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21-36 アキヒコ

 俺もずっと、我慢(がまん)してる。  何でやろう。学校行ったり、用事があったりで、しばらく離れていることは、別に(めずら)しくはないのに、こうして引き離されているようやと、俺は(とおる)を抱きしめたかった。  お前は俺のもんで、俺はお前のもんなんやろう、って、強く抱いて(たし)かめたい。あいつが、うっとり笑って、アキちゃん好きやって言うてくれるのを、見たかったんや。  でも、俺も、それを我慢(がまん)している。我慢(がまん)もせずに、そんなことしてたら、あまりにも瑞希(みずき)に悪い気がして。  あちらを立てれば、こちらが立たずやな。  けど俺の、あっちフラフラ、こっちフラフラも、(とおる)()ればこそで、あいつがいないと、それはまさにゴハンのないカレーライスみたいなもん。絶対的になにか足りない。  ライスがない。それやとカレーライスにならへん。食えんことはないけど、不味(まず)いわけではないけど、うわあどうしようって思うで。俺、ゴハンないと(めし)食われへん子やから。  夜んなったら(とおる)と寝られると思うから、鳥さんええなあとか、神楽(かぐら)さんフラフラとかなんやんか。おかずやねん、おかず。そんなん言うたら悪いけど、でも、そうやねん。  基本、ゴハンがええけど、たまには饂飩(うどん)もええなあとかいうのが、水煙(すいえん)あたりやないか。饂飩(うどん)なかったら死ぬんやで、関西人。  瑞希(みずき)はたぶん、パスタかサンドイッチ?  ちょっと(つま)みたいみたいな可愛(かわい)い犬を見て、俺はもちろん、そんなアホみたいな話はしいひんかった。(かく)し通さな可哀想(かわいそう)やないか。アホに()れてて、そいつのために死んだんやと分かったら、こいつの(なげ)きは深いで。ええ格好(かっこう)してやらなあかん。  アホや俺。ほんまに、自分で自分が情けない。血筋(ちすじ)の定めとはいえ、なんでこんなに浮気者(うわきもん)やねん。(とおる)一本に(しぼ)りたい。あいつだけを愛して、脇目(わきめ)()らずに生きていきたかった。  でも無理や。  瑞希(みずき)はしょんぼりとうつむき、可哀想(かわいそう)やった。俺に怒られ、もうあかんと思ったらしい。死んだような顔してた。  俺はそれを黙々(もくもく)と連れて帰り、部屋に戻って絵を描いた。  (とおる)水煙(すいえん)は、先に戻ってきていて、何事かひそひそ話していたけども、俺には教えてくれへん内緒(ないしょ)の話やった。  お絵かきしよかって、(とおる)はにこにこ愛想(あいそう)がよく、自分も宿題あるからと、またソファの俺の(そば)で、ヴァチカンにくれてやる少女漫画(まんが)みたいな絵を描いた。(せい)トミ子光臨図(こうりんず)やんか。  よう(おぼ)えてるなあと思うほど、良く似た顔で描かれている、その天使の顔は、まぎれもなく亜里砂(ありさ)やった。髪の毛、(たて)ロールでぐるぐる巻きやけどな。  こんなんやったやろう、って、(とおる)可笑(おか)しそうにその絵を俺に見せ、笑ってた。  そういえば(とおる)は、トミ子とも喧嘩(けんか)しいひんかった。いや、毎日してたけど、でも、そもそもあの黒猫(くろねこ)(ひろ)ってきたのは(とおる)や。  恋敵(こいがたき)やのに、(とおる)はそんな(やつ)にも場所をゆずってやっている。黒猫(くろねこ)が俺の(ひざ)でゴロゴロ(のど)を鳴らしていても、(いや)み言うだけで、怒りもせず、そんな夜でもアキちゃん好きやて言うて、俺に抱かれてくれた。  俺はずうっと、それに甘えて生きてんのやで。  あっちに甘え、こっちに甘えで、()(まま)放題(ほうだい)のボンボンやんか。相手が人間やったら(ゆる)してくれへんで。みんな神さんやから何とかなってんねん。キャパが(ちご)うてる。  でも、ごめんな、って、俺は(みじ)めな気持ちで、絵を描いている(とおる)の絵を描いていた。  水煙(すいえん)は、よっぽど退屈(たいくつ)やったんやろう。出窓(でまど)になってる午後の白い窓辺(まどべ)で、車椅子(くるまいす)に座り、初めは中庭の景色(けしき)を見ていたが、いつのまにか自分の(うで)(まくら)にうたた寝をしていた。  (とおる)はわざわざそれに、バスルームからとってきた、ふかふかの白いタオルをかけてやってた。やっぱり(やさ)しいような気がするで、(とおる)は。  そうやって、新婚(しんこん)さんスイートの、白い世界に埋もれて、真っ白い画布(キャンバス)に落ちた青い絵の具みたいに見える水煙(すいえん)の、午睡(ごすい)情景(じょうけい)を、俺はこっそり絵に描いた。  もちろん自分の目に見える、そのまんまの青い姿で。その絵は俺には美しい絵に見えた。  瑞希(みずき)にも、なんか描くかと紙をやったけど、俺から離れた(かべ)にじっと背をつけて、床に座り込んだまま、瑞希(みずき)(ひざ)に乗せた紙に何かを描こうという気配(けはい)もなかった。ただじっと、大人しい犬のように、憂鬱(ゆううつ)そうに(だま)り込み、ひとつのソファに座って黙々(もくもく)と絵を描いている、俺と(とおる)(なが)めていた。  そんな暗い顔した瑞希(みずき)の姿も、俺は絵に描いた。手が早いねん。俺は。浮気(うわき)の話やないで。絵を描くのが早いっていう事やで。短い時間でも、描こうと思えば沢山(たくさん)描けるんや。  とにかく沢山(たくさん)描いて残しておきたい気分やった。美しいもんにしか、絵を描く食指(しょくし)の動かへん、耽美派(たんびは)の俺でも、今のヴィラ北野(きたの)やったら、題材には事欠(ことか)かへん。何もかも美しいような気がしてた。  それは、ひとつにはこのホテルが、中西(なかにし)さんのアートやったからやろう。元々なにもかも、美しく調和(ちょうわ)するように計算され、配置(はいち)されていた。  でも、その美しさというのは、言うなれば(うつわ)の美で、そこに()りつけられるものを引き立てるための美でしかない。ホテルの主役は、お客さんやろ。そこに客がいて初めて、しっくりくる情景(じょうけい)や。  しかも今はその客が、どいつもこいつも美形(びけい)異形(いぎょう)、もしくは両方みたいな、そんな(あや)しい異界(いかい)やからな。まるで生きて動いてる、お伽話(とぎばなし)の世界やった。

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