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20-20 トオル
朝からごめんな、残り少ない夏休みの爽 やかな一日の始まりに、びっくりするようなモン見せて。
でも、これに懲 りたらしばらくは、散歩 コース変えたほうがいい。
この港 は、三日後には地震で沈 むらしい。危 ないで、うろうろしてたら。
「亨 、俺はお前が好きや。ほんまに好きや。むちゃくちゃ好き。憶 えておいてくれ。俺がお前を、ものすご好きやって事を。ずっと俺のモンでいてくれ。お前が居 らんようになったら、俺も死ぬ。寂 しいねん。なんでやろ。お前と会うまで、ずうっと寂 しかったんや」
「心配いらへん、アキちゃん。もう寂 しない、俺が居 るやんか。ずうっとアキちゃんのもんやで。ずっと側 にいる。めちゃめちゃ好きや、アキちゃん。愛してる……」
俺が囁 く、くさいくさい愛の言葉を、アキちゃんはそれがまるで、有り難 い神様のお告 げでも聞いているみたいに、じっと俺に縋 って聞いていた。
「俺は、怖 いんや、亨 。どうすりゃええんやろ。もう俺のせいで、誰かが死ぬのは嫌 や。耐 えられへんねん。耐 えられへん……」
アキちゃんは俺を抱いて、暑かったこの夏以来、誰にも見せへんようにしていた、胸にぱっくり開いてる、痛 うてたまらん傷を見せてた。
アキちゃんは、優しい子やねん。
人がいっぱい死んだ。俺に言わせりゃ、大した数やない。
アキちゃんが描 いた疫神 の絵のせいで、病気になって死んだ、そんな人らの数は、アキちゃんがこれから救う人の数に比 べたら、芥子粒 みたいなもん。
それでもアキちゃんは、そのひとつひとつが身に堪 えてた。
自分を責 めてた。俺さえいなければ、死なずに済んだ人たちやったって。
そんな人らの命を奪 っておきながら、幸せになろうという自分が、どうしようもなく駄目 に思えて、内心 どこかで、いつも苦しがっていた。
絵描きになりたいんやと言いつつ、覡 にならねばと自分を責 めてた。そうやって世の中の人の役に立つ者 にならねば、許 されへんようなことをしてもうた。
それ以外の道で、どないして生きていけるか、わからへんて、むちゃくちゃ悩 んでたんや。
いつもやったら描 くものに、迷うたりせえへんアキちゃんが、卒業制作に描くもんを、ぜんぜん決められへんねん。
息するみたいに描いてきた、自由やった筆が、本気の大作 に向き合おうとすると、自分に自信がなくなってもうて、ぴたりと止まる。怖くて描かれへん。
これが俺やというもんを、描けばええねんで。美大 で過ごした四年間の、集大成 。あるいはアキちゃんが今まで生きてきた人生の、集大成 で、これからどんな絵を描いていくんかを予感させる、最初の一歩を、なんも気にせず好き放題 描けばいい。
でもそれが、アキちゃんには怖いんや。どんな醜 い、罪に穢 れたもんが飛び出してきて、なんや本間 暁彦 、お前はこんな醜 い男かと、誰の目にも明らかになるのが怖い。
可哀想 や、アキちゃん。たとえその絵が醜 くても、それがお前やで。その姿で、生きていくしかないねん。
ええ格好 はできへんねん。俺の蛇 の姿をした正体 が、結局 暴 かれたように、お前も暴 かれる。
「大丈夫や、アキちゃん。ひとりやないで、俺がいっしょに耐 えてやる。生 け贄 にはな、アキちゃん。犬をやったらええねん。それが無理なら信太 を。あかんかったら秋尾 もおるしな。式神 なんかホテルになんぼでも居 るわ。そいつらコマして、メロメロに手なずけてから、鯰 に食わしたったらええねん。今朝会ったDJでもええやんか。あのラジオ。まあまあ好きなんやろ。帰ってから口説 いたらええやん。なんも悪いことないで、それがアキちゃんの、お仕事なんやから」
そうやって生きていくんや。それが血筋 の定 めなんやろ。
おとんも、おかんも、ご先祖 様たちも、みんなそうやって生きてきた。
なにを今さら恥 じることがあるんや。ようやったと、それでこそウチの子やって、みんな褒 めてくれるで、アキちゃんを。
俺はそれを、アキちゃんの耳元に囁 いてやった。睦言 のように。甘い毒 のように。
アキちゃんはゆっくり顔をあげ、自分の腕の中に収 まっている俺を見つめた。
悲しいような、怯 えたような、可哀想 なぐらい、若 く未熟 な顔つきで。
「水煙 かて、褒 めてくれる。さすが秋津 暁彦 やって、アキちゃんのこと、惚 れ直 すと思うで」
俺はそれを、微笑 んで励 ましていた。まるで俺も水煙 みたいになってきたわ。
「お前は?」
眉根 を寄 せて、アキちゃんは俺の顔色を、うかがう目をした。
「お前はそれで、俺を愛せるんか、亨 。それで平気か?」
「平気や、アキちゃん。アキちゃんが死ぬのに比 べたら、そんなん屁 でもない。どんだけでも式 増やせばええよ。欲しいだけ。水煙 が耐 えられたんや。俺かて我慢 できへんわけない」
でもそれを、自分は我慢 しづらいと、そんなふうに目を伏 せて、アキちゃんの手は俺の頬 を愛 しそうに探 っていた。
アキちゃんは結局、なにも答えんかった。
ただしばらく悩 むそぶりでいて、それから怖 ず怖 ずと、俺を引き寄せ、またキスをした。
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