313 / 928

21-33 アキヒコ

「アキちゃん。苦しむことはない。流れに身を(まか)せろ」  俺の手に()れて、水煙(すいえん)はじっと、俺を見つめた。その黒い目の(はな)つ、まっすぐな視線には、何か幻惑(げんわく)するような魔法があるんかもしれへん。  俺はそれと見つめ合い、何となく頭がぼうっとした。  きっと平気や。水煙(すいえん)様が()るから。きっと何とかなるわ。身を(まか)せればええねん。流れに。  (じゅつ)にかかったらしい俺を、水煙(すいえん)は、ほっとしたように見ていた。 「たったの三日や。お前も(とおる)も、永遠に生きるんやろう。たったの三日、もう死ぬという(やつ)に、情けをかけてはやれんのか。あいつはお前が、恋しいだけや。好きでたまらへんのや。お前のものにしてやったらええやないか」  俺の手を(にぎ)り、水煙(すいえん)はそうかき口説(くど)いたが、俺にはその話が、瑞希(みずき)のことではないように聞こえた。  水煙(すいえん)(せつ)なげに俺を見ていたし、微笑(ほほえ)んでいても悲しそうやった。 「それで(とおる)が、お前を(ゆる)せへんというんやったら、あいつの気持ちはその程度(ていど)のもんやろう。アキちゃんはそれこそ、手当たり次第(しだい)に寝てたけど、それでも俺はあいつを(ゆる)してた。(げき)甲斐性(かいしょう)や。お前のことも、(ゆる)せると思う。何人と寝ようと、気持ちは変わらへん」  そうは言いつつ、水煙(すいえん)はますます、悲しそうに見えた。  おとんはお前を(くら)に片付けて、いったい何をしていたんやろうな。  そうやって、悪い子してきたアキちゃんを、お前は()めてやってたんか。  ようやった、って。それでこそ秋津(あきつ)当主(とうしゅ)や。巫覡(ふげき)の王や。(たの)もしい、(いと)しい相方(あいかた)やって。  それは、おとんも微妙やったやろうな。どうしていいか、わからへん。  どういう愛で、愛されてるんか、分からへんようになるわ。 「嫉妬(しっと)はないんか、お前には」  ()かんでええのに、俺は()いた。餓鬼(がき)やから。  水煙(すいえん)は俺を、じいっと見つめた。微笑(ほほえ)みもしいひん、無表情な顔で。 「あるよ。あるから、こんなに(みにく)い姿なんやろ。(みょう)なこと()くもんやない。(やぶ)をつついて、(へび)を出す羽目(はめ)になるで」  (しか)る口調で言われ、俺は内心、うろたえた。  水煙(すいえん)は平気なんやと、この()(およ)んでも、俺は思うてる。  平気そうな顔をしている。(にぶ)いような、冷たいような、人でなしみたいな。  それは、こいつが、そうでありたいと願っているからか。  それとも、俺がお前に、そうでいてくれと、願っているからか。 「買いました」  ぷんぷん怒って、瑞希(みずき)(とおる)と戻ってきた。(とおる)気味(きみ)が良さそうに、にこにこしていた。  瑞希(みずき)はまだ無一文(むいちもん)やったんで、(とおる)会計(かいけい)してやったらしい。おかんが(とおる)に、クレジットカードを与えていたし、俺の口座のキャッシュカードも持っている。  最初に持って現れた、無限に使える魔法のカードは、最近さっぱりお目にかからへんから、封印(ふういん)してあるんやろうけど、(とおる)がなんか買うのに不自由はさせてへん。 「王子様ルックにしといてやったわ」  (とおる)はしてやったりというふうに、荷物抱えて痛恨(つうこん)の顔をしている瑞希(みずき)(なが)め、にやにやしていた。  俺はそれに、作り笑いで(こた)えた。別に何着てもええけど、本人が(いや)なもん着せるのは、どうやろ。 「それ買うの? 綺麗(きれ)な色やん。(はろ)てきたるわ」  水煙(すいえん)(ひざ)にあるショールを()めて、(とおる)はそれに付いていた値段のタグをむしり取ると、それだけ持って、またレジに行っていた。  瑞希(みずき)鬱々(うつうつ)と押し(だま)り、水煙(すいえん)(あわ)い笑みで、(とおる)()(なが)めていた。 「アキちゃん。あいつは、ええ(やつ)や。やっていけるよ、あれと上手(うま)いこと」  水煙(すいえん)が、(とおる)()めてた。いったい何があったんやろう。俺が知らん()に。 「俺がおらんでも、平気なんとちがうか。神はほかにもいる。もう、太刀(たち)やら剣の時代ではないんや」 「なんでそんなこと言うんや」  水煙(すいえん)は俺を、捨てようとしてるんやないやろか。俺だけやのうて、秋津(あきつ)の家を。そんな気がして、俺は怖かった。 「俺は長く、生きすぎた。もう、潮時(しおどき)やないやろか。消えるか、よそへ行くかするべき頃合(ころあ)いなんやないやろか。人恋しくて、ずっとこの世界にいたけど、古い神々はもう()らん。皆、どこか別の位相(いそう)へ旅立った後や。そんな世やのに、ええ(とし)した大年増(おおどしま)が、いまだにこんなことしてんのは、()ずかしいなあと思えてきた」  水煙(すいえん)様は、現場が大好き。  でも、水煙(すいえん)()みの神様は、普通やったら式神(しきがみ)になんかならへん。  だって、こいつ、ほんまやったら神社に(まつ)られて、大明神(だいみょうじん)してるような(とし)なんやで。それがふらふら最前線で、燃えているのははしたないって、そういう考え方もあるわな。 「捨てんといてくれ」  何も考えず、俺はぼけっと(たの)んだ。  後で考えてみると、そんなこと人に言うたのは、俺は生まれて初めてや。おかんにすら言うたことない。(とおる)にもない。他の誰にも言うたことない。水煙(すいえん)だけや。  そうやって(たの)まへんと、どっか行ってまうんやないかという気が、本気でしたし、そうなると俺は()(まま)坊主(ぼうず)やった。そして、ノー・デリカシーやった。  瑞希(みずき)はあぜんと聞いていたけど、なんも言わへんかった。  たぶん、言える空気やなかったし、開いた口がふさがらんだけで、言えることも無かったんやろ。

ともだちにシェアしよう!