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22-34 トオル

「アキちゃんに会いたい。早う、帰らせて。アキちゃんのとこに、帰らせてくれ……」  (せつ)なく俺に(たの)んでる絵の神様が、俺はほんまに気の毒になってきて、よしよしと(なぐさ)める手で、ざらつく油絵の表面をした画布(キャンバス)を、()でてやった。 「大丈夫やで。すぐ帰れるしな。もうちょっと、我慢(がまん)して待っとき」  俺が(やさ)しくそう教えてやると、絵は(うなず)いた。(せつ)ないし、つらいけど、でも待ってる。楽しみにしてる。またアキちゃんが、うっとり見つめてくれるのを、イイ子で待ってるわって。  可愛(かわい)いよなあ。俺。  忘れていたけど、これがアキちゃんが俺に初めて()れた(ころ)の俺や。  これが初心(しょしん)。俺はきっと、こんなメロメロの顔を、また思い出さなあかん。そしたらきっと、アキちゃんも、俺をうっとり見つめてくれるやろ。初めて()うて抱き()うて、お前に()れてもええやろかと、()ずかしそうに()いた時みたいに。  良かったわあ、あの時のアキちゃん。ほんまに最高。今もほんま言うたら、アキちゃんは俺にとって、最高にイケてるツレやねん。実はそうやで。素直(すなお)にそうは思えへんだけでな。  でもな、これから戻って、またアキちゃんに()うたら、ちゃんと言おう。ちゃんと言いたい。俺はお前が好きやねん。好きで好きでたまらへん。お前も俺が、好きやろか、って。  それにアキちゃんが、俺も好きやと答えてくれたら、俺はきっと全部、水に流せる。流すしかない。だってずっと永遠に、アキちゃんと生きていきたいんやもん。  がんばれ俺。正念場(しょうねんば)やからな。がんばろう!  ようし、帰るでえと気合(きあ)いを入れて、歩き始める俺を、絵の俺がにこにこ(はげ)ますように、見守ってくれていた。ええ(やつ)やお前は。いい絵やわ、俺のツレが描いた俺の絵は。  そして、そんな覚悟(かくご)で部屋に戻って、俺はアキちゃんが好きそうな服に着替えた。アロハええけど。ちょっとお着替え。正念場(しょうねんば)やしな!  それで待ちに待ったけど、アキちゃんなかなか帰って()えへんかったんや。何やってんのやろ、いったい。まさかほんまに、犬とラブラブデートか。  ありえへんそれは。俺がせっかく、お前を愛してると思って、(せつ)なく待ってやってんのにやで、また()り出しに戻るんか。  どうしようって、俺の気持ちが()えるような昼近くになってから、アキちゃんはやっと戻った。そして、俺が部屋にいたのに、ちょっとびっくりしたようやった。  でもアキちゃんは、ほっとしたように俺を見て、気まずそうに微笑(ほほえ)んだ。俺はそれになるべく、(やさ)しいような()みで答えた。だって怖い顔してもしゃあない。 「(めし)は食うたか、(とおる)。お前が好きやて言うてたパンの店で、いろいろ()うてきたで」  アキちゃん色々買いすぎやった。ものすご買い物していた。元々、ストレスたまると買い物する(くせ)ある(やつ)やねんけどな。バイ・ナウ病やんか。それがまた、発病(はつびょう)してた。 「テレビ買ってもうた」  テレビ買うてもうてたよ……。  ほんまにアキちゃんは、小さい卓上(たくじょう)サイズの液晶テレビやけど、ポータブルのテレビを買うてきてた。そして何でか、ポータブルのDVDプレイヤーも買うてきてて、それにご丁寧(ていねい)にも『ダウンタウンのごっつええ感じ』のDVDもついてた。ゴレンジャイ出てくるやつや。軽く五回は笑い死ねる。ほんまヤバいでダウンタウン。神! 「ほんま、アホほど買うたで。金足りんようになって、二回も銀行行ったわ」  アキちゃんはそれが、ものすご気持ちええように言うてた。いっしょに荷物持ってきてた犬は、ちょっと(あき)れたという顔をして、そのアキちゃんの気分(きぶん)爽快(そうかい)(がお)を、こっそり見上げていた。  何を見たんや、瑞希(みずき)ちゃん。お前も見たんやな。アキちゃんの、マイケル・ジャクソン()みの、「我慢(がまん)できへん店ごとバイ・ナウ」みたいなアレを。  アキちゃんてほんま、真性(しんせい)のボンボンやで。金遣(かねづか)いが(あら)いというか、金を使っているという感覚がないんやと思う。子供のころからいくらでもお小遣(こづか)いは(もら)えたらしいし、近所の店とか、家が代々贔屓(ひいき)にしている四条(しじょう)三条(さんじょう)祇園(ぎおん)あたりの店なんて、アキちゃんの顔をよく知ってるらしく、ツケで買わせる。その場では、金はとらへん。  おかんが愛用(あいよう)している四条(しじょう)河原町(かわらまち)高島屋(たかしまや)デパートとかな、おかん本人はもっぱら外商(がいしょう)利用で、店には出かけていかへんけども、秋津(あきつ)暁彦(あきひこ)様のお顔は職員さんたち、よう知ってはる。あいつからは金とるなというのが、周知徹底(しゅうちてってい)されている。  せやからアキちゃん、万引(まんび)きみたいなもんや。いちおうレジには行くで、ツケてもらわなあかんからな。でも金払ってんの見たことない。なんでも持っていきほうだい。あの店、アキちゃんのクロゼットみたいなもんやから。  他の行きつけの服屋とか、本屋とかもそうや。ちょい前に一緒に行った三条(さんじょう)の、町屋(まちや)に入ってるポール・スミスでは、突然バイ・ナウ病の深刻(しんこく)発作(ほっさ)が起きて、ほんまに店ごと()うてたで。  そのとき店に出てた服を、アキちゃんは全部()うたんや。店員さん、もう、にっこにこ。にっこにこやで。まだ棚卸(たなおろ)ししてへんという、入ったばかりの荷物まで、わざわざ倉庫(そうこ)荷解(にと)きして、アキちゃんに見せてやっていた。  もちろんそれを持って帰るわけやない。配送(はいそう)してもらうんやけどな。怖ろしい数の段ボール箱が家に届いた。アキちゃん、ええかげんにせえ。

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