329 / 928

21-49 アキヒコ

 いつもやったら、つるんとした無表情でいて、まるで心がないように見えていた水煙(すいえん)も、俺の画風(がふう)におさまると、悲しいような思い()めた顔をしていた。鬼気(きき)(せま)るような。あたかも美貌(びぼう)(おに)のようやった。  水煙(すいえん)はうちの家に取り()いている、守り神やけど、(のろ)いでもある。  その(のろ)いで血筋(ちすじ)の者たちを(しば)り、水煙(すいえん)はたぶん、自分自身をも(しば)っていた。  俺にも(おぼ)えがあるけども、自分がかけた呪縛(じゅばく)といのうは、案外(のが)れがたいものなんや。そこから抜け出すには、誰か愛してくれる者の、手助けがいる。  (とおる)がそこから俺を、無理矢理(むりやり)引っ張り出して、ジェットコースターみたいな別のコースに乗っけたみたいに。水煙(すいえん)も、誰かがそこから引きずり出してやらなあかん。  そうしいひんかったら、こいつは、うちの血筋(ちすじ)に取り()(おに)になる。ほんまもんの(おに)に。  たぶん水煙(すいえん)はもう、(おに)なんや。俺がそれにずっと、気がついてへんかっただけで。おとんもそれを、知らんかったんやろうか。  俺は水煙(すいえん)をいつか、泣いて()らなあかんのやろうか。他には何も、道はないんか。幸せに(いた)る道は。  でもまだこの時、俺にはそんな道を見つける力はなかった。水煙に叱責(しっせき)されて、俺はぐうの音も出なくなっていた。(とおる)は俺を(こば)むように、悲しそうに背を向けて、水煙(すいえん)に抱かれていたし、まるで俺が(きら)いのようやった。俺のほうを見るのもつらい、()(がた)いというふうに、(ふる)えて聞いてるだけやった。  俺は、()れた。根負(こんま)けしていた。自分を()め立てる、美しい(おに)さんたちに。 「わかった。他のを探す。(とおる)瑞希(みずき)(たの)む。喧嘩(けんか)しいひんように……」  とにかく誰か他のを。このホテルには(しき)はうようよいてる。皆、誰かの(いと)しい神さんやろうけど、瑞希(みずき)の代わりに俺の(しき)として、()(にえ)になって死んでくれるような(やつ)を、探してこなあかん。そいつが死んで泣く(やつ)を、俺が知らんような神を。 「(まか)せておけ。必ず戻って来るんやで。必ず……」  水煙(すいえん)は顔をしかめて、俺にそう命令していた。俺を信じてる目で。  お前は秋津(あきつ)当主(とうしゅ)やろう、俺を愛してるんやろと、(すが)り付くような信じている目で。  一体俺がお前らをおいて、どこへ行けるっていうんや。  俺は瑞希(みずき)に開かれた、シャツのボタンを()めながら、逃げるように部屋を出た。  それで(くつ)()いてへんかったんや。  ほんまに必死で、行く(あて)もない。一足ごとに、だんだん頭フラフラになってきて、絶望的(ぜつぼうてき)な気分やった。  誰か他のを見つけへんかったら、俺は瑞希(みずき)(とおる)を殺す羽目(はめ)になる。そんなの無理やって、誰か他の、俺が(すが)れる神さんを、見つけようとしてた。  ホテルの廊下(ろうか)のガラス戸から見える月は、ぼんやり(おぼろ)な白い(もや)がかかっていた。  それで思い出したんか。それとも、ロビーから聞こえた歌声(うたごえ)が、あんまり綺麗(きれい)やったから、それに(さそ)われていくうちに、心に()いてきた考えか。  湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)。そういえばそんな(やつ)もいた。  抱いてくれたら(しき)になってやってもええと、俺にそんなこと言うてたわ。  (とおる)も、まだ瑞希(みずき)が戻らへんかった時、あいつを(たら)()んで、()(にえ)にすればええんやと言うていた。  だったらこれから、あいつを抱いて、瑞希(みずき)の身代わりに仕立(した)ててやればええわと、俺は思ったんや。  それでも脳裏(のうり)にはちらちらと、信太(しんた)と同じ指輪はめてる白く長い指が、()ぎっては消えていた。  あいつも木石(ぼくせき)ではない。(おぼろ)なる怪異(かいい)かもしれへんけども、心があるわ。  死にたくないと話してた。おとんに使い(つぶ)されて、死なんで良かったと、信太(しんた)に話していた。  それが()たして、俺ごときに()れて、死んでやってもええわと言うやろか。  たった一晩(ひとばん)、抱き()うて寝たくらいのことで。  長い話をくよくよ話した俺を、(おぼろ)なる男はじっと、俺を抱いて聞いていた。  口寂(くちさび)しいんか、長い指を口元(くちもと)にやり、自分の(くちびる)()れていたけど、その薄赤い(くちびる)で、湊川(みなとがわ)は突然にやりと笑った。  それが長い笑いの始まりで、湊川(みなとがわ)は俺を抱いたまま、可笑(おか)しそうにからから笑った。始め小さく(のど)(ふる)わせるだけやった笑い声が、だんだん身を(よじ)って笑うほどの、苦しそうな爆笑になり、俺の体に()れている腹を引きつらせて、湊川(みなとがわ)はひいひい笑った。  なんで笑われてんのやろ。  それでも抱いてくれている(うで)に、おとなしく抱いてもらったまま、俺はむすっとして、その笑い声を聞いていた。 「(なまず)様に突撃(とつげき)取材(しゅざい)のご依頼(いらい)か。それはまた、ダイナミックな企画やで」  (あえ)(あえ)ぎ言うて、湊川(みなとがわ)はまだまだ笑うつもりらしかった。  一体何が可笑(おか)しかったんやろう。俺の話、なんか笑えるようなとこ、あったか。 「必死やな、水煙(すいえん)。あいつ、そんな(やつ)やと思うてへんかった。けっこう可愛(かわい)いとこあるやんか」  可愛(かわい)い。水煙(すいえん)がか。  まあ、そりゃあ、確かに可愛(かわい)いよ。でも、めちゃめちゃ怖いで。  (とおる)も怖いし、瑞希(みずき)も俺をめちゃめちゃ責めてくる。逃げ場無しやで、俺は。ものすご追いつめられている。  三人がかりで押しまくられて、もう虫の息みたいなんやで。あとは(おに)にばりばり食われるだけや。

ともだちにシェアしよう!