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22-16 トオル

 アキちゃんも前はそうやったけど、おとんも京都から出られへんかったらしいねん。結界(けっかい)があって、それに(とら)われていた。せやから京都盆地からは出られへんはずやのに、どこ探しても居らんらしい。  消えたんや。おとん。消える魔球(まきゅう)や。  それをやってたのが、あの湊川怜司(みなとがわれいじ)らしい。おとんを別の位相(いそう)に隠してやってたんや。一時(いっとき)、別の位相(いそう)に逃げ込んで、ふわあーっ、と(たましい)抜いてくる。他にもいろいろ抜いてんのやろけど。  それでリフレッシュして戻ってくるらしいけど、でも、いつか戻って来んようになるんやないかと、水煙(すいえん)はビビっていたらしい。  戦争なって、もうじき出征(しゅっせい)やという時に、アキちゃんのおとんは水煙(すいえん)()いたらしい。  (おぼろ)()け落ちしよかと(さそ)われた。俺はそれについていきたいが、行ってもええかと。本気のような目で。  もちろん、行ったらあかんと、水煙(すいえん)(きび)しく止めたらしい。  お前は家を捨てる気か。一族を捨て、(しき)たちも捨てて、逃げる気なんかと。お前は俺を捨てていくのかと、水煙(すいえん)()き、おとんはちょっと考えてから、それは無理やなあと、にやっと笑って答えたらしい。  そして実際には、()け落ちなんかせえへんかった。  (おぼろ)を追放しろと水煙(すいえん)はおとんに命じ、おとんはそれに唯々諾々(いいだくだく)(うなず)いた。  ほんで、湊川(みなとがわ)は本家を出されて、神戸に追放されたらしい。あいつがもう京都盆地に入れんように、(おぼろ)様あっちいけ結界(けっかい)が張り(めぐ)らされた。念入(ねんいり)に。  その結界(けっかい)を張っていたのは、もしかしたら水煙(すいえん)なんやないか。二度とアキちゃんに近づくなって、そんな怨念(おんねん)が、その結界(けっかい)を生み出す力の供給源(きょうきゅうげん)やったに違いない。  とにかく水煙(すいえん)(おぼろ)が嫌いやった。嫌いというより、恐れてたんやと思う。  ヤバいところやった。紙一重(かみひとえ)やった。アキちゃんのおとんは、なんで水煙(すいえん)に、()け落ちしてええかなんて()いたんやろか。あかんて言われるに決まってる。  たぶん、()めてほしかったんやろ。()めてもらわんかったら、行ってまうんやないかと、自分でも怖かった。それがあかんと思う程度には、おとんには責任感はあったんや。  けどそれは、頭で出した結論で、ほんまは行ってみたかったんやろう。京都盆地の外へ。戦争でなく、物見遊山(ものみゆさん)で。  それが駆け落ちでないとあかん程度に、(おぼろ)様が好きやったかどうか、それは俺にはわからん。でも水煙(すいえん)は、そうなんやと思うたらしい。  それで水煙(すいえん)は、傷ついたわけ。その傷をつけたんは、アキちゃんのおとんやのうて、(おぼろ)やと、水煙(すいえん)は思ってた。  それで(うら)んでんのや。用心している。(おぼろ)は機会があれば、またアキちゃんを(さら)いにくる。今度こそ二度と出られん、誰にも見つけ出せないような、深い;迷宮(めいきゅう)のような位相(いそう)に、アキちゃんを閉じこめて、自分のもんにしようとするかもしれへん。  今がその時やったらどうしようかと、昨夜はずいぶん取り乱していた。見た目にはわからへんけど、探しに行けと俺に命令してきた時の、水煙(すいえん)の目は、完璧(かんぺき)テンパっていた。心配すぎて、また頭おかしなってた。  その目と見つめ合ったら、俺も(わけ)もなくアワアワなってもうて、アキちゃんどこやって、必死で探し回ったわ。  でも、ほんまに見つからんかった。  ホテルの人に、湊川怜司(みなとがわれいじ)の部屋を教えろと頼んで、部屋番号は聞き出したんやけど、その部屋が無いねん。どこにもない。  ヴィラ北野の廊下(ろうか)という廊下(ろうか)を、全てウネウネ走り回ったけど、その部屋はどこにもなかった。  アキちゃん、ほんまに神隠(かみかく)しに()ってたんやで。俺もう、泣きそうやったわ。  というかマジで半ベソやった。泣きながらウロウロしてたんやないか。  俺、アキちゃんに、許さへんて言うてもうてたしな。犬と寝たこと、許さんて、めっちゃ(にく)そうに言うてもうてた。ほんまに(にく)かったんや、あの時は。  せやけどあれは、アキちゃんが、悪かったわけやない。やれって言うたの俺やしな。それに水煙(すいえん)もやろうけど。  そうでないならアキちゃんは、そんなこと、せえへんかったかもしれへんのやで。  あいつ浮気者(うわきもん)やしな、犬が好きやは、ほんまそう思ってたやろ。  でも夏に、可愛(かわい)瑞希(みずき)ちゃんがまだ大学の後輩やった頃には、それを我慢(がまん)してた。手を出そうなんて、せえへんかったで。キスもしたことなかったんやで。なんもしてへん。それはほんまに、そうやったんやろう。  だから今でも、俺や水煙(すいえん)がけしかけへんかったら、手は出さんかったかもしれへん。ずっと我慢(がまん)してたかもしれへん。  その背中を押したんは、他でもない、俺やしな。ほんまは許さへんなんて、(ののし)れる立場ではなかった。  アキちゃんも、(こま)るやろ。ほんなら、どうせえ言うねんて、文句言いたくもなるやろ。  でもアキちゃん、なんも言わんかったで。ただ(だま)って責められていた。俺と水煙(すいえん)と、二人がかりで好き勝手言うてんのを、(だま)って聞いてたで。  帰ってきてくれ。許さへんて言うたんを、どういう意味で聞いてたんや。

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