334 / 928

21-54 アキヒコ

 ところで創作意欲(そうさくいよく)というのは、性衝動(せいしょうどう)に似(に)たとこがある。突然むらむらして、結局(けっきょく)、描くまで収(おさ)まらへん。  出すしかないねん、湧(わ)いたもんは。溜(た)めても欲求不満(よっきゅうふまん)になるだけや。 「ほんなら、やりながら描いたらええねん。先生のおとんはそうしたで」 「嘘(うそ)や。そんなことできるわけない」 「できるできる。体に描くんや」  湯の中にあった俺の手をとり、湊川(みなとがわ)はその指を自分の濡(ぬ)れた胸に触(ふ)れさせた。指が滑(すべ)ったあとに、妖(あや)しい虹色(にじいろ)のような跡(あと)が残された。  変な体や。お絵かきできるようになっている。  それが面白くなって、俺は指先で湊川(みなとがわ)の胸に、小さな鳥の絵を描いた。枝(えだ)に止まって、さえずっているような。  花も咲(さ)いてるほうがいい。そう思って鳥のいる枝(えだ)に、何の花ということもない、香炉(こうろ)の香りの立つ芳香(ほうこう)から思い描けるような、優美(ゆうび)な花を描いといた。  俺の頭の中にしかない花や。実在しいひん。そやけど、咲けと願えばその花も、この世のどこかに生まれ出てくるんかもしれへん。天地(あめつち)の神がその俺の絵を、気に入ってくれさえすれば。  くすぐったいんか、湊川(みなとがわ)はそれを、くすくす笑って見下ろしていた。 「巧(うま)いやん、先生。さすがは暁彦(あきひこ)様の息子やわ。お絵かき上手やね」  湯の中に消える湊川(みなとがわ)の体の、臍(へそ)のあたりまで、曲がりくねる枝振(えだぶ)りの、鳥の群(む)れ遊ぶ花木(かぼく)を描いて、俺はちょっと満足し、また湯の中で愛撫(あいぶ)する手に戻(もど)った。  それに朧(おぼろ)の鳥は、甘く香り立つ花のように喘(あえ)いでくれた。  肌の上に描いた絵は、溶けるように消えはじめてたけど、俺はそれを惜(お)しいとは思わへんかった。消えてもうたら、また描ける。描いては消え、描いては消えで、ずっと描き続けていられたら、それはそれで幸せや。 「入れたい。愛してへんけど。それでもええか……」  よくもそんなことを言う。自分でもそう思う事を、俺は呟(つぶや)き、もはや我慢(がまん)の限界(げんかい)で、目の前にある匂(にお)い立つような色香(いろか)のある体を抱き寄せていた。  もう絵の消えた、その白い胸を舐(な)めると、甘い味がした。たぶん泡になんか入ってるんや。甘いもんが。泡が長持ちするように。 「ええよ……愛なんかウザい。気持ちよければ、俺はそれでええんや」  そうか。そんなら気が楽や。俺はそう思った。  おとんもそう思ったやろうか。愛してくれって強請(ねだ)られる。それに疲(つか)れて逃げてきた夜には。 「合体合体」  子供みたいに笑って言って、湊川(みなとがわ)は自分から俺を呑(の)んだ。  あんまり悦(よ)くて、俺は喘(あえ)いだ。いつもやったら声は我慢(がまん)するけど、我慢(がまん)すんのもアホみたいな気がして、甘く喉(のど)を引き絞(しぼ)るような漏(も)れ出てくる呻(うめ)き声を、敢(あ)えて止めはしいひんかった。 「気持ちええなあ、先生。合体最高。なにが愛やねん。畜生(ちくしょう)、信太(しんた)の野郎(やろう)。てめえが寒い時、誰がやらせてやったと思うとんのや。恩知(おんし)らずな虎(とら)やでほんまに……」  愚痴(ぐち)愚痴(ぐち)甘く口説(くど)くような口調(くちょう)でぼやき、湊川(みなとがわ)はすっかり呑(の)んだ俺の首を抱いた。  そう言われても別に妬(や)けへんかった。抱き合いながら他の奴(やつ)の話をされても。  だって別に愛してへんし。気持ちええけど、それだけやから。  愛してなくても、気持ちええもんは気持ちええんや。うっとりしながら、俺はその新事実に驚(おどろ)いていた。  俺は今まで、一応のところ、愛してへん相手とはやったことがない。付き合(お)うてるつもりの女しか抱いたことない。  亨(とおる)に至(いた)っては死ぬほど好きで、結婚までしてもうたしな。愛してないのにセックスしたらあかんと思ってた。  まあ、基本はそうなんやろうけどな。湊川(みなとがわ)はそんなん全然気にしいひん男や。  こいつにとって、エロは温泉に浸(つ)かるようなもん。うわあ気持ちええなあ、極楽(ごくらく)極楽(ごくらく)。この温泉もいい、あの温泉もいい、みたいな感じらしい。  こいつ、趣味(しゅみ)が世界の温泉めぐりやで。秘湯(ひとう)みたいなの見つけると幸せやねんて。  それをテレビでやったらええねん。怜(れい)ちゃんの世界の温泉巡(めぐ)り。  絶対、変なファンつくで。オッサンとかな。案外(あんがい)、虎(とら)も見るかもしれへんで。しみじみしょんぼりしながら。鳥さんに隠(かく)れて。綺麗(きれい)やったなあ、って。切(せつ)なくこの肌(はだ)を思い出す。 「あいつ、仲ええみたいやな、寛太(かんた)と。可哀想(わかいそう)やし、しゃあない。俺が逝(い)っとこか」  苦笑して、俺の頬(ほほ)に口付(くちづ)けて、湊川(みなとがわ)はそう言った。俺を抱き、初めて交(まじ)わる体の具合(ぐあい)に、じっと折り合いをつけるような、もどかしい静止の時間の間に。  湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)は愛情深くはないが、情(なさ)け深い神である。ものの哀(あわ)れを理解する。人の生死にさえ酷薄(こくはく)なようなところもあるけど、道ばたの花の美しさに涙(なみだ)をこぼすこともある。  愛してくれと求めたところで、なんのこっちゃという奴(やつ)やけど、それでも独特の愛で愛してくれることはある。  湊川(みなとがわ)はいつも、気に入った奴(やつ)をただじっと見つめる。抱くこともあるけども、ただじっと傍観(ぼうかん)するだけ。生きようが死のうが、その生き様(ざま)を、あるいは死に様(ざま)を、かくのごとくであったと見るだけで、それに関与(かんよ)しない。  なんでそうやねんと、手応(てごた)えのないそんな性質に、文句言うてもしょうがない。  アテにはならん。こいつは人の噂(うわさ)なんやし、今で言うならマスメディアや。  テレビやインターネットが自分を愛してくれるか。疲(つか)れて倒(たお)れた時でも、立って走るか、それともそのまま挫折(ざせつ)するのか、ただじっと見るだけで、何もしてくれへん。

ともだちにシェアしよう!