321 / 928

21-41 アキヒコ

 瑞希(みずき)はグラスにミネラルウォーターを()いで、それをソファまで持ってくると、飲んでくださいと()し出してきた。  俺はそれを、仕方なく、瑞希(みずき)と見つめ合いながら飲んだ。  もちろん内心(ないしん)、冷や汗だらだらや。なんて言おう。何て言うて(ことわ)れば、こいつは傷つかへんのやろ。緊張(きんちょう)する。ものすごく、ビビる。  俺は瑞希(みずき)のことは好きや。可愛(かわい)いと思うてる。そやから傷つけたくはないんや。こいつが泣きそうな顔するのを、もう見とうない。幸せにしてやりたいねん、こいつはこいつで。  でも俺には、そんな甲斐性(かいしょう)がない。 「(めし)、食います? (はら)()るんですか、先輩はまだ」  俺がまるでもう人間やないみたいに、瑞希(みずき)()いた。失礼なこと()く奴や。俺はまだ腹減(はらへ)る。ちゃんと人間やで。血は吸うけど、ほとんどの場合、人間や。 「ほな、どっか食いに出ます? それとも、ルームサービスでも(たの)みましょうか」  部屋にいたいって、そんな気配(けはい)のする誘導的(ゆうどうてき)()き方で、瑞希(みずき)は俺に意向(いこう)()いた。 「なんでもええわ……俺も、食欲のうなってきた」 「じゃあ、酒でも飲みますか。先輩、好きでしょ。何か適当(てきとう)に注文しますし」  言い終える間もなく、瑞希(みずき)はとっとと電話のところに行った。その仕草(しぐさ)(あせ)っているようなのが見て取れて、なんで(あせ)ってんのやろうかと、俺はソファでぐったりしていた。  瑞希(みずき)は俺の気が変わり、どこかに逃げてまうんやないかと思っていたらしい。それに、時間もあんまりない。今夜(かぎ)りやからと、(あせ)ってた。  素直(すなお)なやつや。今夜(かぎ)りと言われれば、それで満足しようとしていた。  もっとよこせと、欲張(よくば)ったりはしいひんのやな。たった一夜で死ぬつもりというのが、俺には少し、怖く思えた。  一体、俺のどこに、そんな価値があるんやろ。ただちょっと抱いてやって、気持ちよくなって、それだけのことに何の意味がある。  もちろん意味はあるやろうけど、そのために死ぬようなもんか。なんでそんな必死やねん。  せっかく(もど)ってこられたんや。俺のことなんか忘れて、もっと幸せにしてくれそうな相手を探せばええやん。世の中に男も(げき)も、俺ひとりやないし、お前はけっこうモテんのやから。  瑞希(みずき)はバンケットに、ローストビーフとチーズと赤ワインを注文していた。肉食いたかったらしい。それに神戸といえば神戸牛やし。六甲山(ろっこうさん)には牧場(ぼくじょう)があって、地元でチーズも作っているし、ワイナリーもある。せやから神戸グルメやな。  瑞希(みずき)にはまだ食欲があるらしい。三万十八歳にもなって。まだまだ食欲旺盛(おうせい)で、性欲もある。可愛(かわい)いような顔してるけど、(とおる)がそうなように、こいつも結局(けっきょく)、エロエロの外道(げどう)なんやで。  (とおる)(ちご)て、我慢(がまん)(づよ)いだけで、我慢(がまん)せんでもええときには、我慢(がまん)できひんらしい。  もう我慢(がまん)しいひんて、その夜は決めていた。我慢(がまん)してもしゃあない。たった一度のチャンスやと、あいつは思ってたんやからな。  ルームサービスはこの時も、迅速(じんそく)に仕事をした。新装開店祝いのヴィラ北野(きたの)のラベルを()った、ホテルおすすめの赤ワインと、美味(うま)そうに()りつけられた肉とチーズを乗せたワゴンが運び込まれ、それをどこに置くかと()いたホテルマンに、瑞希(みずき)はベッドの横に置けと(たの)んだ。  なんでそんなとこに置くんや。でも、それを置く場所はちゃんとあった。  新婚(しんこん)さんて、ベッドで飲み食いするもんなんか。そんなん、お行儀(ぎょうぎ)悪いやんか。俺はそんなん、やったことない。(とおる)も、やろうと言うたことはない。あいつもあれで、俺にいろいろ遠慮(えんりょ)してたんやろうな。  そやけど瑞希(みずき)は知ったこっちゃない。俺と寝たことないんや。付き()うたこともない。大学で、先輩と後輩やっただけで、俺がベッドでどんな嗜好(しこう)かなんて、あいつは知らん。  案外、お行儀(ぎょうぎ)悪い犬やったんや。付き()うてみいひんかったら、分からん事っていっぱいあるな。  たじろぐ俺の手を引いて、瑞希(みずき)はいきなりベッドに連れていった。早く早くや。こいつはいつも(あせ)ってて、早くしてくれって俺を()かす。  風呂(ふろ)にも入ってへんのに、部屋を仕切(しき)った目隠(めかく)(かべ)に隠れると、瑞希(みずき)はもう本性(ほんしょう)(かく)しはしいひんかった。  俺を仰向(あおむ)けにベッドに押し(たお)し、その(こし)(またが)って、もう待ちはせず、自分から俺にキスをした。  それでも探るような、目を閉じて(ひか)え目なキスやった。()れるだけの。 「ローストビーフ美味(うま)そうですよ。肉食べさせて、先輩」  めちゃめちゃ()ずかしそうに、瑞希(みずき)は俺にそう(たの)んだ。口移(くちうつ)しで、食わしてくれって。  ワンワン肉食えプレイや。そんなアホみたいなことすんの、水地(みずち)(とおる)だけやなかったんや。  瑞希(みずき)がそんなんしてほしいなんて、俺には驚愕(きょうがく)極致(きょくち)やった。 「アホみたいやで……瑞希(みずき)」 「アホなんです俺は」  つらいという顔はしてたものの、瑞希(みずき)断言(だんげん)していた。  ア、アホなんや。本人がそう言うんやから、そうなんやろうな。  瑞希(みずき)はベッドに横付けされた、白いテーブルクロスがけのワゴンから、銀皿(ぎんざら)()られたローストビーフを(くわ)えて戻り、また俺に(またが)って、口移(くちうつ)しにそれを食わせた。

ともだちにシェアしよう!