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21-19 アキヒコ
おとんは水煙 を俺にくれてやるとき、どんな気分やったんやろ。
悲しかったか。そんなふうには見えへんかったけど。むしろ水煙 のほうが、置いてけぼりにされて、切 ないみたいやったけど。
きっと、いい気味 やと思うてたんやろ、おとん大明神 。捨 てられる前に、捨 ててやったわ、って。
そして、おかんとハネムーン。六十年遅れの。
その旅先 から送られてくる手紙の、いちゃいちゃ甘い旅日記 みたいなのに、ゆっくり幻滅 してたんは、なんも俺だけやない。
水煙 がなんで、おとんを忘れて、俺に惚 れたか、俺は考えてみたことがなかった。
俺は、おかんを盗 られた悔 しさで頭がいっぱいで、俺はつらいと、そればっかり思うてたけど、ほんまは水煙 かてつらかったんやないか。
こいつはこいつで、おとんをとられた。もう忘れなあかんて、そう思ってたんやないか。
だって、忘れへんかったら、つらいやんか。
おとんも水煙 に、ひどいことをした。俺が水煙 に、ひどいことをしたように。
でもそれは、水煙 がおとんに、ひどいことをしてたからやないか。
いくら好きやと燃えてくれても、そのオチにあるのは冷たい心変わりやって、おとんは知っていたやろ。
自分も自分の先代 から、水煙 をぶんどって当主 になった。その太刀 が鮮 やかなまでに自分に心を移すのを、おとんは実際に見たわけやから。
たった一度だけ、俺が亨 にふられたつもりで抱 いた時、水煙 は、なんで俺では駄目 なんやと、傷 ついたような目で俺を見てたが、なぜかの理由はそこらへんにあったかもしれへん。
お前は薄情 な神や。いくらその時、情熱的 でも、忘れる時はあっさりしてる。
愛されたければ、お前は秋津 の御神刀 をやめなあかん。次から次へ、親から子へ、手から手へと身を任 せるような、そんな不実 な奴 を、誰も本当には愛されへんねん。
何もかも捨てて、俺と一緒 に死んでくれるっていう亨 を、好きになるみたいには。
「跡取 りおったら、死んでもええんか」
皮肉 な笑みで、亨 が訊 いた。それに水煙 は、むっと険 しい顔をした。
「なんや蛇 。俺とまた喧嘩 すんのか」
「いいや。そうやないけど。お前もけっこう手ぬるいとこあるんやなあと思って。そんなん言うてるから、アキちゃんにモテへんのやで。そやからお前はあかんねん。穴 の有る無し関係ないねん」
言いにくそうに言う亨 の話に、水煙 はむっとしたままの顔で、唖然 としていた。
そらまあ、唖然 とするよな。亨 の話って、俺もときどき頭真っ白になるくらい、唖然 とするわ。
亨 は水煙 がそんな顔してんのも、全然気にせず話を続けた。
「もう、次の当主 に相続 されんのは、嫌 なんやろ。お前、そう言うてたやん、ほら……水族館 で。竜太郎 と話してる時。ほら、あの。言うたらあかん感じのお姿 で。憶 えてへんのか?」
「そんなん言うてたか?」
憶 えてへんらしい顔で、水煙 はきょろりと目を泳がせていた。
「憶 えてへんのか……。ほんならあれが、お前の本音 なんやで」
あーあ、みたいなため息をついて、亨 は俺の隣 で、ぐったりソファに沈 み込 んでた。そして俺の手を探 すようにして、指を絡 めてきて、亨 はじっと俺を見上げた。顔色をうかがうように。ちょっと慰 めるような目で。
「アキちゃん、こいつな、嫌 やて言うてたで。アキちゃんはもう、俺の眷属 になったせいで、永遠に生きるんや。そやからな、もう代替 わりせえへんでもええやんか。水煙 はずっと、アキちゃんの太刀 で居 れるやん。それが嬉 しいらしいで、水煙 様はな」
したり顔で言う亨 に、俺はなんか返事しようかと、唇 は開いたものの、淡 いため息みたいなのしか、出てきいひんかった。
こいつは何を、言うてんのやろ。
焼 き餅 焼 きのくせに、一体俺に、何を言いたいんや。
「そんな顔せんでええやん。水煙 様はアキちゃんが好きなんやで。あのアキちゃんやのうて、このアキちゃんや。次のでもない。ずっとこのアキちゃんらしいで」
俺の胸をずしずし指で突 いて、亨 は冷やかす見たいな、やけくその口調で言うてた。
俺はそれを、ぽかんと口あけたまま聞いた。
亨 もどこか、俺の心を知っているようなところがある。水煙 ほどではないけども、最初からずっと、なんも言わんでも俺の気持ちを理解してくれてた。
でも、お前、そんなことまで理解するんか。理解してもうて、ええんか。
俺は動揺 して、他に見るもんがなく、向き合って座っている水煙 の、困 ったような険 しい顔を見た。
表情は乏 しいけども、水煙 は確かに、眉間 に皺 を寄せてたし、どうしてええかわからんて、そういう悲しい目をしてた。
俺と目が合うと、水煙 は微 かに視線 を震 わせ、目を逸 らした。恥 ずかしいって、俺に抱 かれて震 えてた、そういう感じの態度 やった。
「アホやからな……」
ぽつりと言うてた水煙 が、誰のことを罵 ってんのか、俺にはわからへん。
亨 のことのように思えた。それとも、自分自身のことやろか。
「そんな話……どうでもええやろ。びっくりして何の話やったか、忘れてもうたやないか」
「年増 やからボケてんねん」
亨 は水煙 に文句を言われ、俺の手を握 って、だるそうにもたれかかってきながら、ソファのうえに、だらしなく脚 あげて寝そべる構 えやった。
それを瑞希 が、どことなく光るような目で見てた。
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