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20-12 トオル

()れればええのに!」  俺は(うら)んで、天に呼びかけた。  ()(まま)やけどな、元はといえば、俺が泣いたし、それに感じてもらい泣きしてくれた天地(あめつち)や。せやけどもう、悲しないねん。もうやめて。いつまでも泣いてたところで意味ないで。  死を思え(メメント・モリ)や、(とら)もそう言うてたやんか。  俺とアキちゃんにはもう、死は永遠にやってこない。せやけど、この格言(かくげん)はためになる。  死を思え(メメント・モリ)今日を楽しめ(カルペ・ディエム)や。  ヨーロッパにペストが大流行して、人口の四分の一が死んだ。その(ころ)できた格言(かくげん)や。  四人に一人が死んだってことやで。自分の家族や友達が、四人おったら、そのうち一人は確実に死んだということや。どんな恐ろしい病魔(びょうま)やったか、それで分かるやろ。  その時、ヨーロッパの人々は考えた。人間なんて、(はかな)い。いつ死ぬかわからへん。一日一日を、楽しんで生きなあかん。後悔(こうかい)することがないように。  たとえ永遠に生きる、俺でもそうやで。アキちゃんと()ごす今日は、今日この一日だけで、明日はまた違う日やねん。めいいっぱい今日を楽しまなあかん。 「()れさせてえな、アキちゃん。できるやろ。(にじ)出して、(にじ)縁起(えんぎ)がええから」  べたべた甘えて、アキちゃんにお強請(ねだ)りすると、困ったなあという顔をされた。  アキちゃんは、俺の腕からむっちゃ逃げたそうやった。そらそうやろな。配車係(はいしゃがかり)がにこやかにガン見やし。  せやけどそいつは、プロやからか、それとも妖怪ホテル()したヴィラ北野(きたの)では、今さらもう(おどろ)くに(あたい)しない光景(こうけい)やったのか、まったく平気そうやった。  ただひたすら微笑(ほほえ)ましそうに俺とアキちゃんを(なが)めていた。  配車係(はいしゃがかり)もドアマンも、新たに到着(とうちゃく)した客の荷物(にもつ)を取りに来た、ワゴン押してるベルガールも。  さすが藤堂(とうどう)さん、社員教育徹底(てってい)してる。実は全員ドン引きなんかもしれへんけどな! 「そんなん急に言われても……」  アキちゃんはいつもの引っ込み思案(じあん)で、そんなふうに言うていた。 「できるって、ほんまに。俺は信じてる。キスしてやろか。そしたら楽しい気持ちになって、うきうきしてきて、空もぱあっと()れるかもしれへんで」  きっとそうやという口調で言って、俺は引いてるアキちゃんの首に両腕で食らいつき、無理矢理チューをしてやった。  ええねん新婚(しんこん)さんやからええねん。何してもええねん、Just Married(ジャスト・マリード)(結婚したて)やから。  アキちゃんは()れて、その抱擁(ほうよう)を一瞬(こば)もうとしたけど、なんでかすぐに(あきら)めた。  そして抱きつく俺を、もっと強い(うで)で抱き返してきて、超熱烈(ちょうねつれつ)なキスをしてくれた。  うわあ。どないしたんやジュニア。ちょっと(しび)れた。  いや、ほんま言うたら、相当(そうとう)(しび)れた。  やっぱやめよか、三ノ宮(さんのみや)行くの。とって返して部屋に戻って、ちょっと(おそ)めの朝エッチを。  俺はそんな(うる)んだ目で、キスを終えたアキちゃんを見たけど、アキちゃんは(にぶ)かった。部屋行こかとは、()いてくれへんかった。  その代わりに、(まぶ)しそうな目で俺を見て、(にじ)は出てるかと()いた。  俺とアキちゃんは、どれくらいの間、そこでチュウチュウしてたんかなあ。  ()われてみて、ふと見たら、雨は上がっていた。  未だにポタポタと雨垂(あまだ)れが、あちこちから()れているけども、車寄(くるまよ)せにかかる優雅(ゆうが)にカーブした装飾(そうしょく)屋根(やね)の向こうに見える神戸の空は、(まぶ)しいような(あざ)やかなブルーやった。  そしてそこに、絵に描いたような、くっきり七色の、でっかい(にじ)がかかっていた。  アキちゃんが絵描くときに作るような、綺麗(きれい)(やさ)しい色の(にじ)やで。  この絵はほんまに、よう描けてるわ。アキちゃんはほんまに、絵が上手(じょうず)やなあって、俺は感動した。  ホテルのドアを守るはずのドアマンたちも、さすがに人の子や。綺麗(きれい)(にじ)やなあって、(おどろ)いて(のぞ)き見るような仕草(しぐさ)をしていた。  アキちゃんの絵は、(みんな)の目を()き付ける力があるんやと思う。そして見る人になにか、力を(あた)えてくれる。  アキちゃんより(すご)い天才も、絵の世界にはいてるかもしれへんけど、空に絵描けるんは、そうそうおらん。俺のツレならではや。 「あれ、俺の(にじ)? 俺にくれんの?」  強請(ねだ)る口調で確かめると、アキちゃんは()ずかしいんか、うんうんと(だま)って(うなず)き、逃げるように車の運転席に(もぐ)り込んでいた。  ()ずかしがりは治らへんねんなあ。でもそれが、けっこう可愛(かわい)くて、俺は好き。  うきうきしながら、俺はアキちゃんを追って、いつもの助手席に座った。  でも今日は、お久しぶりで二人っきりのドライブや。やっぱり(うれ)しい。二人っきりやと。 「道わからへん。カーナビつけようか」  ()(かく)しやろう。どうでもええことを、アキちゃんはやたらと(しゃべ)った。  そしてカーナビの画面をつけて、三ノ宮(さんのみや)までの道筋を表示させ、JR三ノ宮(さんのみや)駅の二階に、御用達(ごようたし)のコーヒー屋があるのに気がつくと、ものすご()えた顔をした。

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