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21-48 アキヒコ
「俺のため……?」
「そうや。他に誰のためなんや」
訊 ねた俺に向き直り、水煙 はじっと見つめてきた。それに縋 り付いている亨 が、水煙 を頼 っているように、俺には見えた。
「これがアキちゃんのためやなかったら、なんでこんなん我慢 せなあかんねん。犬は俺より可愛 かったか、アキちゃん……俺が平気と思うなよ。俺は水煙 みたいに、できたツレやないんやからな! お前が犬をぶっ殺せ。そしたら許 してやる。そうやないなら、許 さへん! 許 さへんからな!!」
涙 ぐんで、亨 は俺が憎 いみたいに、悲しそうに怒鳴 っていた。
ごめんなと、言うてやらなあかんと思ったけど、俺は声が出えへんかった。
水煙 は、平気やないんやで。こいつも平気ではない。ただ、平気そうにしてるだけ。
めそめそ言うてる苦しそうな亨 を、水煙 は黙 って目を伏 せ、抱いて背を撫 でてやってたが、ほんまは亨 が憎 いんかもしれへんかった。
瑞希 のことも、水煙 は憎 いんかもしれへん。死ねばええわと思ってる。
おとんが飼 うてた式神 たちも、みんな憎 かったんか。そうやって、押し隠 した心の奥底で、憎 い憎 いて思うてるうちに、化けモンみたいになってもうたんか。
いつか亨 も、そういうふうになるのか。美しいようでいて、心の中に鬼 を飼 うてる。そういう怖い化けモンに。
しかも、それが、俺のせいなんや。俺のせい。俺は鬼 を作ってる。
お前にも、水煙 にも、いつもにこにこしてて欲しいのに、何でそういうふうにいかへんのやろ。もとは綺麗 な神やのに、それを悪魔 に変えている。
俺にもっと皆を、幸せにしてやれるくらいの、でかい力があったらええのに。
そんなもん、あるはずもない夢やろか。
重い。なんか責任重くて、俺は押しつぶされそうや。まるでもう地獄 に来てるみたい。
知らんうちに俺は死んでて、実はここが地獄 なんやないか。
亨 と水煙 と瑞希 と、三人がかりで締 め上げられて、俺は苦しい。
結局また、瑞希 を殺さなあかんのか、俺は。そうでないと亨 は満足しいひんのやろか。
可哀想 や。今もすぐそこで疲 れて眠 ってる、涙 の残る目を思い出すと、可哀想 で仕方 ない。
あいつの気持ちに応 えてやられへんだけでなく、また俺があいつを殺すんか。
助けてくれって、あいつは言うてたで。そういう意味やなく、俺を想 うのがつらいから、助けてくれという意味やろうけども。でも、助けてくれって言うてた声が、耳について離 れへん。
俺には無理や。式 を生 け贄 に捧 げて、それでハッピーエンドというのは。
お前らにも心もあれば、苦痛も感じるということを、俺はよく知っている。死にたくはないのが本音 やろ。どこの世界に喜んで死ぬやつが居 るんや。
守ってやるのが俺の仕事やろ。自分が愛 しいと思うものを、守ってやったらあかんのか。
俺のおとんも日ノ本 や、俺やおかんを守ろうとして死んだ。俺もそういう男でありたいねん。
お前は俺のそういう気持ちを、分かってくれへんのか。水煙 。
「アキちゃんには、お前という跡取 りがいた。お前にはまだいない。今、死ぬのは無責任すぎる。それにアキちゃんは式 を愛してなどいなかった。俺のことも、愛してはいなかった。お登与 が無事ならそれでいい。あいつはそういう男やった。俺や他の式神 たちが、自分を愛してるのを手玉 にとって、使うだけ使 うて捨てたんや。俺もそうして捨てた。お前もそういう男の息子やろ。何でできないわけがある」
水煙 がおとんを罵 っていた。俺はそのことに、けっこうショックを受けた。
水煙 はおとんを恨 んでんのや。愛してたけど、愛してればこそか。自分を捨てていったおとんを恨 んでた。
なぜそういうことになったのか、深く理解はしていたけども、でも、心があれば水煙 も、つらいもんはつらいやろ。なんで俺を選んでくれへんかったんやと、水煙 も思う。
水煙 はおとんを選んだんやろうけど、向こうはそうではなかった。寛大 な心でそれを許 して、理解を示してやってたが、水煙 も、外へは漏 れへん本音 ではいつも、叫 んでいたんやろう。瑞希 のように。亨 のように。
俺を愛してくれ。捨てんといてくれ。お前が愛してくれへんせいで、俺はつらい。
お前になんか、惚 れへんかったらよかった。助けてくれと、ほんまはいつも嘆 いていたんや。
おとんはそれを、知らんかったんやろうか。俺が初め、気づかんかったように、死ぬまで鈍 いままやったんか。
俺もずっと、鈍 いままで居 ればよかった。水煙 の気持ちを知ると、その哀 れさは白刃 のごとき鋭 さで、俺の心をざくざく切り刻 んでた。
「しょうがないんや、アキちゃん。それが血筋 の定 めや。そうなるように教えたんは、他でもないこの俺や。それを恨 んでどうするんや。あいつは気の多い男やったわ。でも、そのお陰 で家の面目 は保 たれた。当主 としての勤 めを果たしたんや。お前もそのように生きるしかない。当主 として、俺に選ばれて生きていきたいんやったら、他に道はない。あの犬を生 け贄 に捧 げて、三都 を救 え。犬が嫌 なら、亨 を喰 わせろ。それも嫌 やというんやったら、誰か別のを連れてこい。今すぐ行って、死んでもええとお前が思えるようなのを、一晩 かけて可愛 がってやって、誑 し込 んでこい。それも覡 の甲斐性 や」
水煙 は暗く険 しい顔をして、俺に厳 しくそう教えた。
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