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22-25 トオル
絵をさらりとデスクに落として、藤堂 さんは俺の頬 に触 れてきた。温かい手やった。
「キスしていいか」
俺の顔を上げさせて、藤堂 さんは訊 いた。間近 に向き合う顔が、キスしてほしそうに俺を見てた。
「してええよ。もっといろいろ、してええんやで。三十分やろ……急いでせな、時間切れやで。ちゃんと俺が、いくまでやって」
「娼婦 のようやなあ、お前は」
見つめた真顔 で教えると、藤堂 さんは苦笑 いした。
「娼婦 やったら、話が逆 やろ。お前がいくまで、やらなあかんの違 うんか。どこに舐 めてもらって、客は干 しとく娼婦 が居 るねん?」
我慢 プレイの女王様か、俺は。欲求不満で三日放置か。でもそれは、最後に出させてやるために、我慢 させてんのやで。まあ基本はな。
俺も相当、我慢 させたよな。オッサン、一年も我慢 してた。俺のせいやないと思うけど、全部自分のせい。強 いて言うならヤハウェのせいや。あるいはヨーコのせい。
ヨーコというのは、オッサンの娘の名前やで。藤堂 さんが、世界でいちばん愛してる奴 の名や。
洋子 と書くらしい。藤堂 洋子 。オッサン、オノ・ヨーコのファンでな、あんな一本芯 のある、格好 いい女に育ってくれって願いを籠 めて、ヨーコと名付けたらしい。
それが、お父さんホモやし死んでこいって言うんやから、確かに一本芯 のある、強い娘に育ったんかもしれへん。あるいはその名に相応 しくない、弱い娘になってもうたんか。
お前のお父さん確かに蛇 と仲良うしてたけどな、それでもお前のこと愛してたで。ヨーコに悪いと思って、めちゃめちゃ我慢 した。
それでも相手も悪魔 やからな、あともうちょっとで食われるわっていうところまでは、ハマってもうてたよ。でもそれは、しょうがない。人の身で、外道 である俺のフルパワーの誘惑 に、一年逆 らった事のほうを、評価してやってほしい。
何のために我慢 したんや、藤堂 さん。アホみたいやったな。結局バレて、ヨーコに振 られ、その上、俺にも振 られやで。惨 めやったよなあ。
やっといたらよかった。どうせヨーコにバレるんやったら、蛇 に突っ込んどいたら良かったよなあ。そしたらきっと、気持ちよかったでえ。イケてる冥土 の土産 になってた。
そもそも、死ぬこともなかった。そんな苦しい思いせんでも、良かったかもしれへんのやで。
「キスして……早う」
お強請 りしながら、俺はアキちゃんが抱いてた犬の喘 ぐ声を、ふと思い出してもうて、苦しい気分になった。
早うしてください先輩。早う早うて強請 る犬に、アキちゃんはなんで、我慢 したんやろ。
やりたかったやろ。ムラムラ来たやろ。なんであいつと気持ちええことせえへんかったんや。
藤堂 さんが迷 ってるふうやったんで、俺はどうにも待ちきれず、早うしてくれって、自分からキスをした。
とっととやってくれ藤堂 さん。やりたかったんやろ。俺を犯 してくれ。最初にこの部屋で、やろうとした時みたいに、無理矢理みたいに抱いてくれ。
何度か触 れるだけの唇 で誘 うと、藤堂 さんはそのうち、我慢 できんようになったのか、それとも覚悟 を決めたんか、俺の背を抱き寄せて、舌で唇 を割ってきた。
気持ちいい。熱いキスやで。背筋がぞくぞく怖気 立つ。熱いような。怖くて凍 えそうな。俺はそれに震 えてきて、ああどうしようと思った。
抱かれたい。ほんの一年前に、抱いてほしいて毎日悶 え苦しんだ、憎い愛 しいオッサンや。滅茶苦茶 なるまで突いてほしい。
でも、そしたらアキちゃん、どう思うやろ。傷つくやろうな。傷つけようと思って、やってんねんから。それでいいはず。でもアキちゃん、傷つくんやろうなあ。
ふん。知るかやで。そんなこと。あいつもラジオと寝たんやで。俺を日干 しにしておきながら、すっきり爽 やかに熟睡 してまうぐらい、いっぱい抜いてもらったんやで。
むかつく。そうや、その意気や、俺。アキちゃんギャフンと言わせたれ。オッサン呑 んでやって、気持ちええわあ狂いそうって、身悶 えて叫 べ。
でも、なんて叫 ぶの。
俺はいつも、極 まってくると言うてるらしい。自分では無意識なんやけど。
アキちゃん好きや、アキちゃん好きやって。
でも今、俺の体を抱きしめて、肌 をまさぐる手の持ち主は、アキちゃんではない。藤堂 さんや。
藤堂 さんに、そんな睦言 を囁 いたことはない。俺はベッドでも、結局、悪魔 のままやったし。気持ちええわって悶 えても、甘く名前を呼んだりはせえへんかった。ただ愉悦 に浸 るだけ。気持ちええわあ、もっとやれ。もっと気合いを入れて、ご奉仕 しろって、命令するだけ。
果 たしてそこに、ほんまに愛はあったのか。
俺がこのオッサンを愛してたのは、エロくさい事してる時やない。ふとした機嫌 のいい時に、オッサンが話す、好きな歌の話。可愛 い可愛 いヨーコの話。その時の優 しい目。それを俺にもくれって、切 なくなるときの。
ビートルズは俺も好きって、歌歌ってやるときの俺を見る、このオッサンの嬉 しそうな目に見られ、抱いてくれって切 なく思う時の心の中に、一瞬過 ぎって消えただけ。
それが愛で、抱き合 うてる時には無かった。ひとかけらも。
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