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20-25 トオル
よしよし瑞希 ちゃん、ようやったと、褒 めてやらなあかんとこやった。犬やねんから。
犬が命令きくのは、褒 めて欲しいからや。エサが欲しいから。
肉でもええけど、ただ褒 めるだけでもいい。それが犬という生き物の、可愛 くて悲しいとこらしい。
ありがとうと、アキちゃんは気まずく言うた。犬はそれだけで、満足したらしかった。
「会計行きますか、先輩 。でも俺、金は持ってへんで。気がついたらここに居 ったんです。どうも天界 から追放 されたらしい」
「退職金 も出さへんのか。ケチな神やなあ」
俺が真面目 に批判 すると、犬はちょっと苦笑 した。
「うん。まあ。そうやけど……世話 んなったし、まあ、ええわ。でなきゃ俺はここに居 らへんのやから」
ちらりと不安そうな上目遣 いで、犬はアキちゃんを見た。
「先輩 。ついていってええんですよね。そういう約束やろ?」
それともまさか、付いてくるなって、追い払うつもりなんやろかって、犬は哀 れな目をした。
アキちゃんはそれから、目を逸 らし、歩き始める背を向けながら言った。
「よう戻ったな、瑞希 。無事 でよかったわ……」
それがアキちゃんがこの時、犬に言うてやれる、ギリギリいっぱいやったやろう。
瑞希 ちゃんはそれを聞き、ほんまに嬉 しそうに、うつむいて照 れたような笑いを堪 えていた。
俺がおらへんかったら、実はもっと可愛 く笑ってたんかもしれへん。
すまんことやなあ、お邪魔 な蛇 で。
アキちゃんは黙々 と会計を済まし、もちろん現金で払った。けっこうな額 やったけど、アキちゃんカードは信用してへんから、暗くボケッとしたまま大枚 入った財布 を見せて、店員の女の子の度肝 を抜 いてた。
そんなアキちゃんの傍 に立ち、トンボの鉛筆削 るの、犬ににも手伝わしてやろうかなと、俺はちょっと思った。
もしかしたら、それは、こいつには嬉 しい仕事かもしれへん。アキちゃんが絵を描くときに使う鉛筆を、いつも使いやすい鋭 さに、削 っておいてやるのは。
絵に惚 れたんやと言うてた。俺がアキちゃんと出会うよりも、ずっと前に。
せやけど犬は俺より前は歩かへんかった。俺がアキちゃんと並 んで歩いても、文句 も言わず、少し後 をついてきた。ほんまの犬みたいに。
それは瑞希 ちゃんが、俺に敗北 したことを認 めているということやった。
犬の習性 みたいなもんか。自分より序列 が上やと認 めた俺に、とりあえずは逆 らわへん。
でも、分かる。俺かてアキちゃんに惚 れてる身やから。
きっと犬は、ほんまやったらアキちゃんに、ぎゅうっと抱 きつきたいくらいやったやろ。
やっと戻れて嬉 しいって、アキちゃんに飛びつきたかった。
せやけど相変 わらず、我慢 強 い犬や。その健気 な我慢 に免 じて、俺はアキちゃんと手を繋 ぐのは自粛 した。
荷物も持ってたし、それにワンワンは残り少ない命やった。邪魔 なこいつがいなくなってから、アキちゃんとゆっくり、心ゆくまでいちゃつけばいい。それまでの、ほんの三日くらいは、敢 えてこいつを嬲 るのはよそう。俺ももう、悪魔 やないんや。
そう思った俺は、ちょっと甘 かったかな。またもや犬を舐 めていた。
しぶとい奴 や、諦 めてへん。
水煙 もそうやろうけど、アキちゃん恋しい病 は不治 の病 や。隙 あらば食おうと、いつも付 け狙 っている。俺はそれをようく、理解しとかなあかん。
俺らは車に戻り、来る時にはふたりっきりのドライブやった、アキちゃんの黒ベンツに、帰りには大量の画材 と、新しく増えたチーム秋津 の新メンバーを乗せて帰ることになった。
俺は助手席、犬は後部座席 。当たり前やろ。
せやけど俺はふと、疑問 に思った。今夜この犬は、どこで寝るんやろうか、って。
それは、いい質問やった。重要な問題や。俺はこの後、その事で、死ぬような目に遭 う羽目 になる。
怖いわあ、瑞希 ちゃん。ほんまに怖い。
皆も、可愛 い犬には気つけや。可愛 いなあと思って舐 めてたら、突然 、がぶっと手を噛 まれるで。
それが案外、致命傷 なんてこともある。せやから信用したらあかん。特に、堕天使 なってるような犬には、要注意。
詳 しい話はまた今度、俺のツレから聞いてくれ。
アキちゃん、俺は信じてる。お前が犬より、蛇 が好きやということを。
今、言えることは、それだけや。
――第20話 おわり――
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