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21-38 アキヒコ
「こんな落書 きみたいな絵でええんかなあ……」
俺が自信なくぼやくと、亨 はにこにこしていた。
「上手に描けてるやんか。見せてみて、欲しいて言うたら、やればええねん。でも、俺の勘 では、たぶん欲しいて言うわ。あのオッサン、アキちゃんのこと好きやねん。ええとこの子みたいなのが好きなんやもん」
「それと絵と何の関係があんねん」
確かに俺はええとこの子や。一応そうやで。秋津家 は古い名門なんやで。代々、素行 は悪いけどな。
「絵はアキちゃんやんか。アキちゃんの人柄 が出てんねん。たとえ落書 きでもさ。トミ子もアキちゃんの絵欲しいて言うてたわ。聖 トミ子になるずっと前にやで」
「そういえばお前も言うてたな。会うたばっかりの頃 」
今ではその絵に自分が描いてある、川辺の風景だけやった俺の油絵を見て、亨 はその絵をくれと言っていた。もし別れろというんやったら、せめて絵をくれって。
変やなあ。今はもう、これから永遠に一緒にいようかなんて話になってんのに、別れる切れるなんて話を本気でしてた時も、前にはあったんや。それもそんなに、遠い昔のことやない。まだ一年経 ってへんのやもん。
亨 は俺を気恥 ずかしそうに見て、少し目を細めて笑った。それは俺の好きな、亨 が俺を好きやと思ってる時の顔やった。
「そんなん、あったなあ。でももう、ええねん。アキちゃんの絵は、こうして、いつでも見れるしな」
そうや。お前は絵なんか貰 わんでも、俺本体を手に入れたんやから。絵なんか、欲しいんやったら、いくらでも描いてやる。
「アキちゃん……」
切 なすぎて、苦しいみたいな目をして、亨 はじっと俺を見た。そして、吐息 のまじる声で、ひそやかに訊 いた。
「晩飯 どうする」
「お前ほんまに飯 の話ばっかりやな!」
ぶち壊 しすぎ。俺は震 えた声で罵 っていたが、でも確かに、そろそろ晩飯時 にさしかかろうとしていた。
「しゃあないなあ……何食いたいんや」
「何でもええわあ。食欲ないねん。……というか、瑞希 ちゃんと飯 行ってくれば。今夜、可愛 い可愛 いしてやんのやろ」
寝ぼけたような声で亨 に言われ、俺は心底 びっくりしてもうて、紙の上で新しい鉛筆 の先を、ぼきっと折ってもうてた。
亨 はそれを、じっと伏 し目 がちに眺 め、俺が顔を見ても、目を合わせてくれへんかった。
「なに……? なに言うてんのや、お前」
「水煙 がそう言うてたわ。今夜は身を引けって。せやから、あいつを散歩 に連れてってやる約束やねん。もう、起こしてやらなあかん」
「どういうつもりや」
「どうっ、て……言うたとおりやで。それが筆頭 の式 の、勤 めらしい。俺はもう、アキちゃんの式 やないけど。でも、お前がやれって、水煙 が」
「やれって、何をやるんや」
「アキちゃんが、寝る相手の采配 をすんのは、筆頭 の式 の仕事らしいで。アキちゃんのおとんには、水煙 が選んでやってたんやろ。その日に寝る相手」
そんなアホな。そんなことまでやらされてたんか、水煙 。よう平気やったわ。
平気やないか。平気ではないと、本人がそう言うてた。だからあんな姿になったんやって。
醜 い。怪物 みたいな姿やと、あいつは自分のことを思うてる。
それは一つの物の見方や。そうかもしれへん。でも、その、怪物的 なところを含 めても、水煙 は美しい。そやけど亨 もそんなふうになるのは、俺は嫌 や。
「基本、月の満 ち欠 けで決めてたらしいで。ルールがないと喧嘩 になるから、みんなで順番や。シフトに従 い、ローテーションやな」
ふっ、と面白そうに小さく吹き出して笑い、亨 は悲しいんか、腹が立つんか、よう分からんような顔やった。
「俺は、そんなんせえへんからな。今回だけや、アキちゃん。今回だけにして」
できあがったんかどうか、鉛筆 だけで描いた絵をテーブルに置いて、亨 はそう念押 しすると、けだるそうに裸足 で立った。そして、そのまま絵をよけて床 を歩き、壁際 に小さくなって膝 を抱 えていた瑞希 のところへ行った。
「ワンワン、お前はもうすぐ死ぬんやし、可哀想 やからアキちゃん貸 してやるわ。イイ子にして、せいぜい可愛 がってもらえ。お前のもんやないからな。俺のやし。貸 すだけや。わかってるやろうな」
そんな話をしてる亨 の顔は、俺には見えへんかった。座る瑞希 を見下ろして、首を垂 れた背中が見えるだけ。そしてその声が、すごく冷たいようなのが、聞こえてただけやった。
俺はなんか、ものすご惨 めな気分やったわ。
俺は、貸 したり貸 されたりするような、物やない。俺にも心はあるんやで。お前らの考えで、食いモンでも分けるみたいに、取り分を決めて、誰が最初に食うかで争うとかな、そういう事されて、俺も平気やないんや。
でも、それに耐 えるのが、秋津 の当主 というものか。おとんもこれに、二十一までは耐 えた。俺はこれから永遠に、耐 えなあかんのかもしれへん。今回だけやと言い訳をして、実はずっとこんなことばかり、続いていくのかもしれへんのやで。
瑞希 は何となく怯 えた顔をして、亨 を見上げていた。きっと亨 は、怖い顔をしていたんやろ。
しかしその睨 み合いは、大して長くは続かへんかった。亨 はふいっと目を逸 らし、水煙 を起こしに行ってもうたからやった。
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