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21-3 アキヒコ

 せやけど俺のために死のうという(やつ)を前にして、お前が好きというわけやないと、そんなことを平気で言うほうも、いっそ不実(ふじつ)や。  俺はあいつが嫌いなわけやない。むしろ好きや。  すごく好きやけど、でも、死んでもええわという愛情に、(こた)えてやれるほどの気持ちなんか、それは。  俺は全然、自信がない。自分がそんなに沢山、愛を持ってるか。全く自信がないねん。  (とおる)を食わしていくだけで、実は精一杯(せいいっぱい)で、おとんがやってたというように、沢山の相手を前にして、お前も愛しい、お前も好きやと言うてやるなんて、そんな甲斐性(かいしょう)はない。  そこまで鬼畜やないねん。  そやけど、それをやるのが秋津(あきつ)の当主の甲斐性(かいしょう)なんやと言われたら、俺はいったい、どないしたらええねん。悪い男になれっていうのか。いったいどういう家やねん、うちは。  おとんは一体、どんな男やったんや。  俺はたぶん、それを()きたくて、こいつを探していた。  湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)。  元は俺のおとんの式神(しきがみ)で、水煙(すいえん)()りが合わず、秋津(あきつ)の本家を出されたという、生きてた(ころ)のおとんを知ってる、水煙(すいえん)ではない、もうひとりの神や。 「なあ……先生。どういう風の吹き回しや。前に(さそ)った時は、俺は(いや)やと言うてたやんか。そんな顔、せんといてくれませんか。俺の夢が(こわ)れるわ」  苦笑して言い、湊川(みなとがわ)途中(とちゅう)まで吸った煙草(たばこ)を灰皿で()み消した。  なんの夢やろうと、俺はぼんやり考えた。  そう思い(めぐ)らす頭の中に、その答えはもうあったんやけど、何となくそれを、(みと)めたくなかったんや。  湊川(みなとがわ)がさっきまで、歌っていた歌を俺は知っている。おかんが時々、好きで歌っていた歌や。  月がとっても青いから、遠回りして帰ろう、っていう歌詞で、古い古い昭和の頃に流行った歌謡曲(かようきょく)らしい。  昔は歌なんてバリエーションがなくて、一曲流行れば、皆がそれを好んで歌っていた。ラジオもそれを流す。  今みたいに、皆が違う曲聴いてるような時代やなかったらしい。  時代の歌というのが強くあって、同じ時代を生きた奴なら、みんなその歌を知っている。  特に湊川(みなとがわ)はずっとラジオの妖怪(ようかい)やったんやから、その電波の運ぶ時々の流行歌を、知らんはずはなかった。  実際こいつは無数(むすう)の歌を知っている。歌詞もフルコーラス全部きっちり知っている。  そんな、いくらでもあるレパートリーの中から、わざわざ古い昭和の歌歌う。  それには理由があるような気がして、俺は落ち込んだ。  一体、どういう時に人は歌を歌うんやろう。俺はあんまりやった記憶ないけど、一般的には、楽しい気分の時とか、逆にクサクサした気分の時とか、自分を(はげ)ましたい時とか、思い出に(ひた)りたいときに、歌うんやないか。  他にもあるかもしれへんけど、とにかくその歌、『月がとっても青いから』という曲は、なんかこう、湊川(みなとがわ)にとっては心の琴線(きんせん)()れるような歌やったんやろう。奴にも心があるとしてやけど。  実際あるんやけど。見かけほど冷たい奴でも、薄情(はくじょう)でも、悪魔的でもない。  だって最初に船で見た時も、自分にはどうでもええはずの、何の(えん)もない人間たちを、こいつは助けたやんか。  わざわざ電話して、助けを呼びもした。それは自分では助けてやられへんかったからや。  湊川(みなとがわ)には、戦う能力はないのや。こいつの武器はただ、情報に通じているということだけなのや。  それが大きな力か、それとも無力かは、時代ごと、あるいは、使う巫覡(ふげき)の考え方しだいなんやろうけどな。  おとんは、こいつは()らんと思ったらしい。水煙(すいえん)と、仲良うできひんし、戦う力もないし、もう()らん、出ていけと、湊川(みなとがわ)を放り出した。  それはなぜか。単に気が合わんかったからやろうと、俺は初めは思ってたけど、どうも、そうではなかったらしい。  俺はその夜、ヴィラ北野(きたの)のロビーで何となく、それを感じ取ってもうた。  歌う妖怪の、朧月(おぼろづき)に浮かぶ顔を見て、それが(なつ)かしそうに、どことなく(せつ)なそうに歌うのを見て、俺はピンと来てもうた。  (にぶ)いくせに、そういう()らんことはピンと来たりする。  その『月がとっても青いから』という歌に、歌詞が三番まであったなんてことも、俺はその時初めて知った。  おかんはいつも、一番だけをエンドレスループの人やったもんで、一番しかないんやと思ってたんや。  有名なのも一番だけやしな。大体そうやんか、歌なんて。  でも湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)は、ちゃんと三番まで全部歌詞を知っていた。  俺はちょうど、(やつ)がそのへんを歌っている時に、ロビーにやってきたんや。だから聞こえた。  甘い美声が歌う、不思議な哀愁(あいしゅう)のあるその歌が、もう今日限りで別れ、二度と会えへん恋人への愛を、ずっと忘れへんて誓うんを聞いた。  もう今日かぎり()えぬとも 想い出は捨てずにいようって。そういう歌やった。  うちのおとんは、もう死んでるんや。  けど、その(たましい)まで消えてなくなった訳やない。相変わらず(うち)に居る。  会おうと思えば会えたやろ。  そやのに、おとんはこいつは放っておいた。  どうせ、その程度の思い入れなんやと、そう思うことはできるけど。  でも、世の中って、もうちょっと複雑やな。

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