391 / 928

23-8 アキヒコ

「まあ、でもさあ……お(かげ)でけっこう楽しいよ。普通やったら忘れてまうやん。こんだけ毎日やりまくってたらさ」  しみじみ(うれ)しいみたいに、毎日やりまくっている月間スケジュールのページをぱらぱらめくり、(とおる)はうっとり回想(かいそう)シーン入ってる顔つきやった。 「でもこうやって書いてるお(かげ)で、この時、アキちゃんイキそうなって、こう言うてたみたいなのも、ちゃんと(おぼ)えてられるやん? 俺の宝物やねん」  いかにも大事そうに、(とおる)は手帳を見てた。幸せそうに見えた。 「そんなん(おぼ)えとかんでくれ……」  泣いてええんか笑えばええんか。他人事やったらええのに。それやったら笑うのに。つらい、つらい。そんな記録が残されているなんて。  やっぱり我慢(がまん)しといて正解やったんや。こいつにノーガードでめちゃめちゃ惚気(のろけ)たりしてたら今ごろ、それが全部ここに書いてあったんや。そんなん見せられたら舌()んで死ぬよ、俺は。 「偉業(いぎょう)やで? だって、夏に俺が死にかけとった三日間と、犬が死んでもうた日以外、アキちゃん皆勤賞(かいきんしょう)やで? 一日として、やってへん日はない。そんだけ俺らが愛し合ってるということやんか?」  ものは言い(よう)。ただエロなだけやんか。  そんなん()ずかして誰にも自慢(じまん)できひんのやから。記録なんか残す必要ないから。  (とおる)は、はぁと切なそうにため息をつき、また何か書く仕草(しぐさ)をして、万年筆を(にぎ)り直した。そして、俺の見ている目の前で、八月二十二日のところを、ぐしゃぐしゃと(あら)っぽく()りつぶしていった。  黒いインクの()みのある、その一日分の枡目(ますめ)を、(とおる)は俺に突きつけて見せた。 「この日はしてへん。ワンワン感謝(かんしゃ)デーやったから。アキちゃん……」  ちょっと言い(よど)気配(けはい)を見せてから、(とおる)はあんまり元気のない声になり、しょんぼりと俺に言うた。 「こんな日、この先はもう、あんまり無いようにしてくれへんか。気がついたらページが真っ黒なんて、俺は(いや)やねん。我慢(がまん)せなあかんわと思うけど、でも、想像したら悲しいねん。(たの)むしな、なるべく俺をそんなめに()わせんといてくれ」  ひらひら手帳を()って、インクを(かわ)かしながらブツブツ言うて、(とおる)は手帳と万年筆を、また(かばん)に放り込んでいた。  そしてちょっと、(こま)ったなあという顔で笑って、(とおる)は気を取り直したように言うた。 「さあ……やろか? アキちゃん、すっかり()えてもうたな。俺もやけど」  苦笑して、(とおる)はやんわり腕をのばし、俺の首に抱きついてきた。ほぼ条件反射でその体を抱き返しつつ、俺は何となく呆然(ぼうぜん)としていた。そんな俺の耳に(くちびる)を押し当てて、(とおる)は熱い息とともに(ささや)いた。 「()(まま)なんか、アキちゃん。それは俺の、()(まま)やと思うてんのか? 俺にも、ほんまのこと言うてくれ。ほんまは、たまには俺やのうて、他のと寝たいなあと思うてんのか?」  どんな顔して言うてんのか分からへん、(とおる)の声が、ちょっと泣きそうみたいなのを耳に感じて、俺はめちゃめちゃつらい。ものすごく胸痛い。(ゆる)さへんて半殺しにされるよりも、これのほうがずっと痛くて怖い。  どうしてええかわからへん。それで仕方なく、俺は一生懸命(いっしょうけんめい)(とおる)を抱いてた。ぎゅうっと強く抱き返し、白いクッションに()もれるベッドに押しつけて、必死で(とおる)にキスをしていた。  こういう時に、どんなことを言えば、気が()いてんのか。俺にはさっぱり分からへん。なんで分からへんのやろ。何かこいつが、うっとり(うれ)しくなれるようなこと、言うてやれるような男やったらよかったのに。  (おぼろ)は、おとんはもっと口が上手(うま)かったような事を言うてた。なんでそれは俺には遺伝(いでん)しいひんかったんやろ。他はみんな、ほんまにクローン人間みたいに、そっくり同じでイヤんなるのに、一番、肝心要(かんじんかなめ)の、ええとこは似てへん。  恋愛がらみの甲斐性(かいしょう)であるとか、()るか()るかの正念場(しょうねんば)での、男らしさとか。  どうせやったら、そこも似といてくれてたら、良かったのに。そしたらきっと、(とおる)にも、もっとええこと言うてやれるんやろけどな。 「そんなん……思うてへん。俺はお前と毎日やりたい。お前とだけでええねん……」  言うてるそばから(うそ)みたい。そんなん言うてる舌の根も(かわ)かんうちに、あれとかこれとかにフラフラ来てたらどうしよう。  今夜もしまた瑞希(みずき)が舞い戻ってきて、先輩抱いてくれと俺に(せま)ったら、俺は一体どうするつもりなんやろ。  俺は時々、ほんまにつらい。ものすごい力を持った神の手で、心を三つに引きちぎられてるような気がする。俺はひとりしか()らへんのに、神はなんでか三人もいる。  (とおる)水煙(すいえん)瑞希(みずき)。  ()いて言うなら(おぼろ)もか。  あいつが滅茶苦茶(めちゃくちゃ)引っ張らへんといてくれるから、ほんまに助かる。もしも四人がかりで引き()かれたら、俺はきっと今度こそ生きてられへん。気が(とが)めてもうて、自分の不実(ふじつ)(くる)いそうになる。  ほんまのことを言うてくれと、(とおる)強請(ねだ)られても、どれが自分のほんまの心か、もう自信ない。自分がこれが本当と、信じてることが、ほんまにほんまか、胸を張って保証できひんのやもん。

ともだちにシェアしよう!