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21-23 アキヒコ
そんなこと、俺はしたくない。亨 をそんな目に遭 わせたくない。
だって、出会ってからずっと、毎晩抱き合って寝た。この八ヶ月、あいつと抱き合って寝てない日はない。
離れているのが、怖いんや。アホみたいかもしれへんけど、亨 の手を離すのが怖い。
そしたらもう、あいつは俺のもんではなくなる。誰かに遠く連れ去られて、もう二度と、会えないような気がして、そんな自分の漠然 とした妄想 にも、耐 えられへん。
「嫌 ですか。それも嫌 なんか。ただで死ねっていうんか、先輩 」
何か支払 えというように、瑞希 はどこか醒 めた声して、俺に訊 ねた。
ずいぶん返事を待ったけど、もう待たへんて、そんな感じの、かすかな脅迫 めいた響 きのある声やった。
確かに、お前の言うとおりやな。なんで俺のために、ただで死んでくれなんて頼 めるやろか。
何を積 んだら納得 いくんや。そんな代償 はありえへん。
そのために、死んでもええわっていうようなモンが、この世にどれだけあるやろ。
でも確かに、瑞希 はいつも、そう言うてた。抱いてくれたら死んでもいいって。
けど、それは、ものの例 えやろ。ほんまに死んでもええわけやないやろ。それが、ほんまになるなんて、無茶苦茶 やないか。
迂闊 なこと、口に出すもんやない。言葉にしたら、ほんまになってまう。言葉にも、力があるんや。
うちのおかんが、そう言うてた。
言霊 というんえ。天地 が、人の話を聞いてはる。そう言うんやったら、その通りしたろうかって、動かはる。そやから、不吉 なことや、邪 なこと、心にもない嘘 は、口に出したらあかんえと、おかんは口酸 っぱくして言うて、俺を躾 けた。
俺は子供のころからずっと、口が悪かったからなあ。
そのせいか、土壇場 なると、口をきくのが怖いような気がする時がある。迂闊 なことを言うてもうて、えらいことなったらどうしようかって。
この時も、俺の舌 は凍 り付いたように、ものを言わへんかった。
なんて言えばええねん。
そうや。ただで死ね。お前は俺の式神 なんやから。主人が死ねというんや、大人しく命令に従 えばええんやと、そう言うんか。
それとも、お前は可哀想 なやつやと。この二日と半日をかけて、ゆっくり可愛 がってやるから、それで満足 して死ねと。そう言えばええんか。
どっちも無理や。俺にはとても、言われへん。
どっちも本心やない。心にもないことや。自分の心に添 うてない感じがする。嘘 をついているような気が。
瑞希 は黙 っている俺を見て、またキレんのかと思った。
だけど短く、ため息みたいな息をつき、目を泳がせただけやった。
それから静かに、瑞希 は立ち上がった。もう俺の側 には、寄 って来なかった。
「すみません。我 が儘 言うて。もう、行きましょうか。待たせたら、悪いから」
もう俺は、諦 めた。我 が儘 言わへん。大人しく、付 き従 うって、そういう距離感 で、瑞希 は俺の横に来て、部屋から出て行くドアを眺 め、それから行こうと促 すように、立 ちん坊 してる俺の顔色をうかがっていた。
そうやな。さっさと行かんと、亨 も怒るやろ。要 らん勘 ぐりされても困 る。何をしてたんやって、うるさく訊 かれても、答えようがない。ただ話してただけやって、そんなんで納得 するような奴 やあらへん。
でも何か、俺は微 かに身震 いが来てた。怖くて。
俺はいったい、どうするつもりなんやろう。これから先、どうやって生きていくつもりなんや。
道がぜんぜん見えへんねん。どっちに進んだらええか、真っ暗闇 の中で立 ち往生 してて、行き先が決まらんような不安があった。
「二日やで。今日を入れて三日や。たったそれだけで、お前はほんまに納得 できるんか」
顔を見るのも怖かったけど、目も合わせずにそんなこと訊 くのは卑怯 やわ。それで俺は、恐 る恐 る瑞希 の顔を見た。
無表情に凍 りついたような痩 せた顔が、ほんの一歩の先にあり、じっと見開いた目で、俺を見つめ返してきた。
やっぱりその目の中には、何か燃えているような気がする。それは怨念 かもしれへん。俺への、恋情 とか、執着 とか、怒 りとか、そういうもんかもしれへん。
薄 く開いた瑞希 の唇 が、喘 ぐような息をするのを、俺は見た。
「納得 は、できません。俺がどんだけ、この日を待ったか、先輩 にはわからへんのやろう。長かったです。せやのに、たったの三日って……。一日付き合うのに、一万年? ずいぶん、高いんやな、先輩 は。ぜんぜん、採算 合わへんわ」
泣きそうに言って、瑞希 は皮肉 めいた笑みやった。
確かに、長いよな。これっぽっちも想像つかへん。
ためらったような、ゆっくりとした動きで近づき、瑞希 はまるでスローモーションの絵のように、腕 を伸 ばして俺のシャツの胸 を掴 んだ。
いつもと同じ、思い詰 めたような目で、瑞希 は間近 に迫 って俺を見上げた。
「キスしてください。それくらいして。やっと戻 ってきたんやで、先輩 」
切 なそうな、苦しい顔やった。
笑ったらきっと、可愛 い顔なんやろうけど、俺は瑞希 が心から笑っているところを、あんまり見たことがない。
それはたぶん、俺が悪いんやろう。
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