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23-8 アキヒコ

「まあ、でもさあ……お陰(かげ)でけっこう楽しいよ。普通やったら忘れてまうやん。こんだけ毎日やりまくってたらさ」  しみじみ嬉(うれ)しいみたいに、毎日やりまくっている月間スケジュールのページをぱらぱらめくり、亨(とおる)はうっとり回想(かいそう)シーン入ってる顔つきやった。 「でもこうやって書いてるお陰(かげ)で、この時、アキちゃんイキそうなって、こう言うてたみたいなのも、ちゃんと憶(おぼ)えてられるやん? 俺の宝物やねん」  いかにも大事そうに、亨(とおる)は手帳を見てた。幸せそうに見えた。 「そんなん憶(おぼ)えとかんでくれ……」  泣いてええんか笑えばええんか。他人事やったらええのに。それやったら笑うのに。つらい、つらい。そんな記録が残されているなんて。  やっぱり我慢(がまん)しといて正解やったんや。こいつにノーガードでめちゃめちゃ惚気(のろけ)たりしてたら今ごろ、それが全部ここに書いてあったんや。そんなん見せられたら舌噛(か)んで死ぬよ、俺は。 「偉業(いぎょう)やで? だって、夏に俺が死にかけとった三日間と、犬が死んでもうた日以外、アキちゃん皆勤賞(かいきんしょう)やで? 一日として、やってへん日はない。そんだけ俺らが愛し合ってるということやんか?」  ものは言い様(よう)。ただエロなだけやんか。  そんなん恥(は)ずかして誰にも自慢(じまん)できひんのやから。記録なんか残す必要ないから。  亨(とおる)は、はぁと切なそうにため息をつき、また何か書く仕草(しぐさ)をして、万年筆を握(にぎ)り直した。そして、俺の見ている目の前で、八月二十二日のところを、ぐしゃぐしゃと荒(あら)っぽく塗(ぬ)りつぶしていった。  黒いインクの染(し)みのある、その一日分の枡目(ますめ)を、亨(とおる)は俺に突きつけて見せた。 「この日はしてへん。ワンワン感謝(かんしゃ)デーやったから。アキちゃん……」  ちょっと言い淀(よど)む気配(けはい)を見せてから、亨(とおる)はあんまり元気のない声になり、しょんぼりと俺に言うた。 「こんな日、この先はもう、あんまり無いようにしてくれへんか。気がついたらページが真っ黒なんて、俺は嫌(いや)やねん。我慢(がまん)せなあかんわと思うけど、でも、想像したら悲しいねん。頼(たの)むしな、なるべく俺をそんなめに遭(あ)わせんといてくれ」  ひらひら手帳を振(ふ)って、インクを乾(かわ)かしながらブツブツ言うて、亨(とおる)は手帳と万年筆を、また鞄(かばん)に放り込んでいた。  そしてちょっと、困(こま)ったなあという顔で笑って、亨(とおる)は気を取り直したように言うた。 「さあ……やろか? アキちゃん、すっかり萎(な)えてもうたな。俺もやけど」  苦笑して、亨(とおる)はやんわり腕をのばし、俺の首に抱きついてきた。ほぼ条件反射でその体を抱き返しつつ、俺は何となく呆然(ぼうぜん)としていた。そんな俺の耳に唇(くちびる)を押し当てて、亨(とおる)は熱い息とともに囁(ささや)いた。 「我(わ)が儘(まま)なんか、アキちゃん。それは俺の、我(わ)が儘(まま)やと思うてんのか? 俺にも、ほんまのこと言うてくれ。ほんまは、たまには俺やのうて、他のと寝たいなあと思うてんのか?」  どんな顔して言うてんのか分からへん、亨(とおる)の声が、ちょっと泣きそうみたいなのを耳に感じて、俺はめちゃめちゃつらい。ものすごく胸痛い。許(ゆる)さへんて半殺しにされるよりも、これのほうがずっと痛くて怖い。  どうしてええかわからへん。それで仕方なく、俺は一生懸命(いっしょうけんめい)、亨(とおる)を抱いてた。ぎゅうっと強く抱き返し、白いクッションに埋(う)もれるベッドに押しつけて、必死で亨(とおる)にキスをしていた。  こういう時に、どんなことを言えば、気が利(き)いてんのか。俺にはさっぱり分からへん。なんで分からへんのやろ。何かこいつが、うっとり嬉(うれ)しくなれるようなこと、言うてやれるような男やったらよかったのに。  朧(おぼろ)は、おとんはもっと口が上手(うま)かったような事を言うてた。なんでそれは俺には遺伝(いでん)しいひんかったんやろ。他はみんな、ほんまにクローン人間みたいに、そっくり同じでイヤんなるのに、一番、肝心要(かんじんかなめ)の、ええとこは似てへん。  恋愛がらみの甲斐性(かいしょう)であるとか、伸(の)るか反(そ)るかの正念場(しょうねんば)での、男らしさとか。  どうせやったら、そこも似といてくれてたら、良かったのに。そしたらきっと、亨(とおる)にも、もっとええこと言うてやれるんやろけどな。 「そんなん……思うてへん。俺はお前と毎日やりたい。お前とだけでええねん……」  言うてるそばから嘘(うそ)みたい。そんなん言うてる舌の根も乾(かわ)かんうちに、あれとかこれとかにフラフラ来てたらどうしよう。  今夜もしまた瑞希(みずき)が舞い戻ってきて、先輩抱いてくれと俺に迫(せま)ったら、俺は一体どうするつもりなんやろ。  俺は時々、ほんまにつらい。ものすごい力を持った神の手で、心を三つに引きちぎられてるような気がする。俺はひとりしか居(お)らへんのに、神はなんでか三人もいる。  亨(とおる)と水煙(すいえん)と瑞希(みずき)。  強(し)いて言うなら朧(おぼろ)もか。  あいつが滅茶苦茶(めちゃくちゃ)引っ張らへんといてくれるから、ほんまに助かる。もしも四人がかりで引き裂(さ)かれたら、俺はきっと今度こそ生きてられへん。気が咎(とが)めてもうて、自分の不実(ふじつ)に狂(くる)いそうになる。  ほんまのことを言うてくれと、亨(とおる)に強請(ねだ)られても、どれが自分のほんまの心か、もう自信ない。自分がこれが本当と、信じてることが、ほんまにほんまか、胸を張って保証できひんのやもん。

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