339 / 928

21-59 アキヒコ

 元は確か愛玩用(あいがんよう)のマルチーズで、もっと可愛(かわい)い犬やったんやないのかと思うけど、可愛(かわい)いのはもうやめたんや。なんでやめんねん、お前は可愛(かわい)いほうがええのに。  それでも、じっと大人しく、力無く(おび)えて部屋のすみにいるのを見ると、可愛(かわい)いような気がした。可哀想(かわいそう)なような。ものも言わんと座っている忠実(ちゅうじつ)そうな犬の姿でいて、瑞希(みずき)はもう人間やめたと言うてるようやった。  よっぽど傷ついたんやろう。そんな姿になってしまうとは。俺が話しかけても、なんにも答えへんかった。 「眠りながらこの格好(かっこう)になっていた。目を()ましても元に戻らんようや」  車椅子(くるまいす)で俺に付き(したが)って、水煙(すいえん)経緯(けいい)を話した。瑞希(みずき)はそれをじっと見つめて聞いていた。 「霊力(れいりょく)がなくなってもうたんか?」 「いいや、違うやろ。この姿でいようと思ってるだけや」  いっそほんまに犬やったらよかったのに、か。思い()めがちやからな。変なこと言うからやで、瑞希(みずき)迂闊(うかつ)なこと言うたらあかん。ほんまに犬になってもうたやんか。 「犬がええんか、瑞希(みずき)」  (そば)にしゃがんで、頭を()でてやると、黒い猟犬(りょうけん)はしょんぼりとしたふうに、大人しく()でられていた。細身(ほそみ)の体を抱き上げてやると、犬は一瞬、びくりとしたけど、それでも(のが)れはしいひんかった。  ぎゅうっと強く抱く俺に、心地(ここち)よさそうに抱かれていた。  俺はそのまま犬を抱っこして、(はい)になっている(とおる)のところへ行った。  (とおる)はソファに(うつぶ)せに(たお)れ、半分ずり落ちたみたいな大の字になっていた。  なんという、(ひん)のかけらもない姿やろか。頭はぐちゃぐちゃやし。泣きはらしたような(うる)んだ目をして、ぼんやり顔で生彩(せいさい)がない。でも可愛(かわい)い、そんな姿してても、美しい神さんや、俺のツレは。 「どこ行ってたんや、アキちゃん……探したんやで……」  水地(みずち)(とおる)が落ちている、ソファの(となり)に割り込んで座り、ぐいぐい頭に(あし)を押しつけてやると、(とおる)渋々(しぶしぶ)のように、俺の(ひざ)に頭を乗せてきた。 「新しい(しき)を探しに行ってたんやないか。お前らが行けっていうから」 「この浮気者(うわきもの)ぉ……ほんまに行く(やつ)があるかあ」  (うら)みがましい涙声(なみだこえ)で、(とおる)は俺にぶつぶつ言うてた。 「見つかったんか、それで。瑞希(みずき)ちゃんの代打(だいだ)は」 「見つかったことは見つかった。湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)」  それに(とおる)は、やっぱりそうか畜生(ちくしょう)ブッコロスぅ〜、とフラフラの声で言い、水煙(すいえん)はぎょっとした。 「(おぼろ)か」 「そうとも言うらしいな」  犬の首を()でてやりつつ、俺は(とおる)の首も()でてやった。これで瑞希(みずき)が人型やったらヤバいけど、犬型やったら何ともないことってあるな。可愛(かわい)かったから、ついでにチュウもしといた。  俺はなんか、突き抜けてもうたんと違う? ()うてるだけ? ()った勢い? いつもそれやな。ありがとう酒の神。 「あかんで、アキちゃん、あいつはあかん! もう放逐(ほうちく)した(しき)や。今は蔦子(つたこ)所有(しょゆう)のはずや」  水煙(すいえん)は、キッと(きび)しい目をして、怒ったように言うていた。  やっぱり嫌いなんや、(おぼろ)水煙(すいえん)はめちゃめちゃ怒ってた。怖い。でも、怒った顔も綺麗(きれい)や。もう、鬼みたいとは思わへんかった。 「蔦子(つたこ)さんには明日話す」  瑞希(みずき)の耳を()でてやりつつ、その体を抱いて、俺は水煙(すいえん)に答えた。 「掟破(おきてやぶ)りやで。他人の(しき)をぶんどるのは。欲しいんやったら、きちんと譲渡(じょうと)を願い出て……」 「おとんも大崎(おおさき)先生から秋尾(あきお)さんをぶんどろうとしてたんちゃうの」  話の(こし)()るようで悪いけど、俺がそう()くと、水煙(すいえん)はムッとしたように言葉を()んでた。 「それは……ヘタレの(しげる)時局(じきょく)(わきま)えず、自分は虚弱(きょじゃく)従軍(じゅうぐん)できへんくせに、アキちゃんに(しき)(ゆず)ろうとせんかったからや。秋尾(あきお)伏見(ふしみ)稲荷神(いなりがみ)(つか)える白狐(びゃっこ)で、霊威(れいい)が高かった。死蔵(しぞう)してたら勿体(もったい)ない」 「だからって、ぶんどってええのか」  俺は別に批判(ひはん)したかったわけやない。そのへん、どういう流儀(りゅうぎ)になってんのかなって、教えてもらいたかっただけで。  だって知らんのやもん。水煙(すいえん)は俺の教育係なんやんか。だから()いただけやで。 「……事情によりけりや。お国のためやないか」 「ルールは目安(めやす)なんや」  映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』で、船長(キャプテン)バルボッサがそう言うてた。海賊(かいぞく)みたいな世界なんや。鬼道(きどう)も。  水煙(すいえん)はしてやられたような、気まずく(にが)()()になっていた。表情見えると、分かりやすい。前は何考えてんのか、いまいち分かりにくかったけど、これなら、感情が顔に出るのも人間並みやから。 「とにかく、(おぼろ)難物(なんぶつ)や。性悪(しょうわる)やし。俺は嫌いや……」  つんとして、水煙(すいえん)は言うてた。そうして()ねてる顔も、案外可愛(かわい)いなあと俺は思った。もう止まりませんわ。悪い子エナジー全開なってた。 「そう言わんと仲良うしてくれ」  俺が(たの)むと、水煙(すいえん)盛大(せいだい)に顔をしかめていた。  でも、仕方ないと思うらしかった。俺がそう言うんやったら。 「わかった。まあええやろ。どうせあと二日や。(かどわ)かされんようにしろ。あいつは昔、アキちゃんを神隠(かみかく)しにしようとした」 「神隠(かみかく)し」  俺が()くと、水煙(すいえん)忌々(いまいま)しそうに(うなず)いていた。 「位相(いそう)があるやろ。同じ人界(じんかい)でも、見る(もん)が見れば、薄紙(うすがみ)を重ねたように、いくつかの位相(いそう)に別れているんや。その隙間(すきま)に落とし込めば、人やら物やら(かく)すことができる。位相(いそう)(めく)るんや」

ともだちにシェアしよう!