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20-23 トオル
どんな顔やったっけ、姫カット、と、俺は大学の作業棟 で、初めてトミ子と鉢合 わせた時のことをぼんやり思い出していた。
思えば、いろいろあった。あれから。えらい遠くまで来た。
俺も去年の今頃は、まだまだ悪魔 で、まさか翌年 こんな事になってるとは、想像もしてへんかった。
ほんまに未来というのは、その時になってみるまで、わからんもんや。
俺は自分が幸せになるやなんて、そんなこと想像したこともなかった。
そうなりたいと思ってたけど、なれるわけないとも諦 めていた。
アキちゃんと出会うまで、俺もずっと寂 しかったわ。どれだけ下僕 を侍 らせようと、結局、俺はひとりぼっちやったし、俺と生きていってくれる奴 は一人もおらへんかった。
でも今は、アキちゃんが居 るしな。アキちゃんと過 ごした冬も、アキちゃんと過 ごした春も、アキちゃんと過 ごした夏も、いろいろあったけど、振り返って見れば俺は幸せやったわ。
でもまだ秋は、アキちゃんと一緒に過 ごしてないな。出会ってからまだ、一年経 ってへん。
次のクリスマス・イブが来たら、それでちょうど一周年。なんて長くて、ドタバタした一年やったんやろ。
とうとう一年経 ったなあって、次のクリスマスには、アキちゃんとのんびりケーキ食いたい。家族で、クリスマスを祝いたい。
俺はもちろん、ヤハウェは嫌いや。その息子やていう、イエスとかいうおっさんの誕生日なんて、どうでもええ日や。
せやけど昔から、家族で楽しく特別な日を過 ごす連中 を横目に眺 め、俺はたぶん、羨 ましかった。
俺にも家族があったらええのに。ただいまって帰れる場所が、どこかにあったらええのになあって、いつも羨 ましかったんやで。
俺はとうとう、それを手に入れた。アキちゃんが居 るところが、俺の家。甘く優しい愛の巣 で、アキちゃんと一緒に居 ると、俺はすごく安らぐ。優しい気持ちになれる。
そんな相手がやっと見つかったのに、それが次のクリスマスまで続かへんなんて、どういう事やねん。
ありえへん。無茶苦茶 すぎるわ。そんな未来、ボツやから。
ハッピーエンド以外、俺は受け付けへんからな。
「鉛筆 どこやろ。反対側やったんかなあ」
アキちゃんは、うろうろ探すのを諦 めて、店員さんにでも訊 こうかと、緑のエプロンをしたスタッフの姿を眺 めていた。
「トンボでしょ、先輩 」
突然、背後から声をかけられて、俺とアキちゃんはその場に凍 り付いていた。
たぶん、俺とアキちゃんは、それぞれ違う理由でやけど。
間違えようもなく、聞き覚えのある、まだちょっと可愛いような声やった。
愛想 ないけど、どことなく人懐 こいような。
はじめは警戒してるけど、こっちが来ていいと優しく許せば、嬉 しそうにじゃれついて来そうな、ワン公みたいな声やねんで。
勝呂 瑞希 や。戻って来たんや。
振 り向かれへんアキちゃんの背を、目の前に見つめながら、俺はゆっくり首を巡 らした。
そこにはやっぱり、見知った顔が立っていた。鉛筆 の箱持って。
気が利 くなあ。お前はほんまに、いつも目ざといわ。
俺を見つめる犬の白い面 は、うっすら挑 むような淡 い笑 みやった。
とても三万年もトシ食ったようには見えへん。
相変わらず、見た目は俺よかちょい若い。癖 のある茶髪 の髪 が柔 らかそうで可愛 い。
まだまだ十代、どことなく幼いような、少年のムードやし、こいつはきっと、このまま成長止まってんのやろ。
この姿が一番ええわって、思ってんのや。
アキちゃんが、ぐっと来る、守ってやらなあかんみたいな、まだまだ固まってへん骨の気配 のする関節 をした、ひょろっと華奢 みたいにも見える腕を、なんの飾 り気 もない真っ白いTシャツの半袖 から出して、ボトムはブラックジーンズで、足元には黒いスニーカーを履 いていた。
なんや随分 、さっぱりしたなあ。まるでイイ子みたいやんか。
それとも、娑婆 に出たての、これでも着とけって与 えられた服を、しゃあないから、とりあえず着てますっていう奴 みたい。
「違いましたっけ。トンボのMONO 100の6Bやろう。先輩 いつもそれで絵描いてましたよね」
黒と見まごう深い濃紺 の鉛筆に、白い塗料 の刻印 で、蜻蛉 のマークが入ってる。
別にこれは、おかん特製の秋津 家グッズやないで。
せやけどアキちゃんが小学校はいる時、おかんが蜻蛉 の絵がついてるしと言って、このトンボ鉛筆にアキちゃんの名前を金文字で刻印 させて、学校に持たせてやってたんやって。
せやからアキちゃんにとって鉛筆いうたら、この、TOMBO というメーカーのやつしかありえへんらしい。出町 の家にある鉛筆も、全部これやで。名前はさすがにもう、入ってへんけどな。
「三ダースくらいで、足りますか?」
勝呂 瑞希 は素 っ気 なく、でも、褒 めて欲しそうな声で訊 いてきた。もちろん俺にやのうて、アキちゃんにやで。
アキちゃんはその声につられ、やっとで振 り向いたようやった。
「……戻 ってきたんか」
じっと見つめて訊 く、アキちゃんの声は暗かった。
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