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22-33 トオル
ほかにどこへ帰ればええんやろう。そこを捨てたら、また宿無 しや。
そう思い至 ると、俺はしょんぼりした。そして、しょんぼりしたまま、ごそごそ一人で服着てた。寂 しいけども、しょうがない。だって、誰もいないんやもん。
他人の家で、俺ひとり。まるでこそ泥 みたいやで。遥 ちゃんおらんしって、藤堂 さんをつまみ食い。なんか非常に、格好 悪い。
はあ、とため息をついた俺に、突然誰かが声かけた。俺はびっくりして、飛び上がりそうになった。
その声がしたほうを見ると、それはなんと、俺やった。
絵の俺や。長い髪して、角髪 とかいう、古代の日本の髪型をしてる。でも髪の色は淡 めの焦 げ茶で、俺の髪とおんなじ色やねん。
そいつが切 なそうな、甘い甘い顔をして、俺に向かって言うてた。絵の中には描いてない、有 り明 けの月に向かって。
アキちゃん好きや……アキちゃん好きや……ずっと俺を、離 さんといて……。
俺はその声を聞き、ほんまにびっくりした。
自分の声やけど、ちょっと他人のみたいに思える。そうやって囁 いている自分を、初めて客観的に見て、俺はひとりで真っ赤になっていた。
うっとり見ほれた顔をして、絵の蛇神 は囁 いていた。今すぐ悶 えたいのを、堪 えてるような、切 ない口調で。アキちゃん好きや、好き好き好き好き好きやねん。俺はお前が、めっちゃ好き。離 さんといてくれ。ずっと傍 にいて。好きでたまらん、アキちゃん。お前も俺が、好きやろか。
切 なそうにそう言うて、絵の中の蛇神 は、一度目を伏 せ、そしてまた、見つめずには居 れん愛 しい月を、じっと見つめる眼差 しをした。
それきり静止して、もう絵は絵のままや。それでも何か、余韻 のような囁 く愛が、絵から漂 い出てくるような、そんな気恥 ずかしさがあったんや。
水地 亨 。お前はなんて、アキちゃんが好きな蛇 やねん。そんなに好きか。恥 ずかしいくらいやで。俺はこんなのを、藤堂 さんに見られたんや。もしかしたら神楽 遥 にも、もしかしたら西森 さんにも。もしかしたら他の誰かにも。
恥 ずかしい!!
死ぬう、と思って、俺はじたじた地団駄 踏 んでいた。ほんまに暴 れた。だってマジ恥 ずかしいんやでこれは!
俺は、アキちゃん好きやって誰の前でも平気で言うけど、でもな、ほんまに切 ないみたいなのは、アキちゃんにしか言うたことがない。ふたりで固く抱き合 うて、好きや好きやって睦 み合う、そういう時にしか言うてへん。我慢 してんねん、俺なりに。
でも、我慢 できへんようになる。アキちゃんに抱いてもらって、甘く切なく喘 がされると、好きでたまらん。堪 えられへん。
アキちゃん好きやて、叫 びたい。分かってほしいねん。お前への愛がいっぱいで、胸が苦しい。息が詰 まって、俺は死にそう。
助けてアキちゃん。めちゃめちゃ強く抱いて。俺の気持ちを、受け止めてくれ。おんなじくらい、胸苦 しい愛でいっぱいになって、俺の目を見つめてくれよ。
そう思っています。それが俺の本音 です。水地 亨 。推定 一万歳ぐらいです。ほんますんません。二十一の若造 に、そこまでのマジ惚 れで。
でももう俺は、意地 張ったらあかん。藤堂 さんで懲 りたやろ。
変な意地 張ってもうて、つらい思いした。それをやめたら幸せやねん。アキちゃんとこで、幸せになれた。その初心 を忘れたらあかんねん。
初志貫徹 。
そう書かれた横断幕 が、俺の心に掛 かったね。
そこまで好きなら諦 めろ。もう、しゃあないわ。ほんまに毒 を食らわば皿 までや。だってお前は不幸やろ。アキちゃん捨てたり、捨てられたりしたら、きっと不幸やで。
それに比 べて、耐 えられへん不幸が、俺の中にあるやろか。
俺は絵の前で、顔を覆 って考えてみた。
ないと思う。
自分との対話 やね。それで何となく、結論がついて、俺はまた、恥 ずかしい自分の絵を見上げてみた。
絵の俺が、じっとこっちを見ているような気がしたわ。
気のせい?
でも、アキちゃんが描いた絵やねんから、この絵の中の俺も、もしかしたら生きてんのかもしれへん。美しい古代の川辺 の、蛇神 様として、絵の中だけにある、箱庭 のような位相 の上で。
その川辺 では、俺は美しい神様で、アキちゃんはそれを愛 しく見つめて描いてくれたんや。愛してる、愛してるって思いながらな。
それに絵の中の俺は、きっとこう答えていたんやろ。
アキちゃん好きや、ずっと離 さんといてくれって。
そんな恥 ずかしい愛だけがある川辺 で、きっとこの蛇神 は、幸せな神やろう。なんも悩 まず、アキちゃんを愛してる。
「帰ろうかな……アキちゃんとこに」
俺は試 しに、絵に話しかけてみてやった。
そしたらな、絵が答えた。やべえ。この絵はほんまに傑作 なんや。
「アキちゃん最高」
にっこり笑って、アホみたいなラブラブの顔をした絵の俺が、そう教えてくれた。
そうやなあって苦笑 して、俺は頷 いた。
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