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22-37 トオル

 瑞希(みずき)ちゃん、そんな家のこと、内心では、アホかと思うてたんやろ。そんなオッサンやおかんの、アホみたいなドリームを押しつけられて、犬はギャオーンと思うてた。  だってこいつ、下品やでえ。言うたらなんやけど、どっちか言うたら水煙(すいえん)よりは俺に近い。ほんまに血統書(けっとうしょ)付きなんか。  初めて観たんか知らんけど、ゴレンジャイ観てアイス吹いてた。  すごいやろ。面白いやろ、ダウンタウン。  アキちゃんはいつも通り、軽く引いていたけどな、俺と瑞希(みずき)は笑っていた。おもろいねんて。わからへんのかなあ、京都のボンボンには。分かると思うんやけどなあ。大阪のお笑いは世界一なんやで。  (こら)えきれへんのか、顔を(おお)ってひくひく笑い死にしている犬を、アキちゃんは見るのを(あきら)めたテレビの代わりに、時々ちらちら(なが)めてた。どうせ可愛(かわい)いなあとか思うてんのやろ。まあええわ。しゃあない男や。時には俺も見ろ。 「アキちゃん、コーヒーちょうだい、コーヒーちょうだい」  アキちゃんが持てあましているコーヒー味のアイスを、俺は横からスプーンで(うば)った。アキちゃんはそれで俺に気づいて、またこっちを見てくれた。 「お前、紅茶(こうちゃ)が好きやったんか?」 「そうやで。知らんかったやろ」  苦笑(にがわら)いして、俺はアキちゃんのアイスを遠慮(えんりょ)なく食った。それにカップを差し出してくれて、アキちゃんはちょっと、ショックみたいな顔やった。  まだ俺に、知らんところがあるというのが、アキちゃんにはつらいんやと思う。なんか、(まぶ)しそうな目をされた。アキちゃんが俺を、(せつ)なく(いと)しく見るときの、そういう顔やった。 「なんで知らんのやろ、俺」 「(かく)しててん。トミ子とおんなじやんか。アキちゃんコーヒー(とう)やし、なんとなく合わせてただけ」  コーヒーも別に嫌いやないもん。ひとりぶんも、ふたりぶんも、()れるんやったら同じ手間(てま)やないか。どうせやったら同じもん飲んで、美味(うま)いなあって言いたいもん。 「そんなん……合わせる必要なんかないやん。お前の好きにすりゃ良かったんやで」 「そうやなあ。そうなんやけど……初めは俺も、いろいろ考えちゃってたのよ」 「今はもう、初めやないやんか」  じっと見つめる悲しい目をして、アキちゃんはそう()いた。  俺はそれがやっぱり不思議(ふしぎ)で、こっちもじっと、アキちゃんを(なが)めたわ。 「そうやな……もう、初めやないわ」  うんうんて、それに熱っぽく(うなず)いて、アキちゃんは不意(ふい)に、俺の肩をぎゅうっと抱き寄せてきた。  それにびっくりしたように、勝呂(すぐろ)瑞希(みずき)が俺を見た。なんか、可哀想(かわいそう)みたいな、悲しい目やった。  俺はその目としばし、見つめ合っていた。ざまあみろとは思うてへんかった。そう思うにしては、あんまり悲しいような目やったもんで。  (こま)ったように、つらく苦しい顔をして、目を(そむ)けていく犬には目もくれず、アキちゃんはますますぎゅうっと、両腕で俺を抱きしめてきた。  抱き()うてええもんか。ちょっと気まずうないか、アキちゃん。  それで俺は、やんわりとしか、抱き返してやらんかったかもしれへん。  そんなこと、せえへんかったらよかった。だって俺は大体いつも、誰がおろうが遠慮(えんりょ)なしやで。アキちゃん好きやで(から)みつく、そんな(へび)やったんやから。 「好きや、(とおる)。お前のこと、もっと知りたい。何もかも、全部知りたかった。俺のこと好きか。それとももう、前より嫌いか……?」  アキちゃんは、どうしたんやろか。また何か、思い()めるような事があんのか。  今度はそれが可哀想(かわいそう)になってきて、俺は仕方(しかた)なく、アキちゃんの背をよしよししてやった。 「(きら)いやないよ。前とおんなじくらい好きや」  浮気(うわき)したし、気にしてんのやろ。可愛(かわい)(やつ)や。反省(はんせい)したんやったら、もう(ゆる)すしな。もうええよアキちゃん、変に思い()めんといてくれ。  そう思って、笑って俺はアキちゃんの顔を、(のぞ)()もうとした。  アキちゃんもそんな俺の顔を、じいっと見つめてた。真面目(まじめ)な、じっと見つめる、食い入るような(こわ)い目で。 「(とおる)……お前は」  アキちゃんがどんな甘い台詞(せりふ)()くのかと、俺はうっとり期待して見つめてたんや。  せやのにアキちゃん、死にそうな顔をして、真っ青なってた。 「どこで風呂(ふろ)入ってきたんや……?」  それを()かれて、半笑(はんわら)いのまま、俺は静止(せいし)していた。  え。なんでそんなこと()くの。 「(ちが)石鹸(せっけん)の、(にお)いがする」  (ちが)うっけ?  そうかもしれへん。  そういえば、藤堂(とうどう)さんちの風呂(ふろ)、なんかええ(にお)いのする石鹸(せっけん)使(つこ)うてた。  サンタ・マリア・ノヴェッラのアーモンド・ソープ。箱があったしな、ええ(にお)いやなあ。うちもこれにしようかなあって、(なが)めてみてたから、(おぼ)えてたんや。  ええ(にお)いやろ、アキちゃん。これにしようかなあ。  確か京都にも店あるで。イタリアの、ずっと昔からある薬屋が作ってる、古い処方(しょほう)石鹸(せっけん)や。たぶん(よう)ちゃんの趣味なんやないか。それとも藤堂(とうどう)さんかな。  アキちゃん、お前はどう思う。これが好きか。  でも、今はそんなこと、()いてもしゃあないよなあ。

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