304 / 928

21-24 アキヒコ

 (とおる)はいつも、にこにこしていて、俺はそれが好きや。お前ももっと、笑えばええのに。  でも、そんなこと、とてもやないけど命令できひん。俺がお前の(あるじ)やと、そういう態度(たいど)で命じれば、たぶん、瑞季(みずき)はにっこり笑うんやろうけど、それはお前の心とは違う。(うそ)やから。  待ってる体を抱き寄せて、俺は瑞希(みずき)華奢(きゃしゃ)(あご)(つか)み、覚悟(かくご)を決めてキスをした。  だってそれくらい、してやらなあかんのと(ちが)うか。こいつは俺のせいで、どんだけつらい目に()ってきたやろ。  それがこいつの自業自得(じごうじとく)やとは、俺はどうしても思えへん。何もかも、俺のせいやって思ってる。  (くちびる)()れると、瑞希(みずき)はもう我慢(がまん)できひんように、俺に(すが)り付いてきた。  熱い抱擁(ほうよう)やった。実体のない、幽霊(ゆうれい)やない。やっぱり燃えるような体で、それでも(こご)えているように(ふる)えてる。  その、がたがた(ふる)えてる体を強く抱きしめて、俺は(むさぼ)るようなキスをしたけど、それに(こた)えてくる(くちびる)のほうが、もっと激しかった。  あと三日や。あと三日だけやから。  俺は誰にともなく、心の中でそんな()(わけ)をして、長すぎるように思えたキスを()りほどいた。  (くちびる)(はな)れると、瑞希(みずき)はすぐに抱擁(ほうよう)(のが)れ、顔を(おお)って身を(よじ)り、はあはあ(あら)い息をしていた。  なんだか泣いてるみたいやった。苦しげに、(うめ)いているような、小さな声が聞こえた。 「あんまりや。三日だけなんて。先輩(せんぱい)はいつも、無茶苦茶(むちゃくちゃ)やねん。俺はもう、ほんまにつらい。先輩(せんぱい)になんか、()れへんかったらよかった」 「逃げてもええんやで。(いや)なんやったら。俺の式神(しきがみ)なんかやめて、どこかへ逃げろ。そしたら死なんで()むんやで」  それは無意識に言うた話やったけど、(きずな)()ち切る言葉やったかもしれへん。  瑞希(みずき)(はげ)しく首を()り、(こば)む目をして俺を見上げた。 「(いや)や! そんなこと、言わんといてください。どこへ行くんや。先輩(せんぱい)にまた会いたくて、なんでも()えたのに。何で今さら、よそへ行かなあかんのや。ひどいと思わへんのですか。ひどいねん、先輩(せんぱい)は!」  そうやな。俺は非道(ひどう)やわ。お前を二度も殺して、その後、どうやって生きていくんやろう。  (とおる)水煙(すいえん)、両手に花で、幸せに生きていくんかな。そんなハッピーエンド?  そんな自分が、俺はほんまに好きやろか。そんな心で、いい絵が描けるか。  俺はほんまに、絵描きになりたかったんや。絵が好きやしな、それより他に(のう)があるとは思えへん。  (かしこ)い子やし、アキちゃんなんにでもなれるわって、おかんは俺を自慢(じまん)に思うてくれてたようやったけど、俺が一生かけて身を(ささ)げてもいいと思える道は、ふたつしかなかった。  秋津(あきつ)の家を()ぐことと、それから絵を描くことだけや。  そのほかの道で、自分が幸せになれるわけない気がするんや。  絵が描けんようになったといって、俺の前の彼女は自殺したらしい。  (せい)トミ子のほうやのうて、そのガワのほう。可愛(かわい)()やったで。俺にとっては、ほとんど知らん女なんやろうけど。  絵が描けへんようになったといって、気が滅入(めい)り、()ては死んでもうたという話を聞いて、俺は、なんて可哀想(かわいそう)()やと思った。  (みじ)めやわ、そんな死は。絵を描くことが自分の存在意義やと思うてる人間にとって、絵が描けんようになるのは、死ぬよりつらいやろ。  それが俺への片想(かたおも)いに(なや)んだせいやと言われても、俺にはどうしようもない。  知らへんかった。何のアプローチもなかったし。言い()ってきた時にはもう、あの()(せい)トミ子のほうやったんやからな。  でも、彼女のことを考えると、罪悪感(ざいあくかん)(おぼ)える。俺が殺した。俺のせいで死んだ。大勢いてる、彼女もそんな人らのうちの一人や。  そんな死体を()()えて、俺はどんな絵を描こうというんやろう。  一度ならず二度までも、瑞希(みずき)を殺して、それでもまだ描ける絵があるんか。  俺は卑怯(ひきょう)や。卑怯(ひきょう)やと思う。それが(げき)の普通の姿(すがた)やと言われても、うちの先祖代々が、そうやって生きてきたと言われても、俺は自分が卑怯(ひきょう)に思えてならへんのや。  若いから、ええ格好(かっこう)してたんやろか。  いいや。それは俺の性格やねん。自分が行かな気がすまへん。お前行ってこいでは納得(なっとく)いかへん。  最前線に突撃(とつげき)や。そこで自分の式神(しきがみ)たちと、生死をともにするんでないと、男が(すた)ると思えてしょうがない。  それはな、おとんの血やで。おとんもそうやって死んだ。第二次世界大戦に従軍(じゅうぐん)した(げき)が、みんな死んだわけやないで。しっかり生きてる(やつ)もおる。  立ち回りの上手(うま)(やつ)っていうのは、いつの世も、どんな世界にも()るんや。()るやろ、そういう(やつ)ら。  そういう意味では、俺のおとんはアホやった。真面目(まじめ)で若い、青二才(あおにさい)やった。  なんも自分が死なんでもええやんて、思う向きもあったやろ。  でも、俺はここだけの話、自分も死んでもうたおとん大明神(だいみょうじん)(ほこ)りに思う。  おとんが何で死んだか、そういえば具体的(ぐたいてき)には語っていなかった。  軍艦(ぐんかん)に乗ってたんや。実はその(かん)轟沈(ごうちん)したわけではない。  激闘(げきとう)を生き抜き、終戦の(ほう)を太平洋上で、無念(むねん)(なみだ)にむせび泣きつつ聞いた。  終わったんや、戦争は。負けたけど、それでも生きて帰れる人たちやった。

ともだちにシェアしよう!