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三都幻妖夜話(3)神戸編 21-51 アキヒコ | 椎堂かおるの小説 - BL小説・漫画投稿サイトfujossy[フジョッシー]
目次
三都幻妖夜話(3)神戸編
21-51 アキヒコ
作者:
椎堂かおる
ビューワー設定
331 / 928
21-51 アキヒコ
鼻歌
(
はなうた
)
みたいやったけど、いい声やった。ゆったり流れる
穏
(
おだ
)
やかな感じの歌で、曲のタイトルそのまんまの、
暢気
(
のんき
)
で明るい感じの
曲調
(
きょくちょう
)
やった。 俺はなんとなく、のんびりとした。それは、
溜
(
た
)
まった
泡
(
あわ
)
だらけの白い湯をかき混ぜながら歌う、のんびりした歌声のせいやったやろう。 のんびりしてるような
状況
(
じょうきょう
)
ではないんやけど、ここでは時間までゆっくり流れているみたいやった。 「先生のおとんは遊び人で、歌が好きな人やった。特にジャズが好きで、戦争始まってからも、俺のところでこっそり
隠
(
かく
)
れて
聴
(
き
)
いていた。ほんまは、あかんのやで。敵の曲やし、
聴
(
き
)
いたら怖いオッサンどもに、怒られるんや」 にやにや
苦笑
(
くしょう
)
して、
湊川
(
みなとがわ
)
は湯をまぜた手についた、ひとかたまりの
泡
(
あわ
)
を、俺の胸に
塗
(
ぬ
)
りつけた。 なんでそんなことすんのか、俺にはよう分からんかったけど、それはたぶん、ただの
愛撫
(
あいぶ
)
や。ふざけてるだけ。 白く長い指が、
泡
(
あわ
)
で
滑
(
ぬめ
)
る
感触
(
かんしょく
)
とともに、のんびり胸を
撫
(
な
)
でていくのを感じながら、
淡
(
あわ
)
い笑みで話す顔を
眺
(
なが
)
め、俺は
不思議
(
ふしぎ
)
な気持ちになった。 おとんはこいつと、どんなふうに付き
合
(
お
)
うてたんやろう。体に絵描いたりして、エロくさいことして遊んで、一緒にジャズ
聴
(
き
)
いて、歌歌わせて、
異国
(
いこく
)
の想い出話を聞いて。 それは、
式神
(
しきがみ
)
と
覡
(
げき
)
か。まるで、恋人同士みたいやけど。 「ありとあらゆる悪いことをしたな。
暁彦
(
あきひこ
)
様は、俺んとこに来て。
祇園
(
ぎおん
)
の
花街
(
かがい
)
のそばに家
借
(
か
)
りて、俺は一時期そこにいたんや。仕事があって……」
花街
(
かがい
)
で仕事。それは、どんな仕事やねんて、俺は
身構
(
みがま
)
える顔やったんやろか。気づいて
湊川
(
みなとがわ
)
は、ふふんと笑った。 「エロやないで。まあ、似たようなモンではあるけど。俺は
情報
(
じょうほう
)
将校
(
しょうこう
)
で、平たく言うと
諜報員
(
スパイ
)
やったんや」 「
諜報員
(
スパイ
)
」 俺はびっくりして
繰
(
く
)
り返していた。 そんなもんが現実に
居
(
お
)
ると、思ってもみいひんかった。いるとは知ってたけど、ほんまもんと会うことはない。そんなもんは俺と関係あれへん異世界の存在で、『
007
(
ダブルオーセブン
)
』とかの映画に出てくるだけの、ファンタジーやと思ってた。 「おもろいやろ。
軍服
(
ぐんぷく
)
のオッサン連中と仲良うしてたんや。当時はそれに、
旨味
(
うまみ
)
があったんや。皆さん
後々
(
のちのち
)
、腹
斬
(
き
)
ったり首
吊
(
つ
)
られたりで、おらんようになってもうたけど。
暁彦
(
あきひこ
)
様も死んだしな……」 ふっと笑って、
湊川
(
みなとがわ
)
はその話を、
可笑
(
おか
)
しいみたいに言うていた。 「まあ、でも、一時期はお
盛
(
さか
)
んやったで、皆さん。
暁彦
(
あきひこ
)
様とは、
祇園
(
ぎおん
)
の
宴席
(
えんせき
)
で
会
(
お
)
うたんや。
鬼道
(
きどう
)
の
筋
(
すじ
)
の
若当主
(
わかとうしゅ
)
や言うて。
風采
(
ふうさい
)
も良かったし。仲良うしといたら
美味
(
うま
)
いかなあと」
狡
(
ずる
)
そうに言う
湊川
(
みなとがわ
)
