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20-17 トオル
だってアキちゃんが、俺とお前のご主人様やろ。俺はもう、アキちゃんの式神 やないかもしれへんけども、そんな契約 がなくたって、どうせアキちゃんには逆 らわれへん。
自分を使役 する強い呪縛 が解 けてみて、ほんまに分かった。
俺はアキちゃんの望むことなら、なんでも叶 えてやりたい。アキちゃんのためやったら、なんでもするで。
それは呪 いやない。俺の意志やったんや。
「鯰 は、水煙 を食わんらしい。前にも試 したことあるんやって。せやから、うちに残ってる式神 言うたら、あいつだけやんか」
「あいつって誰や」
強 ばった声で俺に訊 くアキちゃんは、それが誰のことか、知らんわけない。
忘れてもうたんか。
忘れてるふりしてるだけや。考えたくないから、そんなとぼけたこと言うてんのやろ。
だって、アキちゃんはすでにもう、怖いという顔をしている。
「勝呂 瑞希 やんか」
俺が教えてやると、アキちゃんは痛恨 の表情で、一時目を閉じた。やられたという顔やった。
自分が誰にしてやられたのか、アキちゃんには分かってるんやろうか。
水煙 やで、アキちゃん。それとも俺なのか。実際にはその両方や。
「あいつは居 らん。ほんまにまだ、戻ってきてへん」
俺に弁解 するような口調で、アキちゃんはそう答えた。
俺が疑 うてると思ったんか。犬がこっそり戻ってきてて、アキちゃんがどこかにそれを隠 しているって?
まさか。そんな芸当 、アキちゃんいつからできるようになったんや。
できる訳 ない。そんな秘密を持ったが最後、気が咎 めてもうて、まともに俺の目を見られんようになる。
だいたいずっと、べったり一緒に居 るのにさ、いつ浮気 すんの。ありえへんやんか。
寝るときだって、がっちり抱き合 うて寝てんのやで。
「不都合 やなあ。今日入れて、ほんまにあと三日やろ。それまでに、あいつが現 れへんかったら、アキちゃん、例 の籤 引き、誰の名前を書いて出すの」
俺は単なる興味 で、それを訊 いた。
勝呂 瑞希 って書いて出す。そう言うてほしいような気がしてた。
でも、そうやない。俺はそれについても、承知 していた。
アキちゃんは、本間 暁彦 と書いて出す。そういう覚悟 を決めていた。
そもそも籤 引きなんてもん自体 、やめてくれと、大崎 先生に頼 むつもりなんかもしれへんかった。
「俺の名前や。他に誰を書くねん」
「なんであかんの。あの犬やったら。それが秋津 の当主 の責務 なんやろ。おかんかて、前に鯰 が暴 れた時には、自分が飼 うてる可愛 い式 を全部、鯰 に食わせたんやで。自分が生 け贄 なったりせえへんかった」
そうや。おかんは今もピンピンしてる。
そういや、あれから、全然連絡来 えへんようになったけど、ブラジルでサンバ踊 った後、あの二人はどこで何をしてんのや。
息子がこんなにピンチの時に、いい気なもんやで、ラブラブ・フルムーンどもめ。
こっちは可哀想 に、新婚さんやというのに、ハネムーンにも旅立たれへん。
「式神 は、また探したらええけど、アキちゃんには代わりがおらへん。気持ちは分かるけど、自分が死ねば解決つくなんて、そんなん、考え甘いんとちがうか」
ええこと言うやろ、亨 ちゃん。それとも鬼なだけか?
でも、そうやんか。アキちゃん死んで、さようならってなってやで、その後、秋津 の家は血が絶 える。
まさか、おかんがまた新しく跡取 り産めるとは思えへん。あの人何歳やねん。相手はおとん大明神 やしさ、人間やめてんのやで。
せやから常識で考えて、分家 の竜太郎 が代わって後を継 ぐんやろう。
せやけど、あいつ、予知 する以外になんか力あんのか。
蔦子 さんかて、そうや。
本家 の人らみたいに、鯰 と渡 り合うだけの力があるんやったら、今回の祭主 は、蔦子 さんがやらなあかんところやろ。アキちゃんは本家 の当主 とはいえ、なんも知らん若輩 なんやから。
そやのに、蔦子 さんは前に出ず、アキちゃんが祭主 を務 めるということは、蔦子 さんにはでけへんのや。
予知 だけが、あの人の力で、竜太郎 もそうなんやないか。
アキちゃんが力を使って、阪神 に連続ホームランを浴 びせまくった時、あいつは素直 に驚 いていた。そんなことが、できるんやって。
自分にはでけへんことをやってのけるアキちゃんに、尊敬 の眼差 しやった。
アキちゃんは、死んだらあかんのや。きっと。生き延 びて、家の仕事を継 がなあかん。
仕事のたびに、いちいち死んでたら、それはプロとは言えへんのやないか。
ちゃんと業務 を完遂 して、それでも無事で生きているのが、ほんまの成功やろ。死んでもうたら負けなんやで。
俺はそう思うけどな。アキちゃんまだまだ餓鬼 やから、そう思わへんのやろ。
一生懸命 やればええんやと思ってるんや。死ぬほど頑張 れば、後はどないなってもかまへんて、後先 考えてへんのや。
「どないせえ言うねん」
アキちゃんは、どうしろと言われているのかは、知っているふうな声やった。
鉛 でも呑 んだように、ぐったりと重い声で、せっかく綺麗 に晴 れていた海には、また薄暗い雲 がかかり始めていた。
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