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21-50 アキヒコ

「まあまあ、まだ、たったの三人やないか、先生。暁彦(あきひこ)様なんか、何人おったやろ。十五、六……もっとかな。腰痛い言うてたで」  笑って言われ、俺は失笑(しっしょう)(こら)えた苦い顔やった。  アホか、おとん。やりすぎて腰痛か。よう()えたな。 「俺が(こし)()んでやったんやで? 先生もやったろか」  にこにこして、湊川(みなとがわ)は俺の横に寝転がっていた。(ほほ)にかかる細く(あわ)い色合いの髪の毛が、(やわ)らかそうな、蜘蛛(くも)の糸のようやった。  (おに)みたいな怖いのから、命からがら逃げてきた俺には、(やつ)は優しい菩薩(ぼさつ)のように見えた。まさに地獄(じごく)(ほとけ)。 「そんなん、していらん。俺はそこまでやない」  俺はくよくよ辞退(じたい)した。どうせ俺は、おとんの五分の一スケールの地獄(じごく)でチビりそうになってる、ぼんくら息子やねん。 「ほんなら、他の気持ちええことしよか。()まってんのやろ、お(あず)け食って」  自分の顔に(みだ)れかかっていた髪を、ゆっくり()き上げて()けて、湊川(みなとがわ)は俺の顔を(のぞ)き込み、そのままやんわりとキスをした。  ()けようかと、もう思わへん。なんでやろ。()れか。居直(いなお)りか。  俺はこいつを(たら)し込まなあかんのやから、()けてる場合やないって思ったんか。  どっちか言うたら、(たら)されてんのは俺のほうやったんやないか。  キスが上手(うま)い。もういっぺんしてほしいって、どこかで思っていたんやないか。  ちゅうちゅう甘く吸われると、気持ちよかった。エロくさいというよりも、なんや、(くつろ)ぐようなキスやった。  舌技(ぜつぎ)もいろいろありますよ、って、教えるようなキスをしながら、湊川(みなとがわ)はまた俺の体に()れてきた。やんわり(にぎ)られて、思わず(あし)がもじつくようないい気持ち。強すぎず弱すぎずで()でられて、あっと言う間に()たされてる。 「元気出てきたやん、先生」 「いちいち言わんといてくれ」  (やさ)しく(なぶ)られつつ、俺は文句を言っていた。()れたんや。  気持ちいい。なんて上手(うま)(やつ)や。気持ちええなあって、すぐにそのことしか考えてへんようになる。  ああもうほんまに、めちゃくちゃやりたい。何も考えんと、ぼけっと()うていたい。朧月夜(おぼろづきよ)に。 「風呂(ふろ)行こか、先生。俺は風呂(ふろ)ですんのが好きやねん」  にっこりと、()れもせず言われ、俺はますます()れていた。  ほんまにやるんか。俺と寝ようというのか、こいつ。  でも、手を引いてバスルームに連れていかれ、そこはまあ、普通の広さの風呂(ふろ)やったけども、でもゆったりしたジャクジーがあって、シャワーブースもあった。  それはこのホテルの基本仕様らしい。ただしバスタブはアホみたいな貝殻(かいがら)の形やない。ふつうの楕円形(だえんけい)風呂(ふろ)や。あれは新婚(しんこん)さん仕様の部屋だけらしい。  こっちのバスタブは、(ゆか)より一段高くなったところに(ふち)まで埋め込まれていて、バスタブの周りにも座れる程度の余白があった。  湊川(みなとがわ)はそこに俺を座らせ、バスタブに湯を張る間に、酒瓶(さかびん)を山ほど持ってきた。  めちゃめちゃ飲むつもりらしい。  タンブラーにつがれたスコッチの(にお)いがして、ジャクジーには泡立(あわだ)つバブル・バスの(にお)いがしていた。  (こけ)むした森みたいな(にお)い。花のような(にお)いもしてる。エロくさい(にお)いやった。 「信太(しんた)はなあ、先生。可哀想(かわいそう)(やつ)やった。初めは相当(そうとう)()れていて、やべえ人食い(とら)やった」  もわもわ(あわ)湯気(ゆげ)()く中で、座る俺の前に立ち、湊川(みなとがわ)は指に()めていた銀の髑髏(どくろ)を抜き取ろうと、ぐいぐい引っ張っていた。  それがずっと抜かれていなかった証拠(しょうこ)みたいに、指輪はなかなか抜けへんで、やっと抜けたら、その、ごろんとした指輪のあとが、湊川(みなとがわ)の白い指に(うす)く形を残していた。  それを、スコッチの入ったタンブラーに、ぽちゃんと入れて、湊川(みなとがわ)はにこにこしながら、その酒を飲んだ。指輪を飲み込みはしいひんかったけど、そのうち髑髏(どくろ)が溶けてもうて、白い(のど)に流し込まれるんやないかという妄想(もうそう)が、俺の脳裏(のうり)()いた。  ごくごく飲み()し、からんと指輪が氷のように残ったタンブラーをバスタブの(ふち)に置き、湊川(みなとがわ)は俺のすぐ横に腰掛(こしか)けた。そして、おもむろに俺のシャツのボタンを(はず)して、服を()がし始めた。 「あいつが俺と付き合うてたんは、中国語で話せる相手が良かったからや。(なつ)かしかったんや、古巣(ふるす)の言葉が。それだけなんやで。音楽()く?」  ()がせた俺のシャツを、ぽいっとバスルームの(ゆか)(ほう)って、湊川(みなとがわ)()いた。  音楽って、どうやって()くんか、俺は部屋を見回したけど、そんなオーディオ機器(きき)のようなもんは見あたらへん。スイートにも、そんなん無かったし、自前に持ち込まれたもんがあるようにも見えへんかった。  それでも、湊川(みなとがわ)がぱちっと軽快に指を鳴らすと、突然、演奏(えんそう)が始まった。魔法みたいやった。目には見えへん生バンドが、同じ部屋にいてるような音や。 「ジャズ」  びっくりしている俺に、にっこりして湊川(みなとがわ)は言った。  神戸といえば、ジャズの(まち)やわ。なぜなら日本で最初にジャズが演奏(えんそう)されたのは、一説(いっせつ)によると、この神戸やったらしい。そやから、日本のジャズの発祥地(はっしょうち)のひとつなんや。  流れている曲は、歌のない演奏(えんそう)だけのもので、『What a Wonderful World(この素晴らしき世界)』という曲やった。歌もちゃんとある。  それは見事(みごと)な発音の英語で、湊川(みなとがわ)が歌っていた。

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