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21-11 アキヒコ
「おとんはお前のこと、好きやったんか?」
目の前にある肩に額 を擦 り寄 せ、じっと我慢 の子で俺は訊 ねた。
なんでもいい、俺の気の散 る話題やったら。
「さあ。どうやろ。そこそこ好きは好きやったんやないか。でも、あの人、惚 れた相手は絵に描くらしいで。けど俺の絵は、描いたことない。俺に絵を描いたことは、何遍 もあるけど」
けらけら笑って、湊川 は話した。暴露話 の類 やった。
「俺に絵、って……?」
意味が分からず、俺は汗だくの顔で悩 んだ。
「胸とか腹とか、背中とか、脚 とかに描くんや。絵を。やる前にふざけて描くんやろけど、本気で描いてる時もあったで」
絵を描くって、人の肌のうえに絵を描くんか。
俺はそんなん、やってみようと思ったこともない。異常やで、それは。だって変やんか。変やない?
布団 の上で裸 にして、それに絵描くのか。筆で?
まさか鉛筆では描かれへんもんな。おとんは日本画やったんやし、墨 で描くんか。色も塗 んのか。入れ墨 みたいやで。
でも確かに、目の前にあるシャツから覗 く肌は、練 り絹 のように白くきめ細かくて、絹 に描くこともある日本画の画布 としては、まあ、描けんこともないやろうという妄想 を誘 った。
知りたくなかった、そんなこと。
知らんかったら思いつかへん程度 には、俺はマトモやったのに。
おとんのせいや、おとんが変態 やったから、俺までそんな新しい世界に。
描いてみたい。なに描くんか知らんけど。
おとんがどこに何を描いたんか、知りたくないけど。知りたいような。
その時、こいつがどんな顔してたんか、見たいような、見たくないような、見てもうたらもう、ほんまにヤバいようなや。
「気持ちええで。けっこう感じる。場所によっては下手 に愛撫 されるより、むらむら来るわ。特に暁彦 様が、絵のほうに集中してくると、もう絵はええから、やろか、とは言いにくくなってな。あれも一種の我慢 プレイ?」
「そんなん言わんでええねん!」
俺は顔面 蒼白 になってきてた。
ヤバいから言うな。俺が変態 なったらどないすんねん。
「あれ。なんで? 先生も、やってみる?」
「嫌 や、そんなんしいひん。大体、筆も墨 もない!」
筆があったらするんかと、俺は自分に問いたい。
しいひん、そんなん、亨 にもしたことない。
したいなんて、よう言われへん。恥 ずかしいもん。
そんなん照 れずに、なんでも言うてくれって、亨 はいつもせがむけど、でも恥 ずかしいんや。しょうがない。
お前が嫌 やって思うことを、もし俺がしたかったらどないしよかって、俺は怖いんや。
そんなもん、たぶん無いやろけど。あいつ変態 やから、なんでも嬉 しいんやろうけど。
でも、砂漠に落ちた一本の針 を、うっかり踏 み抜くような事が、ないとは言えへんやんか。
俺はあいつに、幻滅 されたくないんや。傷つく。
それやったら、湊川 とここで、いちゃつくのを止 めるべきや。
そうやな。俺もそう思う。
亨 が知ったら、なんて思うやろ。きっと泣くわ。それか暴 れる。俺を食う。ホテルを壊 す。湊川 をぶち殺す。大爆発。大洪水 。なんかそういう事をやる。
でも、もしかしたらあいつは、何もしいひんかもしれへん。ただ我慢 してるかもしれへん。
こいつを口説 けと、そもそも俺に教えたんも、あいつやし。水煙 に我慢 できたことが、自分に我慢 できひんわけはないと、本人がそう言うてた。メリケン波止場 で、パイ食いながら。
けど、俺はつらい。あいつに我慢 させるのは。我慢 してる亨 の、顔を見るのは。
あいつの辞書 に我慢 の文字はない。
それが亨 の、あっけらかんとして、可愛 いところや。
それが無くなってもうたら、俺はつらい。
「なんで、おとんはお前に、そんなことしたんや。おかんが好きやったのに、なんでお前と抱き合 うたりしたんやろ。そんなん、ひどいやないか?」
泣きそうな情 けない声で、俺は訊 ね、湊川 はそれを、困 ったような苦笑で見つめた。
そして、よしよしみたいに、俺の頭をやんわり抱いた。
「ひどいて言うても、それは暁彦 様が、登与 様となんかある前の話やで? 登与 様が先生を身ごもったんは、出征 の直前なんやろ。俺が暁彦 様となんかあったのは、それよりも前なんや。暁彦 様に誰か想い人がいるのは、何となく気づいて知ってたけども、俺はそれが水煙 なんやと思ってたわ。せやけど太刀 やし、犯 られへんから、悔 しいて他のとやりまくってんのかと……」
「うるさい、そんなん言うな!」
おとんは水煙 のこと、やっぱり好きやったんや。
それでも、おかんが本命 で、それでも、他のとやりまくってたんや。
どうせそういう男なんや、暁彦 様は。
俺もきっと、ほんまはそういう男やねん。
そう言われてる気がしてもうて、俺は喚 いた。餓鬼 のように。
それに湊川 はちょっとびっくりしたんか、きょとんとして俺を見た。
「どしたんや、先生。なにキレてんの。ほんまに何があったんや?」
俺はたぶん、一気に萎 えてた。
湊川 はもう、俺を責 めようという気はないみたいやった。
ただやんわりと、抱いてくれてた。
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