキちゃんは俺にもボケていた。  なんでって。二階のリストランテで神楽(かぐら)(よう)(めし)食う気なんか。  今、お前の(すぐる)さん、オッサンに気がある美形のDJとロビーで打ち合わせしてるけど、大丈夫かなあって話すんのか。  神父、発狂すんで。それとも、我慢(がまん)すんのかなあ。どっちにしろ気まずいで。  それがひどいって思うのって、俺が焼き(もち)焼きやからかな。  我慢(がまん)せな、あんまりうるさく言うたら、アキちゃんに(いや)がられるやろうと思って、なるべく(だま)ってんのやけど、俺はアキちゃんが水煙(すいえん)(やさ)しいのも(いや)やし、二人で話してんのも(いや)やねん。  他の誰でも一緒やで。ほんまは俺は、アキちゃんには俺とだけ話しててほしいし、俺だけ見といてほしいねん。独占したいしな、他のやつに(さわ)らせたくない。  我慢(がまん)してんねん。せやから、我慢(がまん)したぶん、二人っきりの時には、めいいっぱい(やさ)しくしてほしいんやけどなあ。  俺、(さび)しいねん。アキちゃん。なんで神父と三人で(めし)食わなあかんの。  やっと二人っきりになったんやで。そろそろ(やさ)しくしてくれよ。  でも、アキちゃんも(にぶ)いしな、言うてやらな分からへん。  俺ってたぶん、そういうのがツボに来るんやろうな。変態(へんたい)やねん。  この、つれなくて、(にぶ)さ爆発みたいなのが、ええねん。気がついて、(やさ)しくしてくれたときの(うれ)しさが、また、ひとしおで。 「アキちゃんと、ふたりっきりがええねん。新婚(しんこん)さんやんか?」  ()ずかしいのも我慢(がまん)して、俺が教えてやると、アキちゃんはちょっと、たじろいでいた。  たぶん、()れたんやろ。ちょっとうつむき、それからおもむろに、俺の手を(にぎ)ってくれた。 「そうか。そうやな。先に三ノ宮(さんのみや)行って、そこで簡単に(めし)食おうか。二階の店は戻ってきてから、ゆっくり昼飯でも行ったらええわ。あそこ、美味(うま)かったやん」 「アキちゃん和食党(わしょくとう)のくせに、案外、パスタ好きやなあ。さすがは(めん)食いや」  俺がからかう冗談(じょうだん)を言うと、アキちゃんは俺が、(にく)ったらしいけど、可愛(かわい)いやつやという、苦笑みたいな顔をした。  その、俺を好きそうな目が、俺には(うれ)しかった。  ラブラブ。ラブラブしてるやん。これですよ、これ。新婚(しんこん)さんムード。 「なんやねん、アホか。和食党(わしょくとう)って、まだこだわってんのか。確かに基本はそうやけど、でも俺は別に、和食でないとあかんわけやないで。お前が前に作ってた洋食系の(めし)も普通に美味(うま)かったで。今はむしろ、お前の三食和食責めで()えてて、パン食いたいぐらい」  そんなんやったら早う言え。トキメくみたいな顔しつつ、そんなこと今さら白状(はくじょう)するな。  大阪の事件以来、家でいっぺんも和食でない(めし)を食わせたことないわ。どうりで外食するとき、洋食系ばっかり選ぶと思うたわ。  蔦子(つたこ)さんちのや、朝飯屋(あさめしや)のトーストも、えらい美味(うま)そうに食うとったしな。実は()えとったんか。 「ほな、パン系行こか。神戸はパン美味(うま)いでえ」  古くから西欧人(せいおうじん)居留地(きょりゅうち)やったんやからな、ほんまもんのパン屋があるで。  アキちゃんが怒らんふうやったんで、俺は調子(ちょうし)に乗ってアキちゃんと(うで)を組んだ。  ロビーのソファには藤堂(とうどう)さんがいて、うんざり顔のラジオと話していたけども、俺はその目は気にせずアキちゃんにべたべた甘えてそこを通った。  俺、今、幸せやねん、藤堂(とうどう)さん。これが俺の幸せなときの顔やねんで。  あんたは、滅多(めった)に見たことなかったやろ。とっくり見とけ。そして後悔(こうかい)しろ。  俺がお前を幸せにしてやりゃ良かったって、チクリと(せつ)ない(むね)の痛みでも、感じたらええわ。  でも、仕事の鬼が仕事の話をしているときに、そんなことまで気を回したか、俺には分からん。  どうでもええねん。もう俺の男やないし、過去やから。  今はアキちゃんが俺の肩抱いて、にこにこしていてくれてるし。そんな貴重な二人っきりの時を、他のことで(まぎ)らわせたくない。  エントランスに出ると、配車係(はいしゃがかり)がてきぱきと、アキちゃんの車を回してきてくれた。  車寄(くるまよ)せには屋根があるから、ずぶ()れなったりせえへんのやけど、俺は(うら)めしかった。  せっかくアキちゃんとデートやのに、雨やなんて。  (かさ)さして歩くのもええけど、それやと、今イチいちゃつかれへんやんか。

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