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22-24 トオル
「いいや。それはアキちゃんの絵や。俺のは一番下のやつ」
そう教えてやったけど、藤堂 さんはじっと、アキちゃんが描いた、このホテルの絵を見てた。妖 しく美しい泊 まり客。その背景にあるヴィラ北野 の風景を。
それは確かに落書 きなんかもしれへんけども、才能のある画家が描いた落書 きや。きちんとした額 にでも入れて、壁に飾 れば、オーラを放 つ。俺にはそれが、分かってた。
アキちゃんの絵には魔法がかかってる。それは俺みたいな絵には素人 の奴 が見ても分かる。見ただけで吸 い寄 せられるような絵や。絵の中に、入っていけそうな。あるいは、その絵の中にいる人物や動物が、ふらりと出てきてしまいそうな。それがただの妄想 とは思えんような、存在感を放っている。
増 して絵には多少の理解のある目利 きが見れば、一瞬で確信するやろう。この絵を描いた奴 には、才能がある。こいつは天才やって。
西森 さんも、目の色違 った。アキちゃんの絵を最初に見せたとき、いつもなら快活 でお喋 りなあのオッサンが、十分くらい押し黙 っていた。
藤堂 さんもじっと黙 って、アキちゃんの描く世界を、しばらく見つめてた。でもこの人は、西森 さんほど、絵に魅入 られてはいない。すぐに笑って、また俺を抱き寄せた。
「お前の彼氏は天才なんやないか」
「そうやで。末 はピカソかシャガールや」
オッサンの頬 に頬擦 り寄せて、俺は甘えた。心ゆくまで。そしてそのまま絡 みついて、渋 いコロンの香るスーツの胸に、顔を埋めた。
気持ちええわ。藤堂 さんに抱いてもらうと、すごく守られているような気がする。もう何も考えんでええし、この人に言われるまま、操 り人形みたいになっときゃええねんて、そんな甘い虚脱感 がある。
「このホテルも、そんな大先生に描いてもらって、光栄 な話や」
嫌 みではなく、藤堂 さんはほんまにそう思ってたらしい。なんか、うっとりしていた。
「気に入ったんやったら、受け取っといて。アキちゃん、この絵をあんたにくれてやるつもりらしいから」
俺がそう言うと、藤堂 さんは苦笑 したようやった。胸がゆったり震 えてた。
「何枚あるねん。一枚いくらや。お前は次から次へ自分の男の絵を俺のところへ持ってきて、それを買えとは。困 った子やなあ」
「買え言う話やないで。アキちゃん、タダでくれるらしいで。部屋に他にも、もっと沢山 ある。落書 きやねんて。あんたが受け取らんかったら、焼いて捨 ててまうらしいわ。いつも、そうやもん……」
俺の話にぎょっとしたふうに、藤堂 さんは抱いてた腕をゆるめて、俺の顔を見た。
「なんという怖ろしい話や。この絵を焼くなんて。西森 が聞いたら気絶 するで」
深刻 そうに言う藤堂 さんが可笑 しくて、俺は笑った。
するやろなあ、西森 さん。アキちゃんの絵、落書 きでもええから何でも持って来いって言うてるもん。
売りたいのもあるけど、単に見たいねん、あのオッサンは。アキちゃんが描いた絵を、全部見たい。苑 先生もそうやし。大崎 先生もそうや。ぶっちゃけ、オッサンどもはファンやねん、アキちゃんの絵の。
「ありがたく頂戴 しとくわ。ホテルに飾 ってもええんかな。廊下 がどうも殺風景 でなあ。せやけど気に入る絵がなくて……久々に西森 にでも電話しよかと思うてたとこやけど。どうも気まずい。いっぺん死んでから、連絡とってへんのや。あいつ俺の葬式 で泣いてくれたらしい」
そうなんか。知らんかった。西森 さん、俺には教えてくれへんかったで。あんたが死んでたなんて。
言うてくれてもええんやないのか、俺の前の男やねんし、西森 さん、俺とはアキちゃん絡 みで何遍 も会 うてたんやから。こっそり耳打ちしてくれたかて、罰 は当たらんやろうに。
言いたくなかったんか。藤堂 さん捨てて、新しい男といちゃついてる俺には。言うてもしゃあないと気を遣 ってくれたんか。
それとも、言うてやらへん、不実 な蛇 やと、ちょっと呆 れて怒ってたんか。最近の俺、西森 さんにモテへんもんなあ。あいつ、アキちゃんのほうが好きなくらいやで、今は。
「これがお前の絵か?」
どことなく裏返 ったような声で、藤堂 さんが俺に訊 いた。手には、確かに俺が描いた、聖 トミ子光臨図 を持っていた。少女漫画みたいな、乙女 チックな薔薇 だらけの絵やで。絵の天使も黒の巻 き毛 で、睫毛 もめっちゃ長いしな。でもほんまに、こんな顔なんやもん、姫カット。
失笑 したような堪 えた笑い声を、藤堂 さんは上げた。俺はむすっと照 れて、またオッサンの胸に抱きついた。
「話せば長いけど、俺はある女を食うたんや。そいつが絵を描く女で、その画風 が俺のもんになったんや。せやから女みたいな絵やねん。しゃあないやんか」
「怖ろしい蛇 や、お前は。まだ人食うてんのか……悪魔 そのものや」
言われた通りや。胸痛い。俺は愉快 ではなかったけども、うんともすんとも言わず、藤堂 さんの胸に縋 り付いていた。
ほんまに俺は悪魔 やけども、アキちゃんところでは忘れていられるそのことを、あんたのところに来ると、また思い出す。
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