320 / 928

21-40 アキヒコ

 あいつが戻ってきて、また俺に微笑(ほほえ)みかければ、俺はまた蘇(よみがえ)る。きっとそうや。  あいつに捨(す)てていかれたショックで、こんなんなってんのやから。亨(とおる)が戻れば元に戻るんや。  ひどい話や。俺になんの相談もしいひんと。犬と寝ろって、どういうことやねん。  その犬は、また頭抱(かか)えがちの俺を見て、不安そうな切(せつ)ない目やった。 「先輩……嫌(いや)なんですか。俺と寝るの」  つまり、そういう事やねんなあ。瑞希(みずき)は頭の回転が早いやつで、いきなり核心(かくしん)を突(つ)いてきた。  お前、自分の話するときは、しどろもどろやのに、人のことはよう分かってんのやな。大学でもずけずけ悪気(わるぎ)無くもの言うて、痛い冗談を言うやつと思われていた。  苑(その)先生の絵が全然売れへんことも、よりによって本人に、それは先生がホモやからやないですかって、真顔で言うてた。  つまり教授は隠(かく)れホモやねん。絵を描くときにも、そんな自分を隠(かく)してる。そやから何や、偽(にせ)モンみたいで気色(きしょく)悪い、魂(たましい)脱(ぬ)けたみたいな絵になるしな、嘘(うそ)で作って描いたかて、誰が共感してくれるんやと、瑞希(みずき)は思うたらしい。  ホモならホモくさい絵を描けばええんですよと、爽(さわ)やかに断言し、それで悪気(わるぎ)もないねんなあ。苑(その)先生、がっつり悩(なや)んでたよ。  お前は全然、恥(は)ずかしくなかったんかもしれへんよ。恥(は)ずかしがりのくせに、なんでかそこは恥(は)ずかしくなかったらしくて、男らしくカミングアウトしていたしな。こいつが男しか好きでないことは、皆知ってたらしい。  それでも友達いっぱい居(お)ったけど、親友(しんゆう)ゆうたら女友達やろ。ほんで寄(よ)ってくる男は、どことなく下心(したごころ)ありげな、犬にトキメいてるような奴(やつ)らばっかりや。  大学にはいつも早朝出勤やったのに、いっぺん遅刻してきたことがあって、どないしたんやって聞いたら、大阪から来る京阪(けいはん)電車で痴漢(ちかん)にあって、ハゲのオッサンの股間(こかん)を二度と勃(た)たへんくらい踏(ふ)みにじってきてやったと、教務課(きょうむか)のおばちゃんの前で話され、俺の目がどんだけ泳いだか。  もっともそのオッサンは、混(こ)んでるのをええことに、瑞希(みずき)のケツを相当(そうとう)熱心に触(さわ)ったらしいから、今にして思えば、血が出るくらい踏(ふ)んどいてやって良かったと俺は思うけど、当時はそんなん、脳の回路(かいろ)が焼き切れるような話やったんやから。可哀想(かわいそう)やったで俺は。  だいたい男が男のケツを撫(な)でるなんて、そんなことあってええんか。俺は亨(とおる)のケツを撫(な)でまくりやけど。やるときはやるけどな。それについては、すみません。結婚してるからええわって事にして。  話、逸(そ)れてる? そうやねん。また逃げてる。俺は一、二秒、もっとかな、気を失ってたと思うわ。  はっと我(われ)に返った時には、ものすご悲しそうな顔してる瑞希(みずき)と、真正面(ましょうめん)から目が合(お)うた。 「嫌(いや)なんですね」 「嫌(いや)やない」  泣きそうな気配(けはい)で言われ、俺は慌(あわ)てて正直に答えてた。  嫌(いや)やないねん。それも、すみません。男の子やから。好みのタイプなんやから、もともと瑞希(みずき)は。可愛(かわい)いねんから。食べちゃいたいぐらいやねんから。やってええならやりたいよ。  でもな、できへんねん。だって亨(とおる)にバレるんやんか。バレバレすぎやろ。今日は犬とやれって言われて放置(ほうち)されてんねんから。バレすぎや。  ああ、やっといたわ、気持ちよかったわあ、みたいな話やないやろ。いくら俺でも、そこまで無茶苦茶(むちゃくちゃ)やないよ。まだまだ初心(うぶ)やで。  そんなことして、亨(とおる)がどんだけ傷つくか、それを思うと、心底(しんそこ)ビビった。  なんでバラすねん、水煙(すいえん)。浮気(うわき)やねんから、そんなん隠(かく)れてするもんやろう。せめて、バレてへんという免罪符(めんざいふ)が欲しいところやで。  バレてなくても罪悪感(ざいあくかん)はある。せやけどこれは俺の仕事やねん。瑞希(みずき)かて可哀想(かわいそう)やろ。そんな大義名分(たいぎめいぶん)で上手(うま)く相殺(そうさい)できたかもしれへんのに、バレてもうたらもうお手上げや。  しかもスランプやしな。萎(な)え萎(な)えや。やろうという気が全く湧(わ)かへん。  たぶん、やったらあかんと思うから萌(も)えんねん、浮気(うわき)なんてもんは。やってええよ、はいどうぞなんて、ツレにすすめられても、それで素直(すなお)にやる気が湧(わ)くのは、よっぽどの熟練者(じゅくれんしゃ)だけや。  大崎(おおさき)先生とかな。あの人、奥さん居(お)るのに、お妾(めかけ)さんもいっぱい居(お)るし、その上、芸妓(げいこ)遊びもするし、そやのに秋尾(あきお)さんのことも何か妖(あや)しいんやで。  ええやんそんだけ女侍(はべ)らしてんのやったら、何も狐(きつね)にまで手出ししいひんでも。男やで、秋尾(あきお)さん。美少年キャラまでレパートリーあるけど、いろいろ化けられるらしいけど、爺(じい)さんエロ爺(じじい)すぎやねん。しわしわの白髪(しらが)キャラの分際(ぶんざい)で、尻尾(しっぽ)とケモ耳ある男の子とやろうなんて。犯罪やぞ、それは。  あかんあかん、話逸(そ)らすのやめられへん。覚悟(かくご)決めろ俺。話どんどん長(なご)なるから。  つらい。喉(のど)が痛い。こんな話で声枯(か)れるまで話しとうない。なんか飲みたい。俺は喉(のど)がからからやった。  瑞希(みずき)とふたりきりで居(お)ると、だいたいそんな感じになる。喉(のど)が渇(かわ)いてきて、どぎまぎしてもうて、どうしてええやら頭真っ白になる。  そういう俺に、慣(な)れてんのやろ。犬は鋭(するど)く気がついて、甲斐甲斐(かいがい)しくも俺に水を取ってきてくれた。

ともだちにシェアしよう!