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20-21 トオル

 してええねんで、アキちゃん。なんも遠慮(えんりょ)することない。  俺とキスしたいって思ってくれて、俺は(うれ)しい。  俺のこと、ずっと愛して。水煙(すいえん)より、誰よりも、俺が一番可愛(かわい)いって、思い()がれていてほしい。  それでたぶん、俺は(むく)われる。 「絵を()きたい。お前の。水煙(すいえん)の。皆の。めちゃめちゃ一杯(いっぱい)描きたい。描けるだけ全部、描きたいねん」  アキちゃんは強請(ねだ)るように俺に、(ゆる)しを求める口調やった。  描いたらええよ、どんな絵でも。アキちゃんが描きたいと思うもんを、誰が駄目(だめ)やと止められる?  俺はおかんみたいに、ケチやない。描きたいもん、描かせてやるから。  それで天地(てんち)がひっくり返ろうが、知ったことかやで。 「ほな、そろそろ紙買いに行こうか。それから鉛筆(えんぴつ)も。俺が(けず)ってやるわ。俺がアキちゃんの、鉛筆(けず)大明神(だいみょうじん)や」  ふざけて言うと、アキちゃんは苦笑して、お前を食いたいという、ムラムラ来てるような顔をして、俺にぎゅうっと強い頬摺(ほおず)りをした。  鉛筆(けず)り大明神な、アキちゃんのおかんが言うてたネタやで。世の中の神さんには、鉛筆(けず)るくらいが精々(せいぜい)の、弱っちいのもいてるんやって、もののたとえでそう言うたんやって。  アキちゃんはそれが、ほんまに()ればええのにと思うらしい。そしたら式神(しきがみ)として(したが)えておいて、鉛筆(けず)っておいてもらう。  面倒(めんどう)くさいんやって。じゃんじゃん使う大量の鉛筆を、いつも(けず)って(とが)らせておくのが。式神(しきがみ)が勝手にやっといてくれたら、らくやのになあって、前に話してた。夜のベッドの、一発(はげ)しくやったあとの、枕話(まくらばなし)で。  いつもそんな、アホみたいな話してる。くすくす笑いながら、愛しく名残惜(なごりお)しいような、未練(みれん)がましい(むつ)み合いの続きで。  そういう時間も、俺は好き。やったらポイみたいな、そんな男もおる一方で、アキちゃんは一発抜いた後のほうが、甘く優しいという、貴重(きちょう)な男や。 「好きや、(とおる)……」  まるで、やってる最中の(あえ)ぎみたいに、アキちゃんは俺の耳に(じか)に、その言葉を(ささや)いていた。  めちゃめちゃ感じる。気持ちいい。アキちゃんの言葉責め。  これには魔法がかかってる。この島ふうに言うんやったら、言霊(ことだま)や。こんな普通の愛の(ささや)きだけで、アキちゃんはいつも俺をどろどろに()かす。 「やめて、アキちゃん。耳弱いねんから。辛抱(しんぼう)でけへんようになる。抱いてくれんのか、ここで。(ちが)うやろ? もう、行こか? 昼までに、帰られへんようになる……」  俺の(くちびる)をまさぐるアキちゃんの優しい親指を、切なくガジガジ()みながら、俺は自分の心と裏腹(うらはら)なことを(うなが)していた。  ほんま言うたら今すぐしたい。ここでええやん。抱いて抱いてみたいな、そんな淫蕩(いんとう)(へび)さんやったんやけども、(たの)めば本当にやってくれそうで、アキちゃんちょっとヤバかった。 「ホテル帰ったら、続きをやってもええか」  めちゃくちゃ恥ずかしいという顔で、自重(じちょう)したアキちゃんは、俺にお強請(ねだ)り言うてたわ。  そんなん、いいに決まってる。大オッケー。(つね)にウェルカムやから俺は!  帰ったらまた、抱いてもらえるんやって、(うれ)しくなってきて、俺はうきうき(うなず)いた。ほんでアキちゃんの首筋(くびすじ)に、すりすり甘い頬摺(ほおず)りをして、たっぷり名残(なごり)()しんでから、体を離した。 「行こうか、はよ行こう、東急ハンズ。そろそろ開いてるはずや。何買う。水彩(すいさい)? 油か? 日本画の顔料(がんりょう)とかも、ちゃんとあるんかなあ? ありったけ買って、さっさと帰ろう」 「朝飯は?」  まだ()れた顔のまま、アキちゃんは俺に、お(あず)け食ったみたいに()いた。 「そんなん、車ん中で食えばええねん。俺が、あーん、てしたるから、運転しながら食えばええねん」 「そんなん(あぶ)ないよ……」  アキちゃんは、俺を(とが)める目をして、そう言うた。  言うたけど、結局(けっきょく)そうした。  海辺の駐車場(ちゅうしゃじょう)を出て、また少し山の方へと走る間、俺が優しく、はいアキちゃん、あーんして、みたいに、にこにこミートパイ食わせてやったら、しょうがないので食っていた。  腹減(はらへ)ってんのかもしれへんけども、アキちゃんかてもう、ほんま言うたら(めし)なんて、食わんでも()つ体や。  (かすみ)(くも)か、よう分からんような天地(あめつち)の、()(がた)霊力(れいりょく)を、いつでも好きなだけ、ありったけ食うことができるんやから、アキちゃんは食事なんかする必要はない。  仙人(せんにん)みたいになっている。というか、それそのものや。ただの人やないねん。  でも、そういう自覚(じかく)はないし、それにちょっと、楽しかったんやろう。俺と車でいちゃつくのが  俺も楽しかった。ほんで、ビゴの店のミートパイも、思わずデレデレするぐらい美味(うま)かったしな。俺もアキちゃんが(かじ)る、その反対の(はじ)っこを、がじがじ(かじ)って、じゃれあう二匹の犬のように、おこぼれを頂戴(ちょうだい)した。  アップルパイも美味(うま)いけど、ミートパイも美味(うま)い。両方食うといたほうがいいよ、(みんな)も。  まあ、そんな、(あわ)ただしくも甘々(あまあま)の、神戸グルメな朝食を済ませつつ、あっという間に着いた東急ハンズは、いかにも霊験(れいげん)あらたかな、生田(いくた)神社のすぐ南にある。古い大きい神さんや。

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