315 / 928
21-35 アキヒコ
「いっそ、ほんまに犬やったら良かったな。そしたら俺も、自分の分 を弁 えられたやろ。俺は、先輩の犬になりたいわけやないんです。それでもええけど。でも、恋人になりたいねん。二番でも、三番でもええから……」
じっと思い詰 めた目で話し、瑞希 はもうずいぶん遠くに見える、水煙 と亨 を苦しそうに見ていた。そして、ため息みたいな長い息を吐 いた。
「嘘 や……先輩。ほんまは一番になりたい。俺だけ見てもらえませんか。たったの三日や。それが贅沢 やっていうんやったら、今夜だけでもええねん。ちょっとの間だけでも……」
言い募 る口調になりはじめる瑞希 に焦 って、俺はとっさに、その手を握 っていた。
びっくりした顔で、瑞希 は俺を見た。
なんで手なんか握 ってもうたんやろ。俺は慌 ててきたけど、もうやってもうた後や。
「思い詰 めるな。お前の悪い癖 や」
どの面 提 げてか、説教 くさい俺に、瑞希 は大人しく頷 いていた。
それが自分の悪い癖 やって、本人も思うてんのやろ。
「でも、好きやねん。先輩のこと、すごく、好き。どうしていいか、わからへんのです。俺も、応 えてほしい。あの人らみたいに、愛されたい」
瑞希 は俺に、恋をしている。俺はそれに、どぎまぎする。
それは何となく、俺を好きやと言う竜太郎 に、俺が慌 てるのと似 ていた。
こいつらの愛情は、どことなく一方的で、壊 れ物 みたいや。理想化した俺を見ていて、好きや好きやで押してきて、俺に考える間 を、与えてくれへん。
幼 いんやろう。瑞希 は。
三万十八歳に向かって、たったの二十一の俺が、幼 いていうのは失礼やけども、瑞希 は大学にいた頃 と、何も変わってへんように見えた。
言うてることも同じようなもんやし、俺を見る目も、必死な素振 りも、全然変わらん性急 さで、責 め立てるように俺を口説 く。
俺もたぶん、まだ幼 かったんやろう。そういうのを受け入れてやるには。ビビってもうて、考える間 もなく逃げを打 ってる。たぶん、求められてる理想と、自分が持ってる現実の、ギャップが怖くて。
「お前のこと、愛してへんわけやない」
俺は観念 して話し、瑞希 の手を引いてやった。
連れて歩くと、ほんまに犬みたいやった。引っ張られて、とぼとぼ付いてくる。
「ほんまですか……」
「嘘 ではこんなん言われへん。お前が死んでもうた後、俺はお前の絵を描いた。犬の絵やけど、お前やと思って描いてたと思う」
「嬉 しいです」
ほんまに嬉 しそうに、瑞希 は照 れていた。その静かな笑みは、作り笑いやない、ほんまの笑みに見えた。
可愛 い奴 やと、俺は振 り返ってそれを見た。貪 りたいような可愛 さや。
だけどそれは、支配したいだけで、俺はほんまにこいつを、愛してやれるんやろうか。亨 のようには無理でも、せめて水煙 を愛するように。
「水煙 は、うちのご神刀 や。あいつに認 められるのが、家督 を継 ぐのに必要やねん。神々と愛し合うのが、覡 になるということらしい」
「覡 ……?」
そんなんも知らんのかという事に、瑞希 は首を傾 げていた。
ほんならこいつは、ほとんど何も訳 わからずに、ただもう俺と一緒にいたくて、巻き込まれてきたんや。
「巫女 さんの男版みたいなもんや。うちは、拝 み屋 やねん。式神 と契約 をして、それを従 わせたりする。鬼道 の家柄 や。豊作 なるように祈 ったり、雨乞 いしたり……鬼をやっつけたりする」
「そうか。それで先輩、俺をやっつけにきたんや」
そんなことも、お前は知らんかったんや。ほんなら何で俺が、お前を殺しに来たんやと思うたんや。
「そんだけ憎 いんやと思ってた。俺のこと。俺があの人を、傷つけたから……?」
亨 のことやろう。
振 り返って見ると、瑞希 はもう俺の顔色をうかがうような、緊張 した作り笑いで、俺に取り入りたい、愛してもらいたいという顔をしていた。
「お前のこと、憎 いから殺したんやない。鬼になってたからや。けど、もしまた亨 になんかしたら、許 さへん。それだけは、よく分かっといてくれ」
話す俺を見つめて、瑞希 はどこか、絶望的 な笑 みやった。小さく頷 いて、それにも逆 らわへんかった。
「何もしません。俺は負けたんや。でも、今日だけや、先輩。今日だけでもええんです。俺が一番でも、今日だけやったら、別にかまへんやろ。もう、半日もない。それっぽっちも、俺にはくれへんの」
「亨 はちゃんと、お前に譲 ってくれてるやないか」
そんなこと、お前にできるかと、俺は挑 むような口調 やったかもしれへん。
俺はちょっと、怒ってた。怒れる義理 ではないんやけど。
瑞希 は、俺が俺がって、自分のことばかり言うてる。それも仕方 ない。そうでも言わへんかったら、俺は知らん顔やもんな。
瑞希 も切 ないやろう。そんなこと、言わんでええなら言いたくないのかもしれへん。
可哀想 や。俺が分かっておいてやらへんかったら、あかんのやって、頭では分かるけど、俺は亨 のほうがもっと可哀想 に思えた。
あいつは、いつも、どこへ行くにも俺とべたべた手を繋 ぎたがったし、ひどい焼 き餅 焼 きや。それがずっと、我慢 してんのやで。
ともだちにシェアしよう!