337 / 928
21-57 アキヒコ
いっぺん火がつくと、切 ないような悶 え方やった。つらそうに眉根 を寄 せて、快楽 に浸 っている顔はどことなく悲痛 なようで、可哀想 やと俺は思った。
「し、死ぬ」
のけぞって俺を抱く、白い首筋に、噛 みつきたいような気がして、俺はそれを堪 え、ただキスをした。すぐに甘い悲鳴が聞こえた。極楽 いったらしい。
ああ、よかった。これで面目 躍如 。これで俺もやっと、成仏 できるって、とうとう自分の快楽 に没頭 できる時がきた。
長かった。お預 けばっかりやった。この瞬間がいちばん幸せ。
亨 やったらもっと幸せやったけど、でもまあ、これはこれで。なんというか。まあまあ幸せ。
ごめん。そんな男で。でも正直言って、相当 気持ちよかったです。魂 抜 けそうやった。腰 も抜 けそう。
堪 えず喘 いで、俺はまだ震 えているような、白い体の中に出してた。小さく呻 いて湊川 はそれを受け入れていた。
中出ししていいかって、訊 くべきやったか。でももうやってもうた後やしな。
はあはあ荒 い息で、ぐったりしている朧月夜 を、俺は自分も終わった後の乱れた息を整 えながら、じっくり眺 めた。綺麗 やなあと思いつつ。
けだるそうに目を開き、湊川 は汗 と湯気 に濡 れた顔に、はりつく髪をゆっくりと取り除 けた。
ぼんやりと虚脱 したような顔やった。どこも見てへん、くつろいだ顔。
この時のこいつの顔は独特 で、他で見たことがない。満足そうで、無防備 やった。
そうしている時が、一番美しい。でもこれを見ることができるのは、限 られた者の目だけで、頑張 ってご奉仕 をした後の、ご褒美 みたいなもんやった。
「気持ちよかった」
わかりやすい感想で、ぼんやりと言われ、俺は褒 められた。
「もう抜 いて。脚 が疲 れた」
余韻 もなんもない口調で言うてきて、解放されると湊川 は、ずるずる湯の中に沈 み込 んでいった。
そして温 い湯につかり、湯縁 を枕 に、はあと深いため息をついて、至福 のような表情をした。
「気に入ったわ、本間 先生。式 になったろう。鯰 の生 け贄 にも、他におらんのやったら、俺がなってやろう。水煙 様に、そう言うといてくれ」
煙草 をよこせという仕草 で俺に差 し招 いて、湊川 はどっちがご主人様かわからんような横柄 さで、俺に一本とらせ、火までつけさせた。
なんで俺がそんなことせなあかんねん。でも嫌 な顔もせずやってもうたわ。なんでやろ。操 られている。
「そやけどな、憶 えておいてくれ、先生。あくまでも業務上 の都合 や、俺がお前の式神 になるのは。惚 れたわけやない。俺を水煙 や、蛇 やワンワンと同じやと思うたらあかん。行動は共 にはしいひん。俺が誰と寝ようと文句は言うな。それに、あんまり慣 れ慣 れしゅうしんといてくれ。好きやないねん、ベタベタされるのは」
素 っ気 なかった。ものすごく。
くそう。言われんでもお前にベタベタなんかしいひんわ。俺も命が惜 しい。ぎったんぎったんにされる。
「用事があったら電話しろ。電話番号は、先生の携帯 に入れとくしな」
バスルームの床 に転 がっている俺のジーンズの、ヒップポケットに入っていた電話を、湊川 が長い睫毛 の流し目で、ちらりと見ると、急に着信音 が鳴った。
そしてそれが、すぐに切れた。
いったいどないして、そんなことができるのか、謎 やけども、こいつも人やない。人やメディアの網 の目の、隙間 に棲 んでいる神や。そういうこともできるんやろう。
「それから、俺のことは、朧 と呼んでくれ。二人きりの時は」
じっと見つめて、湊川 は俺に趣向 を教えた。
暁彦 様と朧 。
こいつは俺の式神 になったわけやない。別れて七十年以上が過 ぎたけど、今でも実は、俺のおとんに仕 えてる。
「どうして、おとんと別れたんや。暁彦 様と。なんで一緒 に、ついていってやらへんかったんや」
戦 で死ぬのが嫌 やったんか。薄情 そうな奴 やしな。命あっての物種 やと言うてた。
そこまでおとんが好きではなかったんかな。他の式神 がみんな、命がけでのご奉公 やったのに、お前だけが逃げたのか。
うっふっふと面白そうに、朧 は笑った。煙 るような目を細め、淫靡 な微笑 やった。
「ついてくるなと言われたんや。そういう命令やった。俺は捨 てられたんやで、坊 。生きて戦後の世の中を見ろと言われた。ずっと、その時々の好みの歌でも歌うて、自由気ままに面白 可笑 しゅう生きていけと。あいつが死んでも、知らん顔して……」
そして湊川 怜司 はずっと、そのおとんの命令を守って生きてきた。好き勝手に、自由気ままに、知らん顔して。
それでも、うちのおとんが好みそうな。時代時代の歌を歌って。冗談交じりに言われたように、ずっとラジオの精 として。じっと世の中を見つめ、結局、誰のものにもならへんかった。
たぶんずっと、うちのおとんの式 やったからやろう。
それを、おとん大明神 が知っているのかどうか。気になるところやけども、ある意味それは、どうでもええことなんやろう。朧 なる男にとっては。
ともだちにシェアしよう!