に、俺はちょっとむかっとして、傷ついた顔をしたかもしれへん。 「
美味
(
うま
)
かったんか」 「まあまあね。そやけど、持ちつ持たれつやんか。向こうも俺んちを
花街
(
かがい
)
の
別宅
(
べったく
)
みたいにして、ときどきフラッと遊びにきて、
羽根
(
はね
)
のばしていってたんやから。ていのいい
妾
(
めかけ
)
みたいなもんやで」 うっふっふと笑い、
湊川
(
みなとがわ
)
は苦笑の顔やった。 「
何遍
(
なんべん
)
か怖い連中が来て、
暁彦
(
あきひこ
)
様を
隠
(
かく
)
してるやろって、えらい
脅
(
おど
)
された。先生のおとん、
嫌
(
いや
)
んなると家出してたみたいやで。俺が誑《たぶら》かしてるって、本家では
不評
(
ふひょう
)
やったわ」 「
濡
(
ぬ
)
れ
衣
(
ぎぬ
)
やったんか」 「いいや。
誑
(
たぶら
)
かしてた」 しれっと言うて、
湊川
(
みなとがわ
)
は
煙草
(
たばこ
)
に火をつけていた。
誑
(
たぶら
)
かしてたんやないか。 「
旧家
(
きゅうか
)
のボンボン生活に
嫌気
(
いやけ
)
がさすし、
洋行
(
ようこう
)
してみたいって言うから、俺が連れていってやろかって
誘
(
さそ
)
ってただけや。どっか遠い遠いとこへ行って。ブラジルとか。モロッコとか。別にどこでもええけど、そこで二人で、
面白
(
おもしろ
)
可笑
(
おか
)
しゅう
暮
(
く
)
らそうか、って」 ふはあと
煙
(
けむり
)
を
吐
(
は
)
いて、
湊川
(
みなとがわ
)
はにこにこしていたが、俺にはその話はどうも、
駆
(
か
)
け
落
(
お
)
ちのお
誘
(
さそ
)
いのように聞こえた。 お前はおとんを
誘拐
(
ゆうかい
)
しようとしてたんか。それは
水煙
(
すいえん
)
と仲良うできひんわけやわ。 あいつは何かというたら、家が大事、家が大事で、
式
(
しき
)
と
駆
(
か
)
け
落
(
お
)
ちなんて、とんでもない。そんなん
許
(
ゆる
)
さへんと言うやろう。
突
(
つ
)
き
詰
(
つ
)
めれば、こいつを捨てるか、
水煙
(
すいえん
)
を捨てるかや。 それでおとんは、
湊川
(
みなとがわ
)
のほうを捨てたらしい。 おとんは
秋津
(
あきつ
)
の
当主
(
とうしゅ
)
なんやし、
論外
(
ろんがい
)
やな。
駆
(
か
)
け
落
(
お
)
ちなんて。 きっと、
悩
(
なや
)
みもしいひんと決めたやろう。 そうなんやないかと、俺は思うけど。でも、ほんまのところは分からへん。おとんにしか、分からんことや。 「お前、おとんのこと好きやったんか」 俺はまた、びっくりして
訊
(
き
)
いていた。
湊川
(
みなとがわ
)
はいかにも面白そうに、俺を見ないでくすくす笑った。 「そうや。意外な新事実か。ずっとそう言うてるやんか」 「それで家捨てろって言うたんか。自分と一緒に逃げろって? そこまで深い仲やったんか?」 俺がめちゃめちゃ
驚
(
おどろ
)
いているのが、よっぽど
可笑
(
おか
)
しかったんか、それとも
照
(
て
)
れでもしたんか、
湊川
(
みなとがわ
)
はあっはっはと声あげて笑っていた。 「そうやないよ。
試
(
ため
)
しに言うてみただけ。しんどそうやったから。ほんならボンボンやめたらって、言うてみただけやんか。
難
(
むずか
)
しゅう考えすぎやねん。
暁彦
(
あきひこ
)
様も。
水煙
(
すいえん
)
も。
本家
(
ほんけ
)
の連中も。必死すぎなんや、
秋津
(
あきつ
)
の
衆
(
しゅう
)
は。
可哀想
(
かわいそう
)
やんか、
寄
(
よ
)
って
集
(
たか
)
ってボンボンひとりを
虐
(
いじ
)
めて、
暁彦
(
あきひこ
)
様は息もできひんわ。何が
血筋
(
ちすじ
)
の
定
(
さだ
)
めやねん。そんなもんクソ食らえやで」 あんぐりとして、俺は
湊川
(
みなとがわ
)
の横顔を見た。
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椎堂かおる
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