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21-33 アキヒコ
「アキちゃん。苦しむことはない。流れに身を任 せろ」
俺の手に触 れて、水煙 はじっと、俺を見つめた。その黒い目の放 つ、まっすぐな視線には、何か幻惑 するような魔法があるんかもしれへん。
俺はそれと見つめ合い、何となく頭がぼうっとした。
きっと平気や。水煙 様が居 るから。きっと何とかなるわ。身を任 せればええねん。流れに。
術 にかかったらしい俺を、水煙 は、ほっとしたように見ていた。
「たったの三日や。お前も亨 も、永遠に生きるんやろう。たったの三日、もう死ぬという奴 に、情けをかけてはやれんのか。あいつはお前が、恋しいだけや。好きでたまらへんのや。お前のものにしてやったらええやないか」
俺の手を握 り、水煙 はそうかき口説 いたが、俺にはその話が、瑞希 のことではないように聞こえた。
水煙 は切 なげに俺を見ていたし、微笑 んでいても悲しそうやった。
「それで亨 が、お前を許 せへんというんやったら、あいつの気持ちはその程度 のもんやろう。アキちゃんはそれこそ、手当たり次第 に寝てたけど、それでも俺はあいつを許 してた。覡 の甲斐性 や。お前のことも、許 せると思う。何人と寝ようと、気持ちは変わらへん」
そうは言いつつ、水煙 はますます、悲しそうに見えた。
おとんはお前を蔵 に片付けて、いったい何をしていたんやろうな。
そうやって、悪い子してきたアキちゃんを、お前は褒 めてやってたんか。
ようやった、って。それでこそ秋津 の当主 や。巫覡 の王や。頼 もしい、愛 しい相方 やって。
それは、おとんも微妙やったやろうな。どうしていいか、わからへん。
どういう愛で、愛されてるんか、分からへんようになるわ。
「嫉妬 はないんか、お前には」
訊 かんでええのに、俺は訊 いた。餓鬼 やから。
水煙 は俺を、じいっと見つめた。微笑 みもしいひん、無表情な顔で。
「あるよ。あるから、こんなに醜 い姿なんやろ。妙 なこと訊 くもんやない。藪 をつついて、蛇 を出す羽目 になるで」
叱 る口調で言われ、俺は内心、うろたえた。
水煙 は平気なんやと、この期 に及 んでも、俺は思うてる。
平気そうな顔をしている。鈍 いような、冷たいような、人でなしみたいな。
それは、こいつが、そうでありたいと願っているからか。
それとも、俺がお前に、そうでいてくれと、願っているからか。
「買いました」
ぷんぷん怒って、瑞希 が亨 と戻ってきた。亨 は気味 が良さそうに、にこにこしていた。
瑞希 はまだ無一文 やったんで、亨 が会計 してやったらしい。おかんが亨 に、クレジットカードを与えていたし、俺の口座のキャッシュカードも持っている。
最初に持って現れた、無限に使える魔法のカードは、最近さっぱりお目にかからへんから、封印 してあるんやろうけど、亨 がなんか買うのに不自由はさせてへん。
「王子様ルックにしといてやったわ」
亨 はしてやったりというふうに、荷物抱えて痛恨 の顔をしている瑞希 を眺 め、にやにやしていた。
俺はそれに、作り笑いで応 えた。別に何着てもええけど、本人が嫌 なもん着せるのは、どうやろ。
「それ買うの? 綺麗 な色やん。払 てきたるわ」
水煙 の膝 にあるショールを褒 めて、亨 はそれに付いていた値段のタグをむしり取ると、それだけ持って、またレジに行っていた。
瑞希 は鬱々 と押し黙 り、水煙 は淡 い笑みで、亨 の背 を眺 めていた。
「アキちゃん。あいつは、ええ奴 や。やっていけるよ、あれと上手 いこと」
水煙 が、亨 を褒 めてた。いったい何があったんやろう。俺が知らん間 に。
「俺がおらんでも、平気なんとちがうか。神はほかにもいる。もう、太刀 やら剣の時代ではないんや」
「なんでそんなこと言うんや」
水煙 は俺を、捨てようとしてるんやないやろか。俺だけやのうて、秋津 の家を。そんな気がして、俺は怖かった。
「俺は長く、生きすぎた。もう、潮時 やないやろか。消えるか、よそへ行くかするべき頃合 いなんやないやろか。人恋しくて、ずっとこの世界にいたけど、古い神々はもう居 らん。皆、どこか別の位相 へ旅立った後や。そんな世やのに、ええ歳 した大年増 が、いまだにこんなことしてんのは、恥 ずかしいなあと思えてきた」
水煙 様は、現場が大好き。
でも、水煙 並 みの神様は、普通やったら式神 になんかならへん。
だって、こいつ、ほんまやったら神社に祀 られて、大明神 してるような歳 なんやで。それがふらふら最前線で、燃えているのははしたないって、そういう考え方もあるわな。
「捨てんといてくれ」
何も考えず、俺はぼけっと頼 んだ。
後で考えてみると、そんなこと人に言うたのは、俺は生まれて初めてや。おかんにすら言うたことない。亨 にもない。他の誰にも言うたことない。水煙 だけや。
そうやって頼 まへんと、どっか行ってまうんやないかという気が、本気でしたし、そうなると俺は我 が儘 坊主 やった。そして、ノー・デリカシーやった。
瑞希 はあぜんと聞いていたけど、なんも言わへんかった。
たぶん、言える空気やなかったし、開いた口がふさがらんだけで、言えることも無かったんやろ。
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