379 / 928

22-38 トオル

 俺は痛いところを突かれてもうて、苦しい顔になっていた。 「そうかな……気のせいとちがうか?」 「俺に(うそ)はつかんといてくれ」  アキちゃんは俺の(かた)(つか)んだまま、必死みたいにそう言うた。 「ほんまのこと言うてくれ、(とおる)。俺もお前には(うそ)はつかへん。お前もそうしてくれ。お前のほんまの気持ちが知りたいねん」  俺はそう言うアキちゃんの、真面目(まじめ)初心(うぶ)な目を見つめ、そしてその背後(はいご)で、俺をじっと見ている勝呂(すぐろ)瑞希(みずき)の、獲物(えもの)(ねら)猟犬(りょうけん)みたいな光る目を見た。  ああ、そうやなあ、瑞希(みずき)ちゃん。お前にはチャンス到来(とうらい)や。こんな不実(ふじつ)(へび)やのうて、俺のほうにしといたらって、アキちゃん口説(くど)いてみたらどうやろ。案外こいつも、お前のほうがええわと思うかもしれへん。今やったらな。 「ほんまの気持ちや。アキちゃん好きやが、俺のほんまの気持ちやで」 「どこで風呂(ふろ)入ってきたんや。お前は一体、誰と寝たんや?」  答えを知ってるみたいな目をして、アキちゃんはそれを言えと、俺の(かた)を小さく()さぶっていた。  言わなあかんの。言いたくなくなってきた。  でも、アキちゃんは俺に真実を語らせようとする強い力を発して、俺の体を(つか)んでいた。結局そうやって、アキちゃんは神やら鬼やらを支配する(げき)や。俺のこと、もう自由にするって言うてたけど、結局これなんやから。  自由になんかなられへん。俺はお前の(とりこ)やねんから。 「藤堂(とうどう)さんや……(よう)ちゃん実家に帰ってて、今夜日干(ひぼ)しやいう話やったから。俺が食うといたろと思て……」  悲しい自嘲(じちょう)()みを浮かべて、俺はアキちゃんから目を()らしていた。  ああ。えらいこっちゃなあ。アキちゃんがまたキレて、藤堂(とうどう)さんをぶった()ろうとしたら。  俺もそうやって、愛されてるって思いたいんやろか。  でも、今は水煙(すいえん)おらへんし、アキちゃん丸腰(まるごし)やしな。それにお前は、俺にキレていい筋合(すじあ)いやないやろ。(ゆる)してやるけどな、もう、別にええけど、お前かて昨夜(ゆうべ)はラジオと寝たんやないか。お相子(あいこ)やんか。これで引き分け(ドロー)で、水に流そうよ。  そんな言い(わけ)を、俺はぐるぐる考えていたかもしれへん。  アキちゃんは苦しいんか、ちょっと(ふる)えてるみたいやった。俺の(かた)(つか)んでる手が、(かす)かに(ふる)えているのを、俺は感じた。 「なんや……そうか。藤堂(とうどう)さんか……」  (かす)れた小声で、アキちゃんはそれが、大したことないみたいな言い方で言うた。  その作り声みたいなのが、あんまり意外で、俺はアキちゃんの顔をまた見つめた。  アキちゃんは、ものすご暗い顔をしていた。でも、怒ってへん。ただ、悲しくてつらいという顔をして、苦痛を(こら)えてた。 「そうなんやろなあっていう、予感(よかん)はしたよ。お前は結局ずっとあの人と、俺のことを、(くら)べていたんやろ。俺はヘタレな若造(わかぞう)で、あっちは格好(かっこう)いい大人やもんなあ」  自分を卑下(ひげ)した話をしてるアキちゃんは、別に卑屈(ひくつ)ではなかった。ほんまにそう思うてるらしい。自分より、藤堂さんのほうがイケてるって。格好(かっこう)ええわと思うらしい。俺は負けてるみたいな事を。  俺は眉間(みけん)(しわ)寄せて、信じられへんと思ってアキちゃんを見た。  あんな負けず嫌いで、キレて俺をぶっ殺すほど嫉妬(しっと)深かったこいつが、なんでそんな事を言うんやろ。  そんなに藤堂(とうどう)さん好きか。なんでなんや気色(きしょく)悪い。 「離婚(りこん)しようか、(とおる)。あの人に、幸せにしてもらえ。俺はもうすぐ死ぬから」 「なに言うてんのアキちゃん。寝ぼけてんのか? 熱あんのか?」  本気で心配なってきて、俺はアキちゃんの熱を(はか)ろうとした。手をアキちゃんのおでこに当てて、その、ひやりと汗かいた、それでも平熱の肌に触れると、アキちゃんは苦笑(くしょう)した。 「熱ない。目も()めてる。()ってもいない」 「浮気(うわき)したくらいで、死ぬことないやんか。俺かて生きてんのやし。確かに、お前に浮気(うわき)されて、死ぬかと思たけど、水煙(すいえん)の言うとおりや。悋気(りんき)で死ぬやつおらへんわ。苦しいだけや。俺も苦しんだんやで。お前も苦しめ。それで対等(たいとう)や」  暴論(ぼうろん)やろとアキちゃんが言いそうなことを、俺は本気で言うてた。  それくらいしてやらへんと、(くや)しいてたまらへん。ただ、それだけやねん。  アキちゃんより藤堂(とうどう)さんが好きやていう話やないねんで。 「()かったか、(とおる)」  自虐(じぎゃく)としか思えんことを、アキちゃんは(なさ)けなそうに()いてきた。 「ああ、()かったわ! めちゃめちゃ(あえ)いだ。でもな、言い訳するわけやないけど……アキちゃんのほうが()えよ。それはほんまやで。俺が一番好きなのは、お前なんやで?」  俺が真面目(まじめ)に教えてやると、アキちゃんはうんうんと、(こま)ったような(あわ)(せつ)ない笑顔で(うなず)いていた。 「そうか。そんなら、良かったわ。そう思わせといてくれ。お前にとって俺が、世界一の男やったって。そうやないなら(くや)しいし……安心して死なれへん」 「なんでそんな話すんの! なんで? 死ぬとかそんな、縁起(えんぎ)でもないこと言うたらあかんのやないんか?」  おかんに、めって言われるで。不吉(ふきつ)なこと言うもんやおへんえ。

ともだちにシェアしよう!