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23-13 アキヒコ
いつか。それも、そう遠くない先に、俺には、今抱きしめているこの体を、握 った亨 の手を、離して別れなあかん瞬間が来るんやないのか。
死によって分 かたれ、冥界 の神が支配する位相 へ、俺の魂 を連れ去る容赦 のない手が、俺と亨 を引き離す。
その時に、嫌 や、離れたくないと言うて、俺は無様 に抵抗 すんのか。それを思うと、情けない。きっとそうなるような気がして。
「アキちゃん……悦 かったか?」
伏 し目に開いた目のまま、亨 が俺の胸に頬 を擦 り寄 せて、ひっそり訊 いてきた。
亨 は日頃 、そんなこと訊 いたことがない。俺も自分からは言わへんけども、そんなの、言うまでもなく分かってるはずやった。
「なんでそんなこと訊 くんや」
「知りたいねん。アキちゃんにとって俺は、今でも美しい神か。それとも、今やったらもう、惚 れへんか?」
本気で心配してるらしい顔を見て、俺はぽかんと聞いていた。
なんでそんなこと言うんやろ。アホちゃうか、こいつ。俺がどんだけお前に必死になって、つらいつらいで七転八倒 してるか、ほんまに全然知らんのや。
言わんと分からへんのや。アホやわあ水地 亨 。どないなってんのや、お前の脳 は。
そんな呆然感 の中、俺は相当 長い間、亨 を抱いて、ポカーンと顔を見ていたようや。亨 はだんだん、居心地 悪そうに俺に抱かれていた。
でもさ。俺は口が悪いねん。思うたことを、そのまま口に出してたら、ヤバい時が多いと思わへんか。今の、言うても平気な台詞 やったか。あかんよな?
そやから俺は、ちゃんと翻訳 して言うた。
「お前は美しい神やで。今、初めて会ったとしても、きっとお前に惚 れてる」
「なんで?」
なんで惚 れんのか、その理由を言えと、亨 は甘く囁 く声で、それでも厳 しく強請 ってきた。
なんでか分からん。お前がなんで俺のことを好きなのか、俺には分からん。それと同じ疑問 が、亨 の中にもあるらしい。
そんなん、考えてみたことなかった。亨 に自信がないかもしれへんなんて。自信ないということが考えられへんのやもん。
皆は、見たことないやろ、水地 亨 。綺麗 やでえ。アホやけど。ほんまに美しい。
黙 って立ってたら、あるいはちょっと微笑 んで、婉然 と見つめられたら、頭沸 いてもうて、清水 の舞台 からでも笑いながら平気で飛び降りられる。それくらいのアホになれる。
絵にも描けない美しさや。
俺は絵師 やし、それを描こうと何度も試 みたけど、でも、本物には及 ばへん。生きて動いている水地 亨 が一番美しい。
あんまり綺麗 で、まるで絵のようやと思うことはあるけど、でも、実を言えば、いつも目の前にいる亨 より美しい、水地 亨 の絵姿 を、俺は描けた例 がない。
追っても逃げる蜃気楼 みたいなもんで、描いても描いても、満足いかへん。また描きたい。そんな永遠のテーマやで。
何や可笑 しなってきて、俺は笑った。たぶん自分が思いついた答えがアホみたいやったから、恥 ずかしなって、先回りして笑ってもうたんやと思う。
「なんでって。分からへん。お前が俺の、運命の相手やからやろ」
「……アキちゃん、ほんまにそう思うてる?」
今度はこっちがぽかんとした顔で、亨 が俺に聞き返していた。
二度も言わせるな、アホ。聞こえたやろう、お前は耳ええねんから。絶対、俺を虐 めようと思って聞き返している。
リピート要請 は断固拒否。恥 ずかしいので、よそ見して、頷 いただけで済ませてもうた。
「おいおい、そういう事はやな、ちゃんと相手の目を見て言わなあかんやろ! なに視線逸 らしてんねん、アキちゃん」
「恥 ずかしいもん。いちいち言われへん」
「そんな性格で、よう浮気 なんかするわ!」
ぎゃあぎゃあ言うてた。亨 大明神 。
あれ。その話にまた戻ってくるんや。それは困 ったなあ。もう終わったネタやと思うてた。
両耳掴 まれて、こっち見ろと引き戻されながら、俺はくよくよと、亨 と向き合っていた。
「アキちゃん、どうせ、俺以外には、ええこと言うてやってんのやろ。お前みたいな奥手 な男にいてこまされているアホが、俺以外にいてると思われへんのや」
「言うてへん! ええことなんか言うてへんよ」
ぐいぐいやられて、耳痛い。
でも叱 られてるっぽいから、やめろって言われへん。
いててて。サザエさんVSカツオ君みたいになってる。これが怪談 「耳無し法一 」やったら、次のシーンで耳とれてそう。
「嘘 や。湊川 怜司 になんて言うてやったんや。美しいなあて言うてやったんか。亨 よりお前のほうが好きやて言うたんか?」
「そんなん言うてへん……」
許 してくれたんやと思うてたのに、実はこれから反省会 やったんや。仲直 りエッチやと思うてたのに、実は違 うたんやな。大誤算 やったわ。
「ほんなら何て言うて口説 いたんや」
「何て、って……、一発やって、俺の式 になって、生 け贄 なってくれへんかって」
正直者な俺の答えを、亨 はちゃんと真面目 に聞いてたようやったけど、聞いた話の内容が、空耳 に思えたんか、険 しい顔のまま、えっ、て言うてた。
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