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22-14 トオル

 あれが信太(しんた)神殿(しんでん)なんやったら、この(とら)もカスミ食うてる神みたいなもんや。  それで死ぬのが怖くないんと(ちが)う? (けが)れてへんから。  そやけど焼き肉食うてんのやったけ。パスタも食うてたしな。ほんなら(けが)れまくりやな。  そらまあ、このエロくさい(とら)が、(けが)れていない(わけ)はない。そんならお前かて、俺とおんなじ煩悩(ぼんのう)まみれや。(いや)しい外道(げどう)やねん。死ぬのは怖いはず。 「その(とら)でも、ええご身分やと思うてるけどな。でも(とら)ちゃん。俺はもっと、イケてる(とら)やった。ほんまに人は俺にひれ()した。(あさ)(ゆう)なに祭祀(さいし)して、平身低頭(へいしんていとう)叩頭礼(こうとうれい)や。もう、大昔の話やけどな。でも、そこで俺はタダ(めし)を食ってきた。それのツケを(はら)う時が、とうとう来たんや」  大昔言うほど前やないやんか。  確か信太(しんた)は、元は紫禁城(しきんじょう)(とら)やったと言うてた。たぶん、映画の『ラスト・エンペラー』とかの時代やで。  主役の俳優(はいゆう)ジョン・ローン、めちゃめちゃエロ格好(かっこう)良かった。抱かれたい。巻き付きたい。せめてキスくらいはしたい。  それはええけど、となかくそれは、二十世紀半ば(ごろ)の話や。アキちゃんのおとんが死んだ、前の(いくさ)の前までは、中国には皇帝(こうてい)がほんまに()って、その居城(きょうじょう)である紫禁城(しきんじょう)現役(げんえき)王城(おうじょう)やった。  この(とら)は、そこで()われている霊獣(れいじゅう)やったわけやから、昔やいうても、まだ百年()ってへん。  そんなん、ちょい前、ぐらいですよ。百年一昔(ひとむかし)なんやから、俺にとっては。右見て左見たらもう百年過ぎてるのよ。あれえ、おかしいなあ。みたいな感じよ。  生まれた人間があっというまに成長し、ジジイになって死ぬ。そういう感じ。食べ(ごろ)やなあと思ってた(もも)が、うっかり放置してもうて、気がついた時には(くさ)ってる。そういう感じよ。俺にとっての時の流れは。  人間が、(いと)しいけども、(あい)したところで(むな)しいばっかり。皆、ぼろぼろ死んでいく。  戦争に病気に()えに、事故死に自殺。運良く天寿(てんじゅ)(まっと)うしたかて、百年も生きる(やつ)滅多(めった)におらへん。愛したところで明日には、死に別れる運命や。  それでもやめられへん。俺は人が好き。因業(いんごう)やと思いつつ、それでも人を(とりこ)にして食おうとしてしまう。俺を愛してくれよ、って。  (なつ)かしいからやねん。俺を生んだのは、人間どもや。こんな神さん、()ったらええなあって、遠い昔の遠い川辺(かわべ)に住んでた人らが考えて、俺が生まれた。俺も俺の(たみ)を愛していたはずや。  あんまり遠い昔すぎて、もう、よう思い出されへんけども、それでもその愛は、今も胸の奥底(おくそこ)に残っているんやろ。遠い過去の想い出として。  (わす)れがたい沢山(たくさん)の顔が、俺の記憶の中には残っている。そのひとつひとつの名前を(おぼ)えているかどうか、正直言うたら心もとない。ほとんどの顔は、漠然(ばくぜん)とした(いと)しい思いを胸の奥に(かも)し出す、甘い一瞬の残像(ざんぞう)のようになっている。  かつて川辺(かわべ)神殿(しんでん)で、ええ(にお)いのする乳香(ミルラ)()いて、俺を(おが)んでくれた男か。  それに()(がた)霊威(れいい)()れていた(ころ)の俺は、(まぎ)れもない神様やったなあ、とか。  藤堂(とうどう)さん、あんたは俺のことを()しき(へび)やと恐れてたけど、お前は美しい子やなあと俺を見つめる時の目には、あの川辺(かわべ)神官(しんかん)を思い出させるような、(ねつ)っぽい何かがあったわ、とかな。そんな感じや。  俺の脳内(のうない)(いと)しい男ライブラリーに、百年千年、関係ないです。記憶は色あせても、愛は色あせへん。  ふと思い出せば、それが何百年前であろうとも、何千年前であろうとも、いつも胸苦(むなぐる)しいような甘さを(したた)らせた、芳醇(ほうじゅん)(ネクタリン)(かお)り。  まあ、俺はそんなふうに、ちょっとばかし恋愛体質なんやけども、(とら)はもうちょっと真面目(まじめ)やった。エロとは別の意味合いで、かつて自分が守るべきやった(たみ)のことを愛してた。  それは、おおざっぱに言うと、中国語で(しゃべ)る人らや。そこが信太(しんた)出自(しゅつじ)やからな。  時代の波に(はげ)しく()さぶられ、崩壊(ほうかい)していく中国の、古い世界と()()ちしかけた(とら)は、命からがら逃げてきて、とりあえず日本で命拾(いのちびろ)いはしたものの、そこから(なが)める(いと)しい土地での出来事に、心を痛めてた。  色々あったんや、海の向こうでは。侵略(しんりゃく)されたりとか、内乱(ないらん)あったりとかな。人がいっぱい死んだ。  そんな動乱期(どうらんき)場外(じょうがい)から見るだけで、なんもできへん自分のことが、(とら)(なさ)けなかったらしい。  俺はあの(たみ)を守るべく生み出された(とら)やのに、一体何をやってんのやろと、くよくよくよくよしていた。負け犬ならぬ、負け(とら)や。それでどんどん、自信のうなってきて、今ではまたパワー(みなぎ)るタイガーのくせに、ヘタレやねん。  寛太(かんた)本命(ほんめい)が自分やということを受け入れるのにも十年かかったし、それよりもっと可愛(かわい)くないラジオに(いた)っては、きっと気のせいやと逃げていた。  愛してほしいけど、でも、俺にはそんな価値はない。  もう傷つきたくない。愛してくれよと見つめた相手が、お前なんか死ねばよしと突き放して来るのが怖い。  さらば(いと)しき中国で、民に()てられた傷を、めっちゃしつこく引きずっている。今年こそ(とら)優勝やああ、みたいな気合い入ったファンが()るのに、なんか負けてまう。  それはこいつのせいや。(とら)キチの(みな)さん、信太(しんた)(うら)め。  いや、そうやのうて。(はげ)ましてやって。自信持て。

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