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21-21 アキヒコ
「立つくらいは、できるかもしれへん。ちょっとの間 やったら」
「ほな自分で立ち。何事も努力や。いつまでも、そんなんやったら、アキちゃんの足手まといやんか。ずっと人型してたいんやったら、努力せえ。できへんと思うてるから、できへんようになるねん。自分で立って歩き回れたら、行きたいとこにも自由に行けるんやで」
「別にないけどなぁ、行きたいところなんて……」
根っからのインドア派。引き籠 もりのお姫様。そんな感じのする、意欲なさそうな口調で、水煙 は答えたが、でも自分で立つつもりらしかった。
絵を大事そうに脇 に置き、そして、ソファの肘掛 けに手をかけた。
よいしょ、と渾身 の力で踏 ん張っているらしい、必死の顔を見て、俺はにわかに慌 てた。
そんなんしいひんでええねん、水煙 。コケたらどないするんや。
お姫様抱っこはあかん、車椅子 に乗れっていうんやったら、乗るときぐらい俺が抱っこして乗せたるやん。
抱き上げればめちゃめちゃ軽い、そんな体でも、水煙 には重いらしかった。ううん、みたいに呻 いて立ち上がり、そして一瞬でコケてた。
ひいい、うちの神さまやのに!
と思った俺の動きは、ちょっと自分でも寒いほど素早 かったな。ソファの間に置いてある、趣味のいいコーヒーテーブルを、靴 は脱 いだ素足 でとはいえ、足蹴 にして踏 み越 えてまで、倒 れ込む水煙 を抱き留 めていた。
うわあって、びっくりした顔で、亨 は倒 れる水煙 をあんぐり見ていただけやった。
お前、助けへんのやったら、無茶 させんのやめてくれ。怪我 でもしたらどないすんのや。
綺麗 な顔に痣 でもできたら。ご神刀 に傷でもついたら、どないしてくれるんや!
俺はとっさに、そんな必死顔やったんか。亨 はあんぐりしたまま、俺と向き合っていた。
「必死やな、アキちゃん……」
ぽかんとした亨 に言われ、俺は正直気まずかった。これがもし水煙 やのうて俺やったら、そこまでするかと、亨 に責 められてるような気がして。
そこまでは、しいひんかもしれへんな。だってお前は強いやん。水煙 はへなへなやけど。
本能 なのや。俺の。弱けりゃ弱いほど、守ってやりたい欲求がより強く働くんやんか。
お前かて死にかけて寝込んでた時には、ずっと抱いといたやないか。
「立たれへんみたいやわ」
俺の胸に抱かれたまま、じっと見上げて、水煙 が俺に教えた。可愛いような気がした。
見たらあかん。ぎゅっと目を閉じて、俺はうんうんと頷 いた。
「無理せんでええねん。太刀 なんやから、一人で立ってうろうろしたらおかしい。足手まといってことはないから……気にせんでええねん」
「そうやろか……」
まさか気にしてんのか。亨 が変なこと言うからや。
水煙 は、俺の胸に頬 を乗せ、小さくぎゅっと俺を抱いたが、それは傍目 に分かるほどではなかった。単に体が重いから、ぐったりと、もたれかかっているだけみたいに見えたやろ。
でも何となく、水煙に抱きつかれたような気がした。心臓が、どきどきしているのが伝わってきたんや。
心臓、あるんや、水煙 にも。すごく小さな鼓動 やったけど、脈打つ何かが胸に感じられた。
たぶん、怖かったんやないか。立ったことないし、転んだこともない。この体にまだ慣れてないんやし。努力せえと亨 は言うけど、水煙 にとっては実は、この体で人界 にいること自体が、けっこう大変なんやないのかな。
ああもうほんまに無理しんといてほしい。別に太刀 のままでもええんやから。
「アキちゃん、座らせて。車椅子 」
いつまでも、抱っこしている俺に、水煙 が小声で頼 んだ。
ちょっと長かったか。水煙 の抱き心地 は気持ちがいい。だから未練 がましかったか。
俺も変やわ。よくもまあ、亨 や瑞希 の見ている前で、水煙 様といちゃつくもんやわ。
俺のもんやっていう意識が相当 強くて、ちょっと執念 入ってる。これは一種の、血筋 の呪 いやないやろか。
ほんまに水煙 は、うちの血筋 に呪 いをかけているような気がする。その血に連 なる者 が、自分に執着 するように。
水煙 を、折りたたみ式の車椅子 の、偽物 の革 のシートに座らせると、なんでか俺の気は物凄 く咎 めた。
借 り物 やしな。それに合皮 というのか、いかがなものか。
冷たいやろう。冷たくたって、水煙 は平気なんやろけど、でも俺が気になる。
もし、ずっと車椅子 乗るんやったら、どっかに依頼 して作ってもらわなあかん。特注 かな、やはり。水煙 様専用車椅子 。
どんなんがええかな。もちろん革 は本物で。仔牛革 か、いっそ仔山羊革 かな。手袋とかに使う、柔 らかいやつやで。
そんなん考えてる俺はアホ。車椅子 のデザインする気か。
する気まんまんやったけど、そんな暢気 なこと考えてる場合でもないのにな。伸 るか反 るかの、正念場 やのに。
「なんか膝 にかけるもんあったほうが良くないか?」
脚 をそろえてやりつつ、俺が訊 くと、水煙 は不思議 そうな顔をした。
「あったほうがええんか?」
「いや……寒いかなと思って。何か買おうか、ホテルの店で」
嘘 です。服着てないのに、裸身 丸見えやと大サービスすぎかと思うただけです。
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