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21-54 アキヒコ
ところで創作意欲 というのは、性衝動 に似 たとこがある。突然むらむらして、結局 、描くまで収 まらへん。
出すしかないねん、湧 いたもんは。溜 めても欲求不満 になるだけや。
「ほんなら、やりながら描いたらええねん。先生のおとんはそうしたで」
「嘘 や。そんなことできるわけない」
「できるできる。体に描くんや」
湯の中にあった俺の手をとり、湊川 はその指を自分の濡 れた胸に触 れさせた。指が滑 ったあとに、妖 しい虹色 のような跡 が残された。
変な体や。お絵かきできるようになっている。
それが面白くなって、俺は指先で湊川 の胸に、小さな鳥の絵を描いた。枝 に止まって、さえずっているような。
花も咲 いてるほうがいい。そう思って鳥のいる枝 に、何の花ということもない、香炉 の香りの立つ芳香 から思い描けるような、優美 な花を描いといた。
俺の頭の中にしかない花や。実在しいひん。そやけど、咲けと願えばその花も、この世のどこかに生まれ出てくるんかもしれへん。天地 の神がその俺の絵を、気に入ってくれさえすれば。
くすぐったいんか、湊川 はそれを、くすくす笑って見下ろしていた。
「巧 いやん、先生。さすがは暁彦 様の息子やわ。お絵かき上手やね」
湯の中に消える湊川 の体の、臍 のあたりまで、曲がりくねる枝振 りの、鳥の群 れ遊ぶ花木 を描いて、俺はちょっと満足し、また湯の中で愛撫 する手に戻 った。
それに朧 の鳥は、甘く香り立つ花のように喘 いでくれた。
肌の上に描いた絵は、溶けるように消えはじめてたけど、俺はそれを惜 しいとは思わへんかった。消えてもうたら、また描ける。描いては消え、描いては消えで、ずっと描き続けていられたら、それはそれで幸せや。
「入れたい。愛してへんけど。それでもええか……」
よくもそんなことを言う。自分でもそう思う事を、俺は呟 き、もはや我慢 の限界 で、目の前にある匂 い立つような色香 のある体を抱き寄せていた。
もう絵の消えた、その白い胸を舐 めると、甘い味がした。たぶん泡になんか入ってるんや。甘いもんが。泡が長持ちするように。
「ええよ……愛なんかウザい。気持ちよければ、俺はそれでええんや」
そうか。そんなら気が楽や。俺はそう思った。
おとんもそう思ったやろうか。愛してくれって強請 られる。それに疲 れて逃げてきた夜には。
「合体合体」
子供みたいに笑って言って、湊川 は自分から俺を呑 んだ。
あんまり悦 くて、俺は喘 いだ。いつもやったら声は我慢 するけど、我慢 すんのもアホみたいな気がして、甘く喉 を引き絞 るような漏 れ出てくる呻 き声を、敢 えて止めはしいひんかった。
「気持ちええなあ、先生。合体最高。なにが愛やねん。畜生 、信太 の野郎 。てめえが寒い時、誰がやらせてやったと思うとんのや。恩知 らずな虎 やでほんまに……」
愚痴 愚痴 甘く口説 くような口調 でぼやき、湊川 はすっかり呑 んだ俺の首を抱いた。
そう言われても別に妬 けへんかった。抱き合いながら他の奴 の話をされても。
だって別に愛してへんし。気持ちええけど、それだけやから。
愛してなくても、気持ちええもんは気持ちええんや。うっとりしながら、俺はその新事実に驚 いていた。
俺は今まで、一応のところ、愛してへん相手とはやったことがない。付き合 うてるつもりの女しか抱いたことない。
亨 に至 っては死ぬほど好きで、結婚までしてもうたしな。愛してないのにセックスしたらあかんと思ってた。
まあ、基本はそうなんやろうけどな。湊川 はそんなん全然気にしいひん男や。
こいつにとって、エロは温泉に浸 かるようなもん。うわあ気持ちええなあ、極楽 極楽 。この温泉もいい、あの温泉もいい、みたいな感じらしい。
こいつ、趣味 が世界の温泉めぐりやで。秘湯 みたいなの見つけると幸せやねんて。
それをテレビでやったらええねん。怜 ちゃんの世界の温泉巡 り。
絶対、変なファンつくで。オッサンとかな。案外 、虎 も見るかもしれへんで。しみじみしょんぼりしながら。鳥さんに隠 れて。綺麗 やったなあ、って。切 なくこの肌 を思い出す。
「あいつ、仲ええみたいやな、寛太 と。可哀想 やし、しゃあない。俺が逝 っとこか」
苦笑して、俺の頬 に口付 けて、湊川 はそう言った。俺を抱き、初めて交 わる体の具合 に、じっと折り合いをつけるような、もどかしい静止の時間の間に。
湊川 怜司 は愛情深くはないが、情 け深い神である。ものの哀 れを理解する。人の生死にさえ酷薄 なようなところもあるけど、道ばたの花の美しさに涙 をこぼすこともある。
愛してくれと求めたところで、なんのこっちゃという奴 やけど、それでも独特の愛で愛してくれることはある。
湊川 はいつも、気に入った奴 をただじっと見つめる。抱くこともあるけども、ただじっと傍観 するだけ。生きようが死のうが、その生き様 を、あるいは死に様 を、かくのごとくであったと見るだけで、それに関与 しない。
なんでそうやねんと、手応 えのないそんな性質に、文句言うてもしょうがない。
アテにはならん。こいつは人の噂 なんやし、今で言うならマスメディアや。
テレビやインターネットが自分を愛してくれるか。疲 れて倒 れた時でも、立って走るか、それともそのまま挫折 するのか、ただじっと見るだけで、何もしてくれへん。
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