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22-11 トオル
「いやいや、平気ですって先生。俺はもう寛太 に根こそぎ搾 り取られてもうて、一滴 も出えへんみたいな、バリ気の毒な虎 やから」
そんな惚気 も挟 みつつ、アホ丸出しの虎 は、それでも真面目 にアキちゃんに言うてた。
「竜太郎 がなあ、先生のこと好きみたいやねん。モテるんやなあ、先生。怜司 も案外 、先生にやったら本気になれるかもしれへん。だって先生、お父さんにそっくりなんでしょ? それに、今この近辺 に居 るやつで、あいつにイクとき暁彦 様って鳴かれて、平気で萌 えられんのって、先生くらいやないです? 俺は正直、あれには萎 えるんです。悲しなってくるやんか……」
ほんまに悲しい顔をして、虎 は話し、ベッドに膝 で立ったまま、アキちゃんに小さく頭を垂 れていた。
「でもな、先生やったら、何とかなるかも。何と言うても覡 やしな、あいつも先生んとこで、生きる目的、見つけられるかもしれへん。生 け贄 になんかせんと、気長に付き合うてやってくれませんか。あいつが暁彦 様を忘 れて、新しい恋ができるようになるまで」
「……なんで俺がお前に、そんなこと頼 まれなあかんのや」
アキちゃんは呆 れたみたいに、そう信太 に訊 いた。
「え。だって一応、元彼 やから?」
「元彼 なんか?」
「そうですよ?」
知らんかったんかって、信太 はそんな口調 やった。
てめえ……鳥さんの前では、あいつは友達やみたいな事言うとったくせに。やっぱりデキとったんやないか。
「まあ……そうは言うても、マジ惚 れしとったんは俺だけやったけどな。振 ったつもりが、振 られたんか。捨 てんといてくれみいな話、いっぺんも無いです」
苦笑 の顔になって虎 は言い、それでも今度ははっきりと分かるぐらいに、アキちゃんに頭を下げた。
「殺さんといてください。今はもう、赤の他人やけど、俺の代わりにあいつが死ぬなんて、そんなん耐 えられんのや。殺 るんやったら、俺にしといてください、先生」
鳥さんどないすんねん、この虎 め。あんなに好きや好きやのくせに。
今の恋人のために、前のラジオはすっぱり諦 めろ。それも甲斐性 やで信太 。どっちもにええ格好 はでけへんのやで。鳥さん泣いてもええのか。
アキちゃんも、そう思ってんのか、呆 れたままの難しい顔をして、信太 を見ていた。
「頭なんか下げへんでも、生 け贄 にはしいひん。信太 、お前も、湊川 も……お前もやで、瑞希 」
ふと横にいる犬に、アキちゃんは目を向けて、そう言うた。それと見つめ合い、犬は不安げな戸惑 い顔やった。
「誰か他のが見つかったんですか……?」
「そうや。見つかった。そやから心配しいひんでええんや」
二日酔 いで頭が痛いみたいに、アキちゃんは項垂 れて、眉間 を揉 んでいた。
「それでも、居 てええんですか、先輩 のところに」
生 け贄 にするから、連れてきた犬で、そうやないなら追い出されんのかと、瑞希 ちゃんは心配したらしい。アキちゃんはまだ目を揉 みながら、笑っていた。
「居 ってええよ。何やったらこれから首輪 買いにいくか」
犬にそう言うてやってる、アキちゃんのその声が、えらい優 しい気がして、俺はカチンと来てた。
アキちゃん、ほんまに、誰にでも優 しいんやなあ。
「買い物、行こうか……。水煙 の、服も要 るんやし。お前も街行って、好きなん買えばええよ。車出すしな」
そんなんしてもええ程度には、酒抜けてんのやろか。飲酒運転で捕 まるで、アキちゃん。
やれやれと、頭振 ってる顔でベッドから這 い降りてきて、アキちゃんは虎 と見合った。
「水煙 は、次いつ戻 してくれるんや」
「分かりませんけど、夜にはいったん、お返しします。竜太郎 も夜は寝なあかん。まだ参 ってるようやしな、夜までにするという約束で、また潜 るんや」
つまり、時間の流れに逆らって潜 るということらしいわ。未来へ向かって泳ぐ。
それをずっと、あのチビは、何度も試 みてるんやろうけど、なんで何にも言うて来ないんやろうか。
水煙 も、それについては黙 りやしな。たぶん、成果 がないんやろう。水煙 は、難しい顔をしていた。
「寝てる場合やないと思うけどな……」
冷たく言うてる水煙 の、車椅子 のところまで来て、アキちゃんは急に、水煙 の頬 を撫 でた。俺はそれに、びっくりした。
でも、一番ビビってたんは、水煙 やないかと思うわ。頬 にアキちゃんの指を触 れさせたまま、ぎょっとしたように見上げ、ぼんやり見てる目と、混乱したふうに見つめ合っていた。
アキちゃんの目は、上手 いこと描けた自分の絵を見てる、絵師 の目やった。もしくは愛 しいものを見る、優 しい恋人みたいな目やった。
それに俺の胸は、相当 に痛んだ。アキちゃんがそんな目で水煙 を見るなんて、今までにない事やったし、少なくとも俺は見たことがない。
そんな目で見るな。それは俺にしか、向けたことない目のはずや。
「竜太郎 に、無理させたらあかんのやで、水煙 。未来なんて、慌 てて視 んでも、どうせすぐ来るんやから。そん時、びっくりすりゃええやん」
投 げ遣 りみたいな事を言うてんのやけど、アキちゃんはすごく、落ち着いて見えた。何かから、解放 されたみたいやった。
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