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21-59 アキヒコ
元は確か愛玩用 のマルチーズで、もっと可愛 い犬やったんやないのかと思うけど、可愛 いのはもうやめたんや。なんでやめんねん、お前は可愛 いほうがええのに。
それでも、じっと大人しく、力無く怯 えて部屋のすみにいるのを見ると、可愛 いような気がした。可哀想 なような。ものも言わんと座っている忠実 そうな犬の姿でいて、瑞希 はもう人間やめたと言うてるようやった。
よっぽど傷ついたんやろう。そんな姿になってしまうとは。俺が話しかけても、なんにも答えへんかった。
「眠りながらこの格好 になっていた。目を醒 ましても元に戻らんようや」
車椅子 で俺に付き従 って、水煙 は経緯 を話した。瑞希 はそれをじっと見つめて聞いていた。
「霊力 がなくなってもうたんか?」
「いいや、違うやろ。この姿でいようと思ってるだけや」
いっそほんまに犬やったらよかったのに、か。思い詰 めがちやからな。変なこと言うからやで、瑞希 。迂闊 なこと言うたらあかん。ほんまに犬になってもうたやんか。
「犬がええんか、瑞希 」
傍 にしゃがんで、頭を撫 でてやると、黒い猟犬 はしょんぼりとしたふうに、大人しく撫 でられていた。細身 の体を抱き上げてやると、犬は一瞬、びくりとしたけど、それでも逃 れはしいひんかった。
ぎゅうっと強く抱く俺に、心地 よさそうに抱かれていた。
俺はそのまま犬を抱っこして、灰 になっている亨 のところへ行った。
亨 はソファに俯 せに倒 れ、半分ずり落ちたみたいな大の字になっていた。
なんという、品 のかけらもない姿やろか。頭はぐちゃぐちゃやし。泣きはらしたような潤 んだ目をして、ぼんやり顔で生彩 がない。でも可愛 い、そんな姿してても、美しい神さんや、俺のツレは。
「どこ行ってたんや、アキちゃん……探したんやで……」
水地 亨 が落ちている、ソファの隣 に割り込んで座り、ぐいぐい頭に脚 を押しつけてやると、亨 は渋々 のように、俺の膝 に頭を乗せてきた。
「新しい式 を探しに行ってたんやないか。お前らが行けっていうから」
「この浮気者 ぉ……ほんまに行く奴 があるかあ」
恨 みがましい涙声 で、亨 は俺にぶつぶつ言うてた。
「見つかったんか、それで。瑞希 ちゃんの代打 は」
「見つかったことは見つかった。湊川 怜司 」
それに亨 は、やっぱりそうか畜生 ブッコロスぅ〜、とフラフラの声で言い、水煙 はぎょっとした。
「朧 か」
「そうとも言うらしいな」
犬の首を撫 でてやりつつ、俺は亨 の首も撫 でてやった。これで瑞希 が人型やったらヤバいけど、犬型やったら何ともないことってあるな。可愛 かったから、ついでにチュウもしといた。
俺はなんか、突き抜けてもうたんと違う? 酔 うてるだけ? 酔 った勢い? いつもそれやな。ありがとう酒の神。
「あかんで、アキちゃん、あいつはあかん! もう放逐 した式 や。今は蔦子 の所有 のはずや」
水煙 は、キッと厳 しい目をして、怒ったように言うていた。
やっぱり嫌いなんや、朧 。水煙 はめちゃめちゃ怒ってた。怖い。でも、怒った顔も綺麗 や。もう、鬼みたいとは思わへんかった。
「蔦子 さんには明日話す」
瑞希 の耳を撫 でてやりつつ、その体を抱いて、俺は水煙 に答えた。
「掟破 りやで。他人の式 をぶんどるのは。欲しいんやったら、きちんと譲渡 を願い出て……」
「おとんも大崎 先生から秋尾 さんをぶんどろうとしてたんちゃうの」
話の腰 を折 るようで悪いけど、俺がそう訊 くと、水煙 はムッとしたように言葉を呑 んでた。
「それは……ヘタレの茂 が時局 を弁 えず、自分は虚弱 で従軍 できへんくせに、アキちゃんに式 を譲 ろうとせんかったからや。秋尾 は伏見 の稲荷神 に仕 える白狐 で、霊威 が高かった。死蔵 してたら勿体 ない」
「だからって、ぶんどってええのか」
俺は別に批判 したかったわけやない。そのへん、どういう流儀 になってんのかなって、教えてもらいたかっただけで。
だって知らんのやもん。水煙 は俺の教育係なんやんか。だから訊 いただけやで。
「……事情によりけりや。お国のためやないか」
「ルールは目安 なんや」
映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』で、船長 バルボッサがそう言うてた。海賊 みたいな世界なんや。鬼道 も。
水煙 はしてやられたような、気まずく苦 い伏 し目 になっていた。表情見えると、分かりやすい。前は何考えてんのか、いまいち分かりにくかったけど、これなら、感情が顔に出るのも人間並みやから。
「とにかく、朧 は難物 や。性悪 やし。俺は嫌いや……」
つんとして、水煙 は言うてた。そうして拗 ねてる顔も、案外可愛 いなあと俺は思った。もう止まりませんわ。悪い子エナジー全開なってた。
「そう言わんと仲良うしてくれ」
俺が頼 むと、水煙 は盛大 に顔をしかめていた。
でも、仕方ないと思うらしかった。俺がそう言うんやったら。
「わかった。まあええやろ。どうせあと二日や。拐 かされんようにしろ。あいつは昔、アキちゃんを神隠 しにしようとした」
「神隠 し」
俺が訊 くと、水煙 は忌々 しそうに頷 いていた。
「位相 があるやろ。同じ人界 でも、見る者 が見れば、薄紙 を重ねたように、いくつかの位相 に別れているんや。その隙間 に落とし込めば、人やら物やら隠 すことができる。位相 を捲 るんや」
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