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21-8 アキヒコ

 ()れられて、俺は我慢(がまん)できひんようになった。  欲情(よくじょう)していた、(ひら)たく言うと。  そんな、あからさまに(よだれ)出そうみたいな(ほど)ではないけど、内心、奥深くで、この神が欲しい、我がものにしたいと、鎌首(かまくび)をもたげる(へび)のような欲が、不意(ふい)に強く()いた。  その目で見つめる俺に、湊川(みなとがわ)(あわ)微笑(ほほえ)んだままやった。やりたいんやったら、やってええよと、あっけなく受け入れてるような目で。 「暁彦(あきひこ)様にとっては、俺はまあ、一種の見果(みは)てぬ夢みたいなもんやったやろなあ。最初に会った時には、まだ十八やったし。自分はもう一人前やって、血気盛(けっきさか)んやったけど、それでもまだまだ可愛いもんやったわ。(いくさ)機運(きうん)もあって、もっと(しき)欲しいって、必死やったしな。肝心(かんじん)の時に、(さき)当主(とうしゅ)がくたばってもうて、(あせ)ってたんやろ。お(いえ)背負(せお)って頑張(がんば)らなあかんしな」  くすくす皮肉(ひにく)に笑う湊川(みなとがわ)が、なにが可笑(おか)しいんか、俺にはよう分からんかった。  おとんも必死やったんや。俺が今、必死なように。  なんでそれが可笑(おか)しいんや。腹立つわ。それに何やろ。なんか(せつ)ない。 「それで、おとんの式神(しきがみ)になってやったんか」  むかっとしたような、すねた声のまま、俺は(たず)ねた。湊川(みなとがわ)は、それに(うなず)いていた。 「そうや。可哀想(かわいそう)やったからな」  お前も可哀想(かわいそう)やわって、俺を(あわ)れむような優しい目つきで、湊川(みなとがわ)は静かに答えた。  二人きりの、こういう(やさ)しい時間やと、こいつもこんな(おだ)やかな顔してるんや。  見つめられると、なんや胸苦(むなぐる)しかった。  美しい。なんか、(しび)れる。  どうしようか。ほんまにヤバい。  俺は無節操(むせっそう)。ほんまに誰でもええんや。顔さえ好きなら、誰でもかまへん。  それが本音(ほんね)で、不実(ふじつ)なのは(いや)やなんて、そんなもん、ただの、ええ格好(かっこう)したいだけの見栄(みえ)なんやないやろか。 「先生、キスしてやろか?」  (あわ)い苦笑で、湊川(みなとがわ)はまるで、俺がそうしてほしいのに、付き合ってやろかみたいな()き方をした。  してほしくなかったかって?  してほしかったわ!  悪いか。それが?  俺も男の子なんやしや、時には上の人と下の人の意見が(はげ)しく違う時はある。  ああもうあかん、下の人が超優勢(ちょうゆうせい)みたいな時もあるわ。  ほんま言うたら俺は別に、湊川(みなとがわ)とキスしたかったわけやない。  (すが)り付きたかった。誰でもええんや、(やさ)しゅうしてくれる(やつ)やったら。  ほんのちょっと抱き()うて、何もかも忘れて、そしてそれに後腐(あとくさ)れがない。気持ちよかったわ、またおいでって、にこにこ愛想よくしてくれる、自分に都合(つごう)のええ奴やったら、誰でも良かった。  でもやっぱり、言うに言われへん。お前やったら、愛してなくても怒らへんやろ。平気やろ。俺にうだうだ考えさせず、あっさり一発やらせてくれるやろって、そんな事とても言われへんやんか。  けど()れたもんやで、湊川(みなとがわ)。そんなこと、一言も()かへんかった。どうせそうやろって、(いや)みも言わへんねん。ただ俺の(あご)を引き寄せて、(くちびる)を重ねた。  まだ(くゆ)るままの煙草(たばこ)(にお)いか、それとも(やつ)の息にある(のこ)()か、香炉(こうろ)から立ち(のぼ)薫香(くんこう)のような(にお)いを、俺は感じた。  それは、ふわっと()うような、不思議(ふしぎ)(にお)いやった。  やんわりと()めてくる(した)が、ものすご上手(うま)くて、めちゃくちゃ気持ちいい。  一瞬くらっと来て、何もかも忘れる。  (とおる)も確かに上手(うま)いけど、俺はあいつが好きやから、好きや好きやで必死になってる。  気持ちええけど、それだけに集中してるわけやない。  いつも(とおる)の事を考えてる。(とおる)もちゃんと、気持ちええんかな。俺だけ(ひと)()がりになってへんかなって、いつも心配してる。  俺はあいつを(たの)しくさせてやりたいねん。アキちゃん気持ちええわって、あいつが(もだ)えるのが心地(ここち)いい。そやから自分のことは割と二の次や。気がつくと自分も気持ちいい。その程度(ていど)のもんやねん。  でも、この時は、なんというか。すごく()かった。()められてる感じ。  幻惑(げんわく)されてる。俺は湊川(みなとがわ)(おど)らされてる。人がメディアの舌先三寸(したさきさんずん)に、あっけなく(おど)り、翻弄(ほんろう)されるみたいに。  最後に俺の(くちびる)を小さく一舐(ひとな)めして、湊川(みなとがわ)はキスをやめた。  その時になってやっと、スコッチの味がした。たぶん俺は、(われ)(かえ)ったんやろ。 「気持ちいい……」  でもそんな感想コメントを思わず()べる程度(ていど)にはアホのままやった。  にやりと目を細めて、湊川(みなとがわ)は声もなく笑った。 「そうやろ。俺の舌技(ぜつぎ)には定評(ていひょう)がある。もっと色々試そうか。寛太(かんた)(とら)も、先生のおとんも悶絶(もんぜつ)したような、夢のショータイムやで?」  言いながら何か思い出すんか、湊川(みなとがわ)煙草(たばこ)をまた口に持っていきつつ、くつくつ(のど)()らして笑った。  俺はもちろん、やってみて欲しかった。もっと()めて。  でも我慢(がまん)の子で(にら)み付けてたわ。  だって()ずかしいやんか。相手はぜんぜん平気の顔で、俺だけ玩具(おもちゃ)にされるやなんて、俺のプライドが(ゆる)さへん。 「い……(いや)や」  声、(うわ)ずってる、俺。きっぱりしてへん。しかも少し()んでもうてる。格好(かっこう)悪い。  笑いながら、湊川(みなとがわ)煙草(たばこ)をサイドテーブルのガラスの灰皿(はいざら)に置き、(くゆ)るまま放置(ほうち)(かま)えやった。  そしてグラスから酒を飲んで、ごくりと白い(のど)()らした。

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