300 / 928

21-20 アキヒコ

 俺はそのことに気がついて、緊張(きんちょう)していた。  こいつは:嫉妬(しっと)深(ぶか)い犬や。  人に()れればそれで普通かもしれへんけど、一月ばかり前に瑞希(みずき)は、俺にべたべたするからというだけの理由で、女の子をひとり殺した。それは疫病(えきびょう)による狂気(きょうき)のせいか。それともこいつは、そういう性格なんか。 「あのなあ瑞希(みずき)ちゃん、ほんまに死ぬの怖くないんやったら、死んでやってくれへんか。アキちゃんのために。それで助かるんや。男になれる。お前に一生感謝すると思うわ。一生って、アキちゃんの場合、永遠にやで。それだけやったら、足りへんか?」  ごろりと寝たまま、(とおる)は天井を見上げて、瑞希(みずき)口説(くど)いた。  (めん)と向かっては、言いにくいんか。そう思う俺は、(とおる)美化(びか)しすぎか。  俺にはこいつは、(やさ)しいように思えるんやけど、()れてもうた脳みそで考える、(とろ)けたみたいな惚気(のろけ)やろうか。 「……いつやねん、それは」  瑞希(みずき)(なや)んだような、苦しそうな声で(たず)ねた。 「明明後日(しあさって)や」  (とおる)の返事を聞いて、瑞希(みずき)はやっと、俺を見た。  じっと思い詰めたような、(すが)り付くような、助けを求めてる目で俺を(なが)め、その視線はちらちらと、(まど)うように()れた。 「あと、二日?」 「今日入れたら三日やんか」  それで何かマシになるんか。俺にはそう思えることを、(とおる)は、良かったなぁ一日増えて、みたいに言うてやってた。 「もう昼過ぎてるで……」  ()えてるように、自分の(ひざ)(つか)んで教える瑞希(みずき)の声に、(とおる)はやっと気付いたみたいに、俺の手をとって腕時計(うでどけい)を見た。  (とおる)は時計はしいひんらしい。興味(きょうみ)ないんやって。時間を知る必要があれば、携帯(けいたい)もあるし。それに俺の腕時計(うでどけい)もある。そやから、いつも俺と一緒に()れば、自分の(うで)に時計がなくても、別に(こま)らへんやろ。 「ほんまや、飯時(めしどき)やんか。アキちゃん、腹へったやろ。パスタ食いに行く約束(やくそく)やったやんか。行こか」  がばっと起きて、(とおる)はソファの上で()つん()いになって、俺に顔を近づけた。  近いねんて。もうちょっとで、ほっぺたにキスしそうやろ。  それを気にするのは久しぶりや。まるで夏に大学で、祇園祭(ぎおんまつり)のCG作ってた(ころ)みたい。 「肝心(かんじん)な話やのに。しゃあない。行っておいで」  ぷんぷんしたふうに、水煙(すいえん)はそっぽを向いて、俺と(とおる)を送り出すような(かま)えやった。ふたりで行けと、水煙(すいえん)は言うてんのやろ。最近ずっと、そんなふうに気を(つこ)うてたようやったから。 「何言うてんの。お前も来たほうがええで。ワンワンと二人で部屋に残って、何されるかわからんやないか。この際、チーム秋津(あきつ)はグループ交際(こうさい)やから」  素足(すあし)でぺたぺたクロゼットに(くつ)を取りにいき、(とおる)水煙(すいえん)を心配してるような口ぶりやった。  確かにそうやな。瑞希(みずき)を信用していいか、俺にはまだ分からへん。(とら)水煙(すいえん)(あず)けたくないって、それを(しぶ)った時のようには、警戒(けいかい)してへんかったけど、言われてみれば確かにそうや。  こいつはほんまに、信用してええ(やつ)なんか。 「ティラミス食え。アイス食えたんやから。ティラミス食うとけ。まじで美味(うま)いから」  わざわざ指差(ゆびさ)して、水煙(すいえん)に話しかけ、(とおる)は部屋の電話の受話器(じゅわき)を耳に当てていた。どこに電話するつもりなんや。  相手はすぐに出たようで、ホテルのルームサービスの人らしい声がした。 「車椅子(くるまいす)、貸してください。ホテルの備品(びひん)であるやろ?」  電話の相手に話す(とおる)は、勝手知(かってし)ったるもんやった。あって当然と思うてるらしい。  まあ。知ってんのかもな。勝手(かって)を。  こいつは俺と住む前は、ホテルに住んでいたらしい。俺と出会った東山(ひがしやま)のホテルや。  最上階のインペリアル・スイート。中西(なかにし)さんが、まだ藤堂(とうどう)さんやった(ころ)に作った部屋にやで。  ここは、その同じ人が、支配人をやってるホテルなんやしな、まるで自分の家みたいでも、まあ、しゃあない。  俺はもう、それにいちいちムカッとできるような、ご立派(りっぱ)な立場やないわ。そやのに、正直しょんぼり。  (とおる)には言わんといてくれ。格好(かっこう)悪いから。  ()たして備品(びひん)車椅子(くるまいす)は、部屋の外でスタンバイして待ってたんちゃうかと思うほどの迅速(じんそく)さで、俺らの部屋に(とど)けられた。マシーンかみたいな、完璧(かんぺき)接客(せっきゃく)のホテルマンによって。 「水煙(すいえん)、押してやるから乗っていき。そういつまでも、アキちゃんのお姫様(ひめさま)()っこをせしめさせへん」  ホテルマンの置いていった車椅子(くるまいす)を、水煙(すいえん)の座るソファの(となり)に横付けし、(とおる)は、さあ乗れと(せま)るように言った。  車椅子(くるまいす)のハンドル(にぎ)って自分を見下ろす(とおる)を、水煙(すいえん)は少々たじろいで見上げていた。 「ケチやな、(とおる)」 「そらケチにもなるわ。チームメンバー増える一方で、俺のとり分は()る一方やねんから。そうそう、いつまでも、お前だけに、ええ思いはさせへんで」  真面目(まじめ)に言って、(とおる)はじっと、水煙(すいえん)の足を見た。ひょろっとしていて、華奢(きゃしゃ)やねんけど、その足で立たれへんほど()()えやというほどの、アンバランスな貧弱(ひんじゃく)さではない。  美脚(びきゃく)やで。ちょっと、リカちゃん人形系やけど。 「お前、ほんまに立たれへんのか」  (とおる)()かれて、水煙(すいえん)(むずか)しい顔で、一応、真面目(まじめ)に考えているようやった。

ともだちにシェアしよう!