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20-14 トオル

 ここは神戸の古い船着き場で、昔は(にぎ)やかやったけど、今では港の機能を新しく作られた突堤(とってい)(ゆず)っている。  跡地(あとち)は海を()め立てて、公園なんかになっている。  そこには白い帆船(はんせん)みたいな姿をした、海洋博物館もあるし、真っ赤っかのポートタワーも建っている。  昔は藤堂(とうどう)さんが働いていたという、綺麗(きれい)なホテルもあるんやで。メリケン波止場(はとば)は神戸のなかで、もっとも神戸らしい場所のひとつや。  実はヘタレ神父の手伝いで、船の骸骨(がいこつ)やっつけにいってやった中突堤(なかとってい)という場所は、ポートタワーを(はさ)んで、このすぐ(となり)やねん。あの時は、バタバタしてもうて、のんびりメリケン波止場(はとば)デートでもなかったけどな。  言うたらここは、神戸の定番デートコースや。海が(のぞ)めるホテルも沢山(たくさん)あるし、メリケン波止場(はとば)から海沿()いに、仲良くそぞろ歩くうち、神戸のハーバーランドまで辿(たど)り着く。  夕日を(なが)める遊覧船(ゆうらんせん)にでも乗って、晩飯(ばんめし)食って、(もど)った港は夜景(やけい)綺麗(きれい)やし、ロマンティックなボードウォークもある。  歩き疲れてきたところで、ほんならホテルのバーで酒飲もうかって飲んで、酔ったなあって、部屋で服()いでいちゃつくんやないか。  藤堂(とうどう)さん、京都に来る前は、そんなところにあるホテルで最上階の部屋(ペントハウス)にスイート・ルーム作ってたりしてたんやで。  そんなんばっかりやで、あのオッサン。せやのに本人はそのロマンティックを利用せえへん。  利用したいわ、俺は。アキちゃんと。のんびり綺麗(きれい)な海でも(なが)めて、ゆっくり組んずほぐれつしたい。ロマンティックに、二人っきりで。  せっかく神戸に()るのにやで、ヴィラ北野(きたの)はええホテルやと俺も認めるが、なんでお邪魔な奴ばっかりの、見る(つら)見る(つら)美形やみたいな劣悪(れつあく)環境(かんきょう)で、新婚ライフを送らなあかんのか。  言うとくけど俺は初婚(しょこん)やで。はじめて結婚したんやで。  別に今まで結婚願望なんか、いちミクロンもなかったけどもや、いざ、してもうたとなると、こんなんでええんかと思えてくるわ。  昨日までと何も変わらへん。ロマンティックでもなんでもない。  アキちゃん確かに(やさ)しいけども、それは結婚したからやない。名残惜(なごりお)しいからや。  そんなん、悲しいばっかりで、ぜんぜんロマンティックやないで。 「アキちゃん、ビゴの店のアップルパイを食え。泣くほど美味(うま)い」  おすすめの一品(ひとしな)をすすめて、俺は海を(なが)めるメリケンパークのベンチに座るアキちゃんに、甲斐甲斐(かいがい)しく食い物をくれてやった。  大雨の後で、よく(かわ)いたベンチがあったと思う。  あるわけない、ほんまやったら。でも、アキちゃんが、どこか(かわ)いたやつないかって、探してみたらあったんや。不思議(ふしぎ)やろ。不思議(ふしぎ)ちゃんやねん、アキちゃんは。 「朝からアップルパイか? 甘いやん。男がそんなもん食うの変やで」  アキちゃんは渋々(しぶしぶ)やった。おかんの教えが(いま)だに()み付いてんのか。 「そんなん言うたら、神楽(かぐら)(よう)にブッ殺されんで。あいつらイタリア系は、オッサンでも朝からタルト食うてる」 「なんで知ってんのや、そんなこと」  (うそ)ついてんのちゃうかっていう目で、アキちゃんは俺を見た。 「知ってる。ローマに住んでいたことがある。悪魔(サタン)アレルギーのお膝元(ひざもと)で、無謀(むぼう)やねんけど、どうしても(なつ)かしなって行ったんや。もっと昔にも()たことがある。キリスト教がまだ無い(ころ)。その(ころ)にはたぶん俺も神様やった」  急な俺の思い出話に、アキちゃんはアップルパイ持ったまま、難しい顔をした。  およそ難しい顔をするときに持っとくもんとして、理想からほど遠い、葉っぱの形した手の平サイズの可愛いアップルパイや。  ほんまに美味(うま)い、マジやから、皆もいっぺん食うてみて。 「えらい昔の話やなあ……」  アキちゃんは、やっとそれだけコメントしてきた。  そうや、無茶苦茶(むちゃくちゃ)(むかし)の話やで。紀元前(きげんぜん)やからな。俺ももう(わす)れたわ。  (わす)れたと思って生きてきた。(わす)れといたほうがラクなことってある。  お前は悪魔(サタン)やて追われつつ生きなあかんのに、昔はもっとええご身分やったって、しつこく(おぼ)えといて何になる。(みじ)めなだけやで。  そうや俺は悪魔(サタン)なんやって、居直(いなお)っといたほうがラク。  自分でも自分が何なのか、よう分からん。神なのか、鬼なのか。それを決めるのは、俺ではないからや。  せやけどアキちゃんは俺のことを、悪魔(サタン)やないて言うてた。 「アキちゃん、俺は神様なんやで。ひとりで背負(しょ)()まんと、時には神頼(かみだの)みしてみたらどうや」 「おとん大明神(だいみょうじん)の次は、お前にか? 水地(みずち)(とおる)大明神(だいみょうじん)?」  苦笑のような笑みで、アキちゃんは俺を見た。  アキちゃんにとっては俺は、ひれ()さなあかんような神様ではないんやろ。  おとん大明神(だいみょうじん)同列(どうれつ)か、それ以下の、めっちゃ身近で、抱きたきゃ抱ける相手やねん。  それでいい、別に。()(がた)い神さんやから、顔を見るのも(おそ)れ多いなんて、アキちゃんにそんな(あつか)いされてもうたら、俺は悲しい。  アホやなあ(とおる)、お前は可愛(かわい)いって言って、めちゃめちゃ抱いてくれたら、それでええねん。  でも俺にも、ずっと(わす)れていた本当の名前がある。  俺が悪魔(サタン)になる前の、ええご身分やったころの名前。

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