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22-39 トオル

 天地(あめつち)が聞いてはる。いつも楽しいことや、美しいことだけ口にして、言祝(ことほ)ぎなはれって、やんわり(きび)しく説教(せっきょう)されんで。 「もう決めてん。お前には済まんけど、俺はもうすぐ死ぬことになる。誰かを身代わりに、生け(にえ)にするのは(いや)やねん。俺が死ぬ。永遠に、一緒に()るって約束しておきながら、我が(まま)やけども、そうさせてくれ」  アキちゃんは俺の(かた)(つか)んで、頭を下げていた。項垂(うなだ)れてるだけやない、ほんまに頭下げてる。  そんなん(たの)み込まれても、あかんで、アキちゃん。絶対あかん。 「何を言うねんお前はアホか! そんなん、あかんに決まってるやろ。止めてほしくて言うてんのか? そうなんやったら何遍(なんべん)でも、あかんて言うてやるで?」  そうなんやろって、俺が必死でかき口説(くど)くと、アキちゃんはそうではないと言うふうに、小さく首を横に振っていた。 「もう決めたんや、(とおる)。分かってくれ」 「分かるわけあるか! それこそ我が(まま)や。ええかげんにせえ、アキちゃん!」  俺は怒鳴(どな)ったけども、アキちゃんはそれに、ただ(だま)って()えてるだけやった。  返事する気も、考え直す気もないみたいやった。頑固一徹(がんこいってつ)、思いこんだら梃子(てこ)でも動かん。そういう感じ。  俺は本気で(あせ)って、あわあわしながら視線を泳がせていた。水煙(すいえん)を探してたんやと思うわ。無意識に。お前もなんか言うてやれって。  でも、そういう肝心(かんじん)なときに、あいつ()らんのやもんなあ。アホか水煙(すいえん)。役立たず!  しゃあないから俺は、瑞希(みずき)ちゃんを見た。他に誰もおらんのやもん。  お前もアキちゃんが好きすぎるチームの一員(いちいん)なんやったら、加勢(かせい)しろ。 「なんとか言え、瑞希(みずき)ちゃん。お前もアキちゃん止めろ!」  俺がそう(たの)むと、犬は暗い思い詰めた顔に、うっすら(あわ)い笑みを見せた。 「なんで止めなあかんねん」  ぽつりと答えられたそのお返事に、俺はぽかんとした。 「は? 何言うてんのお前。アホなんか?」 「アホやない。俺はもともと地獄(じごく)の犬や……」  そう話し、瑞希(みずき)ちゃんはアイス食うてた。スプーンくわえて、()らした(のど)には、黒革(くろかわ)首輪(くびわ)が巻かれていた。  アキちゃんが()うてやったんやろう。犬が強請(ねだ)って、お前は俺のもんやと、首に巻いてやったんや。  変やでえ。シルクのシャツの王子様ルックにな、首輪してんのやもん。倒錯感(とうさくかん)たっぷりや。 「堕天使(だてんし)なんやもん、俺は。また地獄(じごく)()とされた。でも今度は、囚人(しゅうじん)やのうて獄吏(ごくり)のほうやで。冥界(めいかい)のスタッフや。死ねばつらいやろ……先輩も。痛いかもしれへんしな。でもそれは、一瞬ですから。冥界(めいかい)は、つらいところやけど、でも、そこでやったら俺も、やっと(ひと)()めできる」  アイス食うてる舌が、なんか長いような気がした。  可愛(かわい)い顔してんのに、こいつは悪魔(サタン)や。堕天使(だてんし)なんやった。暗く邪悪(じゃあく)地獄(じごく)位相(いそう)に、片足突っ込んで立っている。  いったいそこでは、どんな姿(すがた)をしてんのやろ。  きっとアキちゃんが見たらドン引きするような、えぐい姿(すがた)(ちが)いないんやで。 「絵、描けんのか、そこでは」  俺は念のため()いた。実は案外、ええとこか、冥界(めいかい)は。 「いいや。描かれへん」 「それは地獄(じごく)やろ、アキちゃんにとって」 「地獄(じごく)やで、誰にとっても」  けろっとして、犬は答えた。アキちゃんはそれを、(だま)って聞いていた。 「なんでアキちゃんが地獄(じごく)()ちなあかんのや。何も悪さしてへんのやで?」 「そうやろか。先輩は鬼やで。それでも、天国行けるやろけど……」  カップからアイスをひと(さじ)すくって、瑞希(みずき)ちゃんはそれを()め、また言葉を(つな)いだ。 「でも、天国()かれたら、俺がついていかれへんやん」  俺はほんまに唖然(あぜん)とした。何か、腹の底が(ふる)えた。  やめろ。瑞希(みずき)ちゃん。お前はほんまに、悪魔になってる。  アキちゃんがどうなってもええんか。可哀想(かわいそう)やって思わへんのか。自分がアキちゃんと一緒に()れれば、それでええわって事なんか。 「あかんで……なにアホなこと言うてんのや! お前、アキちゃんの絵が好きやったんやろ! そんな男を絵も描かれへんような所に引きずり込んで、どうしようっていうんや」 「もう約束したもん。この世では無理やったけど、結婚の契約(けいやく)は死が二人を分かつまでやろ。死んだらフリーなんやから、次は俺の(ばん)や」  犬は本気で言うてるみたいやった。そういうふうに、思い(さだ)めた目をしてた。  俺と向き合うアキちゃんを、見ないようにしている横顔が、暗く(やつ)れた獄門(ごくもん)帰りで、いかにも不幸そうやった。 「本気で言うてんのか……」  それでも俺は一応()いた。お前さっきは、笑ってたやんか。笑ってる時、可愛(かわい)かったで。  悪魔(サタン)でええわって、(あきら)めてまうんか。そんなんしたら、ほんまに悪魔になってまうんやで。 「本気やで。だってお前がいる限り、先輩は俺のもんにはならへん。お前を()ったら(ゆる)さへんて、先輩言うてはるし、俺はお前には何もせえへんて約束してる。それならもう、先輩のほうに死んでもらうしかない。(なまず)が取るのは、命だけやろ。(たましい)のほうは、俺がもらう。ずっと俺が、抱いといてやる。そしたら地獄(じごく)でも、いつか幸せになれるかもしれへん。先輩がお前のことを忘れて、俺を好きになるまで、何万年でも待つわ」  そんな日は()んわ。何万年待っても無駄(むだ)やで。

